将棋の絶妙手は美しい。
前回は初タイトル獲得を記念して、木村一基王位の受けを紹介したが(→こちら)、今回は羽生善治九段の妙技を。
2013年、第72期A級順位戦の3回戦。
羽生善治三冠と三浦弘行九段との一戦は、角換わり腰掛銀から難解な終盤戦に突入した。

後手の羽生が△69銀とかけて、三浦が▲79金と引いたところ。
後手は飛車と金の両取りがかかっているうえに、打ったばかりの△69銀も取られそうな形。
歩切れだし、馬の働きもイマイチで、△27の銀も浮いている。
後手が相当にあせらされている局面に見えるが、ここで羽生はすべてを読み切っていたというのだから、恐れ入るしかない。

△86飛が「光速の寄せ」の異名をとる谷川浩司九段のような、あざやかな一撃。
▲同銀と取られて、まったく意味のないタダ捨てのようだが、△47馬として、これで先手玉は寄っている。

といわれても、やはりマヌケに「はぁ……」とでも言うしかないが、1手ずつの意味を丁寧に考えていけば、なんとなく見えてくる。
△86飛で後手が得たものは、1枚の歩と、▲77の銀が▲86に移動したこと。
これで、▲88への先手の利きがひとつ減り、後手から見て、取った歩が立つ筋といえば6筋と7筋。
どちらに使うのが、きびしいかを考えると見えてくる。
そう、後手はこれで△78歩と打つ攻めが、可能になるのだ。

すぐだと▲69金と取られるから、その前に△47馬と、遊んでいる馬を活用しながら△69の銀を守る。
こんな最終盤で、なんの当たりにもなってない状態で手を渡すなど怖すぎるが、先手が▲63角成とでもすると、すかさず△78歩とたたかれて(上の図)、▲69金は△同馬で寄り形。
▲68金上としても△79歩成で、次に△78銀成とされると、△88と△89の地点を受けられず、先手玉は必至。
パッと見ただけでは、にわかには信じがたいが、これで先手にまったくといっていいほど受ける形がないのだ。
とにかく、どうやって駒やら利きを足そうとも、△78歩の一撃ですべてが崩壊するのだから、三浦も唖然としたことだろう。
まともな手では、どうしようもないと見た先手は、▲77飛と非常手段で抵抗するが、やはり後手は△78歩。

▲同金は△同銀成で、▲同飛に△69馬で寄り。
▲68金上とかわすしかないが、△79歩成、▲同飛に△58馬と抱き着かれて、どうしても先手は攻めを振りほどけない。

△87にぶら下がった歩が、まるで絞首台のロープのように、冷たく先手玉を見下ろしている。
後手はカナ駒さえ入れば△88に打ってお終いだから(△86飛の効果)、力ずくで、それをもぎ取ってしまえばいいのだ。
先手は▲88歩ともがくも、△55桂の追撃で、まったく手数がのびない。
以下、▲58金、△67桂成、▲69飛、△78金まで羽生勝ち。

盤に並べてみるとよりわかるが、先手はどこまで行っても▲88の地点が受からず、どう駒を繰り替えても同じような筋で、結局受けなしに追いこまれてしまうのだ。
羽生善治といえば、やはり終盤力が大きな武器だが、この一局は中でも、そのすさまじさを表した名局といえるのではないか。
△86飛のあざやかさもさることながら、△47馬と、ただ銀にヒモをつけただけの、1手パスのような手で攻めがつながっているという発想が、ちょっとケタはずれだ。
攻めが切れているようで、実のところ△87のタレ歩、△78歩のたたき、そしてタダ取りされそうな△69の銀に、ゆるそうな△47馬。
すべてが絶妙の位置に配置されており、どう組み合わせても、先手の玉は逃げられない。
今、並べ返しても、どこまでもため息しか出ない美しい終盤だ。
(升田幸三の序盤戦術編に続く→こちら)