将棋 「ゼット」なんて怖くない! 米長邦雄vs森安秀光 1983年 第43期棋聖戦

2020年11月02日 | 将棋・好手 妙手

 「絶対詰まない形っていうのを、プロは嫌うんですよね」

 

 というのは、将棋の解説を聞いていて、よく聞くセリフである。

 絶対詰まない形とは、穴熊の王手すらかからない王様のような、昔なら「」(「羽生世代」の棋士は今でもこっちを使いますね)今なら「ゼット」と呼ばれる局面のこと。

 こうなると相手は1手の余裕があるうえに、駒を何枚渡してもいいという、攻撃的にフリーハンドな状態になってしまう。

 そこで自玉に必至をかけられたりすると、負けが確定してしまうからなのだ。

 




「振り穴王子」時代の広瀬章人八段の寄せ。
先手玉は「絶対詰まない」から、角を捨てても攻めが切れなければ大丈夫。これが「ゼット」の強み。
△同桂、▲32歩、△同銀に▲42金と貼りついて先手勝ち。

  

 

 ただ逆にいえば、

 

 「自玉はその間に寄らない」

 

 ということを読み切ってさえいれば、一瞬相手が詰まない形でも、なにも怖くはないわけで、むしろ難解な局面で自らそこに飛びこむ手を選ぶ人は

 

 「しっかり読んでいて強い」

 「恐れない精神力がすごい」

 

 評価が上がるくらいのもので、前回は谷川浩司九段の「光速の寄せ」を紹介したが(→こちら)、今回は逆に落ち着き払って指した寄せの妙手を。

 


 1983年の、第43期棋聖戦五番勝負。

 森安秀光棋聖米長邦雄王将棋王との一戦。

 米長と森安の将棋というのは、プライベートでもウマが合い、またそれぞれ

 

 「泥沼流」

 「だるま流」

 

 という、ねばり強さを持ち味とする棋風が共通していたせいか、熱戦や珍局が多い。

 この第1局も、森安の四間飛車に米長が「鷺宮定跡」で対抗。

 

 

  青野照市九段が考案した「鷺宮定跡」。

 考えたのは青野だが、結果を出しタイトルを取ったのが米長ということで、当時ふたりが住んでいた地名から取っての鷺宮。

 ただ、青野は「なんで【青野定跡】じゃないのか」と命名には不満だったそう。たしかに。

 


 中央と端で、ねじり合いが展開され、両者らしい力のこもった将棋。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 敵陣に並んだ3枚が、いかにも米長と森安の対戦らしい。
 
 形勢は難解だが、ここで米長が披露したのが、おどろきの手だった。

 

 

 

 

 

 ▲92歩と打ったのが、米長本人も、

 


 「我が将棋人生でもめったに指せない手」


 

 

 そう自賛する一手。

 米長流のサービス精神あふれる、やや大げさな言い回しのようだが、なかなかどうして、これは簡単に指せる手ではない。

 この手のなにがすごいといって、この終盤の競り合いに、あまりに悠長に見えるから。

 具体的には、次に▲91歩成と成った手がなんでもなく、その次に▲81と、まで指して、やっと詰めろなのだ。

 いわゆる「三手スキ」という形だが、後手からすると、この形がほとんど「ゼット」なうえに、もう一回▲91歩成とされても、まだやはり「ゼット」が続く。

 その2手の間、好きなように先手玉にせまれる。

 そして先手は、そのスピードを変えることができない。

 2手の間、完全に相手の言いなりにならなくてはならないのだ。

 しかも、相手は自玉を見なくていい。

 ノープレッシャーで攻めに専念できる。これは受ける側にはメチャクチャに怖いのだ。

 いや、怖いどころか、これでもしそのまま無抵抗で寄せられでもしたら、まったくバカバカしいではないか。

 それくらいリスクのある手なのだが、先ほども言ったが、それはあくまで「自玉の安全を読み切れていない」場合。

 ここで米長が、堂々と歩を打ったということは、当然のこと成算があったから。

 この危ない形を、難解な終盤をすべて切り抜けられると踏んだから、「ゼット」でも恐れることはない。

 だからこそ「めったに指せない手」と胸を張ったのだ。

 「好きに攻めてこい」と門を開けられた森安は、△55桂と寄せに行くが、先手は悠々と▲91歩成

 △67桂成と取って、▲同金△55桂とおかわりするが、これが詰めろになっておらず、やはり堂々▲81と、と取って先手勝ちが決まった。

 

 

 

 すごい見切りだが、ではこれにて米長の快勝かといえば、それがそうでもないのが将棋のむずかしいところ。

 後手は△55桂と打つところで、△73桂と受けに回るのが正解。

 

 

 これで、森安優勢の終盤戦だった。

 ただ、これもなかなか指せない手だ。

 なんといっても敵が、

 

 「2手の間、好きなようにしてください」

 

 といっているのなら、そのスキに敵玉を攻略してやれと、腕まくりするのは自然なところ。

 そこをあえて△73桂


 「2手の間、受けのことを考えなくていい」


 という局面の最善手が、受ける手とは……。

 もちろん米長は、


 「そんな手なんか、指せるわけないやん」


 と見切ったうえでの▲92歩なのだろう。

 読みだけでなく、その気持ちの面での強さもたいしたもので、このあと米長は棋聖奪取し、一気に四冠王への階段を駆けあがるのだ。

 

 (真部一男の幻の妙手編に続く→こちら

 

コメント (2)
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