「11連敗したとて、まあこれからよな」
「伊藤匠はタイトルを取れるのか」という議題で将棋ファンが話し合うとき、侃侃諤諤やり合った末、だいたいがこういう結論になった。
今期の叡王戦は第3局を終えたところで、挑戦者の伊藤匠七段が、藤井聡太叡王(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)相手に2勝1敗とリード。
初のタイトル獲得に、王手をかけているところである。
第1局を終えた時点で、藤井が伊藤に負けなしの11連勝をしていたことを考えると、ずいぶんと景色が変わったようだが、まあこういうのは勝負の世界にままあることではある。
長い目で見れば「今」の成績はあくまで今のことにすぎず、数年もたてばどう変動するかなんてわからない、なんてことは、さんざん見てきているのだ。
なのでまあ、
「こんなん、1勝したら、そこからわけわからんことに、なったりするもんな」
なんて、伊藤ファンのヤキモキをよそに、いたって呑気にかまえていたわけである。
でもって実際、今伊藤が逆襲に転じているわけだが、こういう例は上げていけば枚挙にいとまがない。
たとえば、テニスのノバク・ジョコビッチ。
ノバクはその圧倒的ポテンシャルにもかかわらず、デビュー当時はロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルという2強に、頭を押さえられていた。
また、大事な試合で原因不明の疲労感に襲われ、リタイアを余儀なくされるなど、
「あいつは万年2位だ」
「すぐにガス欠を起こす。練習をサボってるんだろ」
などと、ファンのみならず、選手仲間からもキビシイあつかいを受けていた時期もあったそうな。
ノバクの本によると、
「テニス界で最もジェントル」
と言われていた、ジョー=ウィルフリード・ツォンガにすら、「なまけもの」と酷評されたというのだから、読んでいて胸が痛くなったくらいだ。
そんな彼だったが、体調不良が
「グルテン・アレルギー」
という持病せいだったことがわかったり、また積極的に食餌療法に取り入れたことなどがいい方に転がると、形勢は一気に逆転。
2011年はシーズン開幕から、41連勝(!)と大爆走。
このときの衝撃は今でも忘れられないほどで、とにかく当たるを幸いなぎ倒すというか、まさに、
「負ける気せんね」
という、安定感エグすぎな強さ。
相性のいいオーストラリアン・オープンをはじめ、マイアミ、モンテカルロ、マドリード、ローマと、ビッグトーナメントを次々と制覇。
ローラン・ギャロスこそベスト4でフェデラーに止められたが、続くウィンブルドンを初制覇。
そのままナンバーワンになると、ハードコート・シーズンに入っても勢いはおとろえず、トロントで優勝。
さすがにオーバーワークというか勝ちすぎで、このあたりではケガにも悩まされたようだが、USオープンもしっかり優勝し、年間最終ランキングも堂々1位でフィニッシュ。
すさまじい勝ちっぷりであって、
「今までのくすぶりは、なんやったん?」
不思議な気分になったのをおぼえている。
テニスの内容も素晴らしく、とにかくアンフォースト・エラーがほとんどない。
そのため、ラリーがきれいに続いて、見ていて本当に気持ちのいい進撃だったのだ。
その後のノバクは、クレーコートで無類の強さを発揮するナダルや、「王の帰還」を果たしたフェデラーなどと競い合いながらも、トップの位置をキープ。
グランドスラム全冠制覇、ゴールデンマスターズ(マスターズ9大会全冠)達成、グランドスラム通算24勝(史上最多)など、
「テニス史上最強の選手」
と呼ばれるに充分なほどの実績を残した。
正直、2010年までの時点では、ノバクがここまでのことをやれるとは思っていなかった。
いや下手すると1位にもなれず、グランドスラムタイトルが、2008年のオーストラリアン・オープン1個で終わっても、そんなに不思議に感じなかったかもしれない。
「ノバク・ジョコビッチは、フェデラーやナダルには勝てない」
皆がそう思いこんでおり、数字的にはそれは決して、おかしな結論でもなかったからだ。
それが、今では押しも押されぬ大レジェンドだ。
未来のことなんて、だれにもわからない。
叡王戦の結果次第では、数年後には
「藤井聡太が投了した瞬間、伊藤匠八冠が誕生」
みたいなことが起こるかもしれず、もしそうなっても私は、
「あー、よくあるやつね」
きっと、たいして驚きもしないことだろう。