アラビア語は激ムズである。
前回は大阪大学でアラビア語を勉強していた、元奨励会三段だった石川泰さんによる、「アラビア語が難しすぎる4つの理由」から、
・動詞の活用が多すぎ
・母音が書かれてない
・それのおかげで辞書が引けない
という壁を紹介したが、これを見るだけでも、そのキビシさがわかる。
とくに辞書を使えないのは言語学習には致命的ではないか。
いわば、将棋を指していて形勢が悪くなったとき、トイレでこっそりスマホのAIに逆転の妙手を教えてもらうことが、できないようなものである(←最悪の例えだよ)。
アラビア語の壁はまだまだあって、トドメがこれ。
4・「口語」と「文語」がまったくの別物。
アラビア語は「フスハー」「アンミーヤ」という2つのものに分かれている。
フスハーがいわゆる「文語」とされるもの。
イスラームの経典「クルアーン」(コーラン)が書かれている古典アラビア語をベースにしており、ニュースや文芸作品などフォーマルな言語とされるが、一般では基本的には使われない。
一方のアンミーヤはアラビア語話者が一般的に使っている、くだけた言語。
アラビア語圏と言えば、東はイエメンから西はモロッコまで広く、方言も豊富でエジプト方言(映画やドラマが強いらしい)やレバノン方言が有名だそうな。
つまりは、本格的にやるなら2種類の言葉をマスターしないといけないわけ。
それはムリやろ、とひとつにしぼっても、これまたハードルが高い。
フスハーは古典だけあって難解だし、日本人が『古今和歌集』『平家物語』みたいなノリでしゃべらないよう、一般人はほぼ使わないので、実用性は低い。
ならアンミーヤをやるかといえば、そもそも日本でアラビア語の教材と言えば、ほとんどがフスハーのもので、学び方がわからない。
しかもアラビア人は、アンミーヤを習うとなぜか、
「なぜフスハーをやらないんだ」
キレてくるという。
アラビア人の中にはフスハーできない人も全然いるのに、やはりなぜかフスハーのゴリ押し。
なんたる不条理。
その圧を突破してアンミーヤを学ぼうにも、
「じゃあ、どこのをやるの?」
先ほども言ったように、アンミーヤはアンミーヤで今度は一枚岩ではなく、イエメンからモロッコまでアラビア語圏で、それぞれの「方言」がある。
その山のようにある、リビアとかシリアとかの「○○アラビア語」から、どれを学べばいいというのか。
一般的には「エジプト方言」がいいと聞くけど、これは結構ガラッパチというか、日本で言う「江戸っ子言葉」みたいなノリらしく、
「てめえ、こちとらイスラームの深い歴史を学ぶためにアラビア語をやってやったぜ、こんちくしょうめ。クルアーンの深い文言に、オマル・ハイヤームのイカした詩なんざあ、もう感動で涙がちょちょぎれるってもんだぜ、べらぼうめ」
詩的な美しさを誇るアラビア語のはずなのに、妙にいなせな感じになってしまう恐れもある。
これだけの壁というか、次から次へと強力な敵が現れるアラビア語はやはり難物であり、つまるところ私の頭脳と根気でもってすれば、こういうことになろう。
(石川泰さんのアラビア語動画はこちら)