クリスマスと言えば平常運転である。
先日は、大学時代の友人が披露した、ちょっと常軌を逸した疑心暗鬼を紹介したが(→こちら)、かように80年代から、私がヤングだった90年代のクリスマスと言うのは、ちょっとイカれた文化だったのだ。
あまりにクリスマスに関心がないため、
「実はすごい女とつきあっているから、余裕をかましているのか」
なんて妄想をかきたてるとか、なにかこう「時代」というものの持つ洗脳感のスゴさに、今さらながら感心するが、ではそんな私がどんなクリスマスを過ごしているのかと問うならば、たとえばラジオとか。
1956年の朝日放送『クリスマス特集 テレホンリクエスト』。
パーソナリティーの上品な敬語が、時代を感じさせる。
かかる曲も優雅で、森繁久彌さんがゲストで出たりと、なかなか豪華な内容。
コタツに入って、コーヒーでも飲みながら聴いていると、なんとも贅沢な気分になれる。
クリスマスと言えば、朗読劇なんかもいい。
ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマスストーリー』。
アメリカ文学者で翻訳家の、柴田元幸先生による訳文がすばらしい一品。朗読も柴田先生自らのもの。
村上春樹さんとの対談集『翻訳夜話』で読んでから、なんとなくこの季節になると聴きたくなる。
朗読劇は机の整理とか、部屋の掃除とか、「ながら」で聞けるのがよく、なんとなく、知的な雰囲気になるのもグッド。
『翻訳夜話』では原文と柴田訳のみならず、村上春樹訳でも読めるというオトクな内容になっているので、ぜひご一読を。
あとは映画『素晴らしき哉、人生!』を観るか。
人生で初めて泣いた映画だけど、ラストでボロボロ涙を流しながら、
「うーん、でもこれって、根本的な解決には全然なってないよなー」
なんて冷静に考えてしまうあたりが、私が今ひとつ人気者になれないところなんだろうなあ。
あとは「クリスマスはクリスティを」の通り、『ポアロのクリスマス』でも読むか。
キャロル・オコンネル『クリスマスの少女は還る』か、クレイグ・ライス『大はずれ殺人事件』もいいなあ。
晩ごはんは、半纏着てネギたっぷりのタマゴ雑炊。
なんにしろ、私のクリスマスは今年もこんなもんだけど、世間はどうなんでしょう。
今でも、派手にやってるのかな?