(前回)に続き、アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。
1950年ワールドカップ・ブラジル大会で、ほとんど手中に収めていた地元優勝の栄冠を、最後の最後に逃してしまったブラジル代表。
この敗戦がブラジル国民にもたらしたトラウマは、それはそれは深かったようだ。
スポーツの試合でショック死というのは、日本だと力道山のプロレス中継において、大量出血シーンで心臓麻痺を起こした人がいるというから、まだわかる。
とはいえ、自殺までしてしまうというのが、なんともすさまじいというか、そこまでツラいか。
言ってはなんだが、
「たかがサッカーやん!」
という話なんだけど、まあ自殺は極端にしても、ブラジル人の落ちこみようは尋常じゃなかったらしく、この敗戦に打ちひしがれる父親をなぐさめるためにペレが、
「パパ、泣かないで。ボクが大きくなったらブラジルを優勝させるから」
といって、本当に優勝させてしまったのは有名なエピソードだが、この日はペレのみならず、ブラジル中の少年が同じセリフを口にしたであろう。
また、このときの白いユニフォームを封印したことから、代案としてカナリア色のユニフォームを着ることになり、それがブラジルのカラーともなるのだ。
負けたこと自体も悲劇だが、もうひとつつらいのは、ブラジル敗北の責任を負わされることになってしまった選手たち。
「勝つことになっていた」はずのチームが負けたとき、それを見守っていた人がまずすることは、「戦犯」探しなのは洋の東西を問わず万国共通である。
ブラジルの場合、そこに人種差別がからんで黒人選手が、やり玉に挙げられた。
特に決勝点を許してしまったゴールキーパーのバルボーザは、まさにA級戦犯として糾弾されることに。
バルボーザにとって苦しかったのは、この敗戦の記憶を国民が、何年たっても薄れさせてくれないこと。
たとえば、こんなことがあったという。
バルボーザが街を歩いていると、手をつないでいる仲の良さそうな親子連れに遭遇した。
彼が何者かわかった母親は、その場で指をさして息子に、
「ほら、あの人よ、あの人のせいでブラジル人は悲しみに暮れることになったのよ」
それはあの悲劇から、すでに20年も経ってのことだった。
こういった出来事の数々は、心からバルボーザを打ちのめし、
「ブラジルでは犯罪の最高刑でも、せいぜいが懲役20年だ。でもオレは50年経っても許されることがない」
また、やはり戦犯として、後ろ指を指されることとなったビゴージは、そののち家から一歩も出られなくなった。
見かねた当時のチームメイトが、家に招待するときには電話で、
「だれにもサッカーのことは話させないから。あの試合のことも、話題には出させない。そんなヤツは、オレがつまみだしたやる!」
そう何度もいわなければ、来ることができないという有様だったという。
たった一つのゴールが、かくも人の人生を無惨に轢きつぶしてしまったのだ。
負けたとはいえ、彼らはブラジルの代表選手だ。栄えあるサッカー王国の戦士たちである。
まさに英雄、国民のあこがれの的だったはずだ。
それが、たった一つの敗戦で人生を棒に振ってしまうことになるとは、まさに「負ければ賊軍」を地でいく悲劇である。
あと10分。わずか10分だけウルグアイの攻撃を止めることができていたら、彼らは賊軍どころか、200年は語られる大英雄になっていたはずなのだ。
それが、この落差。
まあ、それが勝負というものなのだろうが、それにしても、やりきれない話である。
ブラジル国民が、なぜにてこれほどまでに「マラカナンの悲劇」に激烈なショックを受け、今でも戦犯を責めさいなむことを厭わないほどに引きずるのかといえば、それには理由があるそうだ。
それは実はブラジルサッカーだけでなく、ブラジルという国自体の歴史に根があるのだという。
と聞くと、なんだか大仰な話で「ホンマかいな」というところだが、これが読んでみると「ほーう」となるような、なかなか興味深い話であった。
(続く)