「21歳名人」誕生 谷川浩司vs加藤一二三 1983年 第41期名人戦 第6局

2020年06月13日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1982年の名人戦挑戦者決定リーグ戦(今のA級順位戦)で7勝2敗の好成績をおさめ、中原誠十段とのプレーオフ制し挑戦権を獲得した、まだ20歳谷川浩司八段

 挑戦者の勢いは七番勝負でもおとろえず、また加藤一二三名人が前期の名人獲得から長く調子が上がってこないこともあって、一気の3連勝と早くも名人奪取に王手をかける。

 あとひとつ勝てば名人戦史上最年少「21歳の名人」(谷川の誕生日は4月なのでシリーズ開幕直前に21歳になった)。

 日本列島を巻きこんだ「谷川フィーバー」も、ここピークをむかえたのだった。

 ただ大記録を前に、さすがの谷川も平静ではいられなかったか、第4局第5局と加藤名人の逆襲をゆるしてしまう。

 それでもまだ3勝2敗と有利だが、気持ち的にはそうは思えまい。

 後年、やはり初の名人戦で米長邦雄名人相手に3連勝スタートを切った羽生善治四冠も、ちょっとしたゆるみから第4局を落とし、第5局では完敗を喫すると、そこから

 

 「将棋界初(当時)の3連勝から4連敗の大逆転」

 

 を喰らってしまうのかと、かなり追いつめられたそうだが、やはり谷川浩司もまた人の子であり、「まさか」の妄念にさいなまれることになる。

 先手番ということもあって「決め所」ともいえる第6局。谷川はタテ歩取りからの、ひねり飛車にすべてをたくす。

 今ではあまり見なくなったが、このころは居飛車の主力戦法であって、

 

 「先手必勝の戦型が実現するとすれば、それはひねり飛車ではないか」

 

 という意見もあったほどなのだ。

 谷川が6筋から仕掛け、飛車交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 先手が▲55歩と突いたところ。

 自陣のをさばこうという、自然な駒運びに見えるが、ここが危険な局面だった。

 ここで後手から、△68と、という手があった。

 

 

 ▲54歩と金を取ると、△58と、▲同金に△66角と金を取って、▲同角に△26飛が王手角取り。

 

 

 

 △68と、に▲同角と取るのも、やはり△26飛と王手金取り。

 ▲27歩△66飛▲57角の切り返しに△55角と出るのが、金取り解除しながら飛車ヒモをつけてピッタリで、どちらにしても先手の銀損が必至なのだ。

 

 

 谷川にとって幸運だったのは、加藤もまた、なぜかこの順が見えておらず、素直に△55同金と取ってくれたこと。

 これなら▲84飛の十字飛車で、攻めがつながる。

 一瞬のエアポケットだが、加藤がどう応じてくるか、まさに寿命が削られるような時間だったろう。

 大ピンチを切り抜けた谷川だが、やはりここからは、プレッシャーと戦わなければならない。

 その苦悶は手順にあらわれていて、この▲32角という手がいまひとつだ。

 

 

 王手飛車がきびしそうだが、ここでは▲32桂成という軽妙手があった。

 

 

 

 △同玉と取らせて、▲21角とここから王手飛車に打てば、△22玉▲54角成から▲21飛の2枚飛車で終了だった。

 ▲32桂成▲32角をくらべると、「玉は下段に落とせ」の格言通り、前者の方が感触がいいのは一目瞭然。

 谷川自身も、なぜこれが見えなかったかと後にいぶかしんだが、こんな簡単な手(谷川レベルなら)が指せないという、苦しい時間帯だったのだ。

 ▲32角に△44玉と逃げて、「中段玉寄せにくし」で嫌な形。飛車を奪ってせまるも、△71底歩も強力だ。

 少し手こずっている感もあるが、このあたりから落ち着きを取り戻したか、徐々に「らしい」手が出てくるようになる。

 

 

 

 △43角を殺されているのにかまわず、▲64歩と突き出すのが「前進流」の踏みこみ。

 △52銀▲72竜右と金を取って、△同歩に一転▲78金を殺して、大駒ゲットのお返し。

 やや強引だが、角が入れば、▲77角▲62角のような手で中段玉が照準に入ってくる。

 加藤も△57角成と食いちぎって、▲同歩に△89飛と攻め合う。これが、なにげに▲81もにらんでいて、油断のならない形。

 谷川は▲56歩と突いて、▲77角や▲66角をねらう。

 加藤は△55歩でそれを防ぎ、横腹が開いたのを見て先手も▲84竜と活用するが、そこで△73銀が、先の△89飛と連動して「勝負!」という受け。

 

 

 

 ▲同桂成なら、△84竜で先手のカナメ駒であるが抜ける。

 かといって、▲81竜のような手では、なにをやってるのかわからない。ここで谷川も気合負けしないとばかりに、▲同桂成と特攻。

 △84竜と取られても、▲63成桂とくっついて、攻めがつながっているという読みだ。このあたり、双方力の入った大熱戦である。

 

 

 

 

 クライマックスはこの局面だった。

 二転三転の戦いは、ここへきて、まだ難解という声が多かったそう。

 検討していた中原誠十段や、谷川をライバルと噛みつく田中寅彦六段なども、先手が勝ちそうだが、決め手が見つからないと頭を悩ませている。

 だが谷川は、少ない時間と激烈なプレッシャーの中、見事に正解を見つけるのだ。

 

 

 

 

 ▲71飛と打つのが、濃い霧をつらぬいて道を示す、一筋の光だった。

 次に▲72飛成とすれば、▲73馬からの詰めろで、ほとんど受けなしだが、かといってそれを止めるピッタリした手がない。

 検討陣も発見できなかった、これが「光速の寄せ」だ。

 加藤名人は△49と、と取り、▲72飛成△78飛と攻防に打ちおろすが、冷静に▲76歩と止められて逃げられない。

 

 

 

 ここで△62金が最後の抵抗だが、同時に形作りでもある。

 後手玉に詰みがあるからだ。

 

 

 

 ▲73馬と切って、△同金。ここまではよかった。が、ここで事件が起こる。

 谷川が次の手を指さないのだ。

 すでに将棋は終わっているのに、これはどういうわけか。

 信じられないことに、なんと谷川はここでもまだ、後手玉の詰みを発見できていなかった

 手の流れから、自分が勝ちであることはわかっている。

 でも、どうすればそこにたどり着けるのか、霧はまだ完全に晴れてはいなかった。

 手順にすれば、たったの9手詰

 寄せの問題として出されれば、落ち着いて考えればアマ初段クラスでも解けるレベル。

 ましてや、詰将棋に定評のある谷川浩司なら0、01秒で仕留められるはずなのだ。

 なのに、それがわからない。「光速の寄せ」の、まさかの大迷走

 このときの谷川は▲75銀、△55玉、▲66金まではわかっていたが、その次の手が見えず▲65金を取って、△43玉でハッキリしないと読んでいたそう。

 思考が堂々めぐりになり、あせりと重圧で苦しみに苦しみぬいたところで、ようやっと、今度こそ、最後の試練をクリアできた。

 詰みを発見したのだ。▲75銀、△55玉、▲66金、△54玉に▲44金と打ったところで加藤が投了。

 

 

 

 △同銀、▲52竜、△53合、▲43銀まで。

 谷川はこの▲44金が、盲点になっていたのだ。

 この瞬間、名人位が「苦節22年」43歳の加藤一二三から、まだ21歳の青年の元に移った。

 伝説が生まれる瞬間の様子を、直木賞作家である江國香織さんのお父様、江國滋氏が書いている(改行引用者)。

 


 ああ、という押し殺したような声とともに、挑戦者が不意に喘ぎはじめた。

 息苦しそうに顔を左右にはげしく動かし、手さぐりでひろいあげた純白のハンカチを急いで口元に押し当てながら、肩で大きな呼吸をくり返した。

 どう見ても嘔吐をこらえているとしか思えない苦悶の表情だった。

 荒い息づかいのまま、ハンカチを捨て、お茶をひと口すすり、メガネをはずし、おしぼりをぎゅっと両目に押し当てた。ああ、という声がおしぼりの陰から聞こえた。

 『最後の最後まで詰みが見つからなかった』(局後の第一声)という、その7五銀を見つけた瞬間の、これが谷川浩司新名人の反応だった。


 

 (「加藤一二三名人」誕生のシリーズは→こちら

 

 

 

コメント (2)
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