「発達障害」という、精神障害がある。精神の発達が正常に発達しない病気で、主な症状に「自閉症」がある。
「発達障害や自閉症」は、ともすると人間関係が滑らかに、スムーズに進まず、それで社会生活に支障をきたす事か懸念されている。
私が今回何故このように「発達障害や自閉症」のことを持ち出したかと言うと、私にも少々この症状みたいなものが見られるからだ。かといって、医師に診断してもらって訳でもなく、自分自身をよく見詰めてみると、一風変わった性格がある事に気が付く。その「変わった性格」が、「発達障害や自閉症」者らが特有に持つ特質に似通っているようなのだ。
これまでの「おバカさん天国」連載でも見られるように、こうした「思いや気持ち」は、一般世間の「思いや気持ち」とは、立場というか次元を異にするだろう。言い換えてみると、私の「思いや気持ち」は、世間の「思いや気持ち」に逆らっているという事ができる。
私にとって「何故」そのように世間の「思いと気持ち」に逆らった「思いと気持ち」になるのかと言うと、一般世間の「思いや気持ち」は、「人工物」に傾倒している事にあるからだ。
「人工物」に傾倒していて、この「人工物」が「自然」に支えられているという事を忘れている。忘れてしまっていて、見捨てている。
私には、こうした「人工物」には馴染む事ができない。自然から離れて「浮つい」てしまっているような、そういう「人工物」に、生きるところを見つけられない。ちょっと「発達障害的、自閉症的性格」の私には、「自然」の方にのみ馴染める。「自然に馴染め」れば、「人工物に馴染む」一般世界は、「おバカさん天国」と感じてしまう。
「発達障害的、自閉的性格」な、こう言う立場から世間を見てみると、一般世間は「超発達障害」症状が蔓延しているように感じてしまう。即ち、普通一般に言われている「発達障害」とは逆の症状が、現れているといっていい。殊にそれは、簡単に職場から解雇されたり、社会格差が拡大し、不平等になり、そうした事による精神状態の不安は、飲酒、いじめ、中傷、誹謗、暴力沙汰へと拡大していく。
それは、「人工物」を崇拝している事からの、反動でもある。
こうした中で私は、自然世界に馴染もうとする事によって宗教観に目覚めめ、「このまま」において、「このまま」素直に現実を受け入れ、人生のあるべき道を見出した。そして「絶対自由と、絶対平等」になった。
その点、私は幸せである。
今は、「このまま」に、「おバカさん天国」の世の中を、それぞれの人々が、それぞれの人々なりにどのように結末付けていくかを、それぞれの人々に託していく。