人が生きるという事は、ゲームではない。
人生というものも、ゲームではない。
しかしながら世の人々の多くは、この生きるという事や人生をゲームのようにしており、ゲームのように思っている。
政治もしかり、国際外交もしかり、企業活動もしかり、教育もスポーツの祭殿と言われスポーツ精神を基本としていたオリンピックも、仕事さえもゲーム化していて、勝敗を決する場になっている。ものごと全てが数値化され評価で勝敗の決着がつけられるというゲームになっている。
このために勝ったものと負けたものとは差別化されることになり、待遇や境遇でも勝者と敗者とに区別されることになってしまっている。
こういう世相の中だから、敗者は縮こまっていなければならない。だがただ縮こまってはいず、抑えつけられている重石を撥ねつけようと暴挙に出ていく。これが犯罪などへと発展していくことになる。そうして社会不安を巻き起こす。
人が生きるという事とその人生はゲームではなく、人としてどれだけまっとうに生きていくかが人として生きていく意味になり、それには価値と言うものは無く、命を授けられたものとしての行わなければならない使命と言えるものである。
集団的自衛権、他国領で行使せず 政府素案、範囲を限定(朝日新聞) - goo ニュース
と言う事は、選挙公約では「他国領で行使する」つもりの集団的自衛権行使容認の憲法解釈を、念頭に置いたものだったわけだ。
自民党候補に投票した人たちは、騙されたという次第。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASG3X7FJ3G3XUTFK01C.html