「いじめ」というものは、恵まれている者の世界で発生する。
「健康に、腕力に、立場に、金銭的」などに恵まれているから、「いじめ」が横行する。
であるから、こうした恵まれていることが取り除かれれば、「いじめ」は行われない。
たとえばかくいう私は、幼少時からの障害者である。「片輪者」扱いされたし、ヒョロヒョロしていたので「こんにゃく」と言われていた。しかし私は鈍いものだから、「ケロッ」としていた。何せどんなに「片輪者」と言われようと「こんにゃく」と侮辱されようと、このままにそのままに生きていき、生活していかなかったからである。
だから「辛さ、苦しさ、悲しさ」などの悲嘆に暮れている間が無かった。
「いじめ」をされていて、そのために自らの命を絶つとか、あるいはその遺族たちが、相手の加害者の「いじめ」を非難視したり、訴訟するなどと言っているのは、それは自分の不甲斐なさを「言い訳、言い逃れ、責任逃れ」しているものでしかない。
尤も今の子供たち児童たちは、大人社会の「いじめ」にも似た社会構造によって、厭でもこうした「いじめ」にあうように生育されている。
その尤もたるものが、国政を担う者たちの横暴さが、そしてそれを自分たちの身を構うというメディア精神から、世に当てどもなく広まってしまっている。
そこには、精神の安らぎや、心の安らぎの場を提供する「信仰」が忘れられていることにも、原因がある。
大津いじめ、自殺生徒が親類の店から大金(読売新聞) - goo ニュース
★ 何もなく 何も無きしの 恐ろしさ
あるならあるで 対処できても 2012/7/20
何もない中で、頼るべきものも寄るべきものもないのは、苦しい。それは恐れでもある。今の今日では、信仰という頼るべきものも寄るべきものも持たなくなっていることから、人々は暗黒のるつぼの中で悶え嘆き苦しんでいる。
釈尊が出家に至る故事が、「四問出遊」という説話になって残されている。
釈迦しゃかが出家する前、まだ太子のとき、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で、老人・病人・死者・修行者に出会い、その苦しみを目のあたりに見て、人生に対する目を開き、出家を決意した
この事は、仏教における「信仰の門」を指し示すものともなっている。
仏教における門には、「禅門、菩薩門、易行門(浄土門)がある。
「禅門」とは、浮世のしがらみと決別し、欲得や苦楽、憎しみ、嫉妬、怒り」から全て離れるための門で゛ある。
「菩薩門」とは、「人のためになることをすること、思いやり、働きかけ」の門である。
そして「易行門(浄土門)」とは、我々が生まれ生き、生かされている世界は「自然世界」であるから、この「自然世界」で有りのままに、また生きるための生産活動もこなしながら突き進もうとする門である。
「禅門と菩薩門」には、浄土門が持っている「生産活動」は人任せにして、「禅門」は利己的な安楽を、「菩薩門」は集団化だけの安楽と発展を目指している。このために「菩薩門」の者などは、政治になどにも関わりをもったりして教団の発展を目指したりする。
これに対して「浄土門」は、土着化している者たちによって成り立ち、政治的なことや権力的なことには関わりを持たない。
仏教における「信仰の門」は、このように3つあるが、その外にもう1つの門がある。
このもう一つの門とは、「禅門、菩薩門、易行門(浄土門)」をすべて対等になるように受け入れている門である。
この門を「中道門」という。
我々にとって「辛さ、苦しさ、悲しさ」は、歓迎できない代物としている。
「何故こんな辛さ、苦しさ、悲しさ」が、我が身の上に起ってくるのかと、世を恨む。
しかしこの「辛さ、苦しさ、悲しさ」によって、我々はこの世に生きるということが甘いものではないと知らされる。同時に、そうした甘い思いを叩きのめし、厳しい人生を生きるよすがを与えようとしている。
「辛さ、苦しさ、悲しさ」に直面することのできる者は、幸いともいえる人生の道の軌道に乗せられていく。
大津市が和解しても同級生側「主張に変更ない」(読売新聞) - goo ニュース
いじめを苦にして自殺したという事実の前に、「いじめではない」と言っているのは、野田首相が「消費税増税」に「政治生命をかける」と言いながら、「増税先行ではない」と言っているのと一緒。
今まさに、「言い訳、言い逃れ、責任回避」というのが、巷で横行している。
首相、異例の呼びかけ「いじめられたら…」(読売新聞) - goo ニュース
野田首相は「消費税増税」させるといって、国民を虐めている。
この「消費税増税」しても、「社会保障」の名目とは言いながら、「公務員」のための、たとえば「公務員向け年金」に対して、「役職加算」を削減しないでいる。ということは、公務員の役職加算のために消費税増税することになり、その分一般国民向けの社会保障は、見捨てられ少なくなっていく。
こういう風に野田首相自身がいじめをしていたら、どうしろというのだ。
議会解散でも、してくれるのか。
慰安婦の名称 「性奴隷」に変更検討=韓国閣僚(聯合ニュース) - goo ニュース
人間が、何かにかこつけてこのように人間を冒涜するのが、人間としての価値あるものと思っている。
人間が、人間に対してこのように比喩することは、被害者を思いやる心のない野蛮人ということになる。
過去の忌まわしい出来事を踏まえて、過去と決別して、仲良く暮らせる世界にしていくことが、今日の人類に求められることといえる。
かって米国では「南北戦争」があった。これは別名「奴隷解放戦争」でもある。
しかし今人間が人間に対して行っていることは、蔑視対決戦争というべきもので、何等の実りももたらすまい。
なお19万人に避難指示=九州北部で河川氾濫―3日間雨量、最大800ミリ超(時事通信) - goo ニュース
今回の豪雨での被害者、被災者の方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。
だが、これを幸いにと金儲けに役立てようとする者が多々いる。
これは先年の「東日本大震災、大津波、原発事故」でもあったように、こういう被災地地帯の「復興特需」を当て込んでいたように、今度の合否際においても、この「復興特需」を求めて、「談合、贈収賄」が行われるだろう。これには当然として政治家がかかわる。
原発事故での後の「電力会社株主総会」では、一般株主からの提案はすべて否決して、自分たちの都合のいいように決議してしまっている。
これまで余り知らなかったのだが、「ピックス粒子」発見にと、年間3千億円もの国家予算を計上しているそうだ。それに加えて、宇宙開発予算も何千億円、防衛予算ときたら「自主防衛」の名目の上に、「ミサイル、戦闘機、戦車、護衛艦、潜水艦」などだけでなく、共同演習を行う名目などとして「けんか」するために5兆何千億円も使っている。
しかしこれほどの多大な予算を使いながら、自然災害には何の役にも立たないものばかりなのだから、「素晴らしきこと」と言わなければならなくなる。
九州豪雨、40万人以上に避難指示・勧告(読売新聞) - goo ニュース
消費税増税とか、造反議員厳罰とか、官公庁職員など高待遇には「生場生命をかける」というものの、いつ起こるか分からない災害や事故を防ぐ手立てには、一行「政治生命をかけようとはしていない。これほどの何もできないものだから、「信を問う」という決断にも、「政治生命」がかけられない。
これは、今の政治家にも共通している。誰も「首に鈴」を付けられない
これこそ「本当にさもしい」限りだ・・・・・・・・・・・・・・。
ファウル直撃で失明の女性提訴=日ハム球団などに賠償請求―札幌(時事通信) - goo ニュース
何かというと、人間は楽しい思いをしたがる。
そして「豊かで楽(快適、便利)」に過したがる。
この結果がどうなるかというと、このような災難にあうものと、世の中は決まっている。
それを訴訟して取り戻そうとしても、何にも戻らない。
ただ静かに、おとなしくしていれば済むものを・・・・・・・・・・・・・