静岡市葵区鷹匠の華陽院
境内には、徳川家康の祖母・源応尼の墓があります。
源応尼の実名は「お富の方」、または「お万の方」といいます。
明応元年(1492年)誕生した源応尼は、はじめ、三河国刈谷城城主・水野忠政に嫁いで水野忠重や於大の方ら3男1女を生みました。しかし、岡崎城城主・松平清康がその美しさに目をつけて、松平氏が水野氏を破ったときの講和条件として譲り受けたといわれています。
清康の死後、三河の諸豪族に次々に嫁ぎましたが、夫に先立たれ、駿河国の大名・今川義元を頼って駿府に入り、出家して源応尼と名乗ります。
竹千代(後の徳川家康)が今川氏の人質として駿府に送られると、竹千代が元服するまでの8年間、その育成にあたりました。
法名は華陽院。
当寺・華陽院は、知源院とよばれていたものを華陽院の法名により改めたもの。