日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

華陽院(1)家康の祖母・源応尼の墓

2024-10-10 | 徳川家康

静岡市葵区鷹匠の華陽院





境内には、徳川家康の祖母・源応尼の墓があります。



源応尼の実名は「お富の方」、または「お万の方」といいます。

明応元年(1492年)誕生した源応尼は、はじめ、三河国刈谷城城主・水野忠政に嫁いで水野忠重や於大の方ら3男1女を生みました。しかし、岡崎城城主・松平清康がその美しさに目をつけて、松平氏が水野氏を破ったときの講和条件として譲り受けたといわれています。
清康の死後、三河の諸豪族に次々に嫁ぎましたが、夫に先立たれ、駿河国の大名・今川義元を頼って駿府に入り、出家して源応尼と名乗ります。

竹千代(後の徳川家康)が今川氏の人質として駿府に送られると、竹千代が元服するまでの8年間、その育成にあたりました。
法名は華陽院。

当寺・華陽院は、知源院とよばれていたものを華陽院の法名により改めたもの。


 
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徳川家康公出陣キット

2024-10-02 | 徳川家康

駿府城公園外堀沿いにある駿府ホリノテラスに「徳川家康公出陣キット」のモニュメントがあります。

徳川家康が身に着けた金色の鎧「金陀美具足(きんだみぐそく)」をモチーフにしたものです。

大河ドラマ「どうする家康」でも松本潤さんが身に着ける場面がありましたね。

このモニュメントは、静岡市で盛んなプラモデル生産に因んだ「静岡市プラモデル化計画」の一環でつくられたもので、「徳川家康公出陣キット」と題し、兜や袖、小手など十一のパーツに分かれています。

駿府城公園に行くついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?😊

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静岡駅前の竹千代・今川義元・徳川家康の銅像

2024-09-21 | 徳川家康

静岡駅北口駅前広場にある銅像を紹介します。

徳川家康にとって駿府は、最長約25年を過ごした地です。

今川家の人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代の3度を駿府城で過ごしました。

竹千代像は、家康が8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごした幼少期の姿。

竹千代像
IMG_6451 竹千代像

この隣には、今川義元公生誕五百年祭を記念し、令和2年に設置された今川義元の甲冑姿の銅像もあります。

今川義元像

そして、こちらは、壮年期の家康像です。

徳川家康像




平成19年度に家康の駿府城入城四百年を記念し、「大御所四百年祭」展開してきた事業の一環として平成21年3月19日、銅像が設置され、像台座の題字は、徳川宗家第十八代当主・徳川恒孝氏によって書かれました。



三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した頃の壮年期の家康の姿です。

この像の横に、久能山国宝指定記念碑があります。

久能山国宝指定記念碑


そして、なんとこの2つの家康像、義元像、久能山東照宮が一直線上に並んでいるのですって!

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静岡の蓮永寺(2)お万の方の供養塔

2024-09-09 | 徳川家康

蓮永寺の墓所には、お万の方の供養塔があります。

養珠院(ようじゅいん、天正8年(1580年) - 承応2年8月22日(1653年10月13日))は、徳川家康の側室。紀州徳川家の家祖徳川頼宣、および水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。名は万。
母は北条氏隆(氏尭の誤伝か)の娘とも北条氏尭の娘、あるいは田中泰行の娘(=北条氏尭の養女、板部岡江雪斎の姉の娘・姪)ともいい、諸説ある。
実父の正木頼忠は上総勝浦城主正木氏の正木時忠の次男で、当初は小田原に人質として滞在していたが、万の同母兄である為春と万をもうけた後、急死した実兄の正木時通の跡を継ぐため上総に戻ることになる。万と為春の生母は後北条家家臣だった蔭山氏広と再婚した。万はこの義父の元で育てられることになる。
伊豆で成長した万は慶長元年(1596年)頃、家康に見初められ側室となった。万は慶長7年(1602年)3月に長福丸(後の徳川頼宣)を、さらに翌年8月に鶴千代(後の徳川頼房)を生んだ。慶長8年(1603年)に常陸水戸20万石が長福丸に与えられ、慶長11年(1606年)に下総下妻10万石が鶴千代に与えられた。慶長14年(1609年)には、長福丸は駿河・遠江50万石に、鶴千代は水戸25万石に移封された。(Wikipediaより)

その他、勝海舟の母・信子と、妹(佐久間象山の妻)じゅんの墓もあります。

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静岡の蓮永寺(1)駿府城鎮護の寺

2024-08-30 | 徳川家康

静岡市葵区の沓谷(くつのや)にある蓮永寺は、文永11年(1274)、日蓮上人の高弟・日持上人によって庵原郡松野村(現在の富士川町)に開創されました。

その後、衰退しましたが、徳川家康の側室・お万の方の発願により、元和元年(1615)、駿府城鎮護の寺として現在の沓谷に移し、再興されることになりました。

山門


仁王門


実に広々とした境内です。



鐘楼


庫裏


客殿


本堂



蓮永寺(貞松山蓮永寺・みまつさんれんえいじ)
 蓮永寺は、はじめ庵原(いはら)郡松野村に建てられてあったが、元和元年(1615)、お万の方(の発願によって、駿府の鎮護とすべく、この地に再興されたものである。
 お万の方は、上総国(千葉県)大滝城主正木左近太夫頼忠の娘で、後に伊豆河津の笹原城主蔭山氏の養女となり、徳川家康に仕えて2人の男子を産んだ。上の子は、家康の第10子頼宣(紀州家)で、下の子は、第11子頼房(水戸家)である。水戸黄門の名で知られる水戸光圀公はお万の方の孫に当るわけである。
 お万の方は、熱心な法華経の信者で、特に身延山久遠寺日遠上人の帰依者であった。元和2年(1616)4月17日に、家康が駿府城で歿すると、剃を下して養珠院と号し、この蓮永寺にこもって、家康公の菩提を弔ったということである。晩年は、わが子頼宣のもとで平穏に暮らし、77歳でこの世を去った。
 境内には、当時の権勢を誇るかのように、身の丈を越える立派な供養塔が建てられている。また近くには勝安房の母信子と妹じゅん(佐久間像山の妻)の墓がある。
 寺宝 家康ゆかりの品が数多く保存されている。
             静岡市

 
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