浜松市博物館で開催中の「家康伝承と浜松」展。
浜松城や北遠の城の出土遺物や三方ヶ原の戦いの布陣図、後世における徳川家康の由緒や伝承を記した古文書や書籍、三方ヶ原の戦いを描いた絵、徳川家康ゆかりの食品にまつわる資料等が展示されています。
武田家禁制
三ヶ年の鬱憤
三方ヶ原の戦いに関わる武田信玄書状を期間限定で展示されています。
~5月28日(日)(期間限定)
三方ヶ原の戦い(元亀 3年(1572)12月22日)の直前の同年10月21日、遠江に進軍してきた武田信玄が三河国の国衆の奥平道紋に宛てた書状。
浜松に向かい徳川家康と戦い「三ヶ年の鬱憤」を晴らすと表明しています。
個人の方からお借りしている資料であるため、実際に見ることができる機会が少ない貴重な資料なのだそう。
武田信玄書状
三方ヶ原の布陣図
三方原絵図
遠州味方ヶ原合戦図
天竜川御難戦之図
一言坂の戦いを題材に描かれています。
光明勝栗
光明勝栗の伝承
三方ケ原の合戦の直前、徳川家康は光明山(浜松市天竜区)で武田側の大軍と戦い、只来村、山東村の農民の加勢を受けた。その時に「かちぐり」を献上された家康が縁起物だと喜び、地名にちなんで「高名(功名)勝栗」と名付けた。両村は幕末まで将軍家に献上を続け、代わりに賦役を免除されたという。
忍冬酒の看板
浜松の酒蔵元、神谷権兵衛が忍冬を漬けこんだ忍冬酒を作り上げ当時、浜松城に住む家康に献上したのが始まりです。
自ら漢方薬を調合するなど健康を気遣う家康はことのほか喜び愛飲されたとのことで浜松名物となりました。
スイカズラの別名をニンドウ(忍冬)といいます。冬場を耐え忍ぶ事からこの名がつきました。スイカズラの茎・葉を乾燥したものは、漢方で浄血・利尿・解毒薬などにも用いられています。
天野氏と犬居城
北遠の国衆と城郭
奥浜名湖の国衆と城郭
平野部の国衆と城郭
伝松下屋敷の出土品
引間城の出土品
しかみ像
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