日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

清寿院の柳下水

2011-09-29 | 名水
大須観音に向かう途中、アーケード街で見つけた史跡です。





清寿院の柳下水
 
尾張名古屋の三名水は、亀尾の蒲水と蒲焼町風呂屋の井とここ清寿院の井といわれていた。
清寿院は、修験道当山派・富士山観音寺ともいったが、寛文七年(1677)藩命により清寿院と改め、明治の廃仏棄釈により廃寺となった。当時、境内では芝屠、見世物小屋なども出て大いに賑わったと伝えられる。
柳下水は、清寿院の中門前にあり、当院の供水として、また将軍家上洛のときには、その飲用水として用いられたともいわれる。

名古屋市教育委員会


喫茶店の一角に柳の木と井戸が保存されています。





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4 コメント

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Unknown (しずか)
2011-10-01 20:05:17
四方さま

そうなんですよ!
大須観音に向かう途中、偶然発見しました。
歩いていると新しい発見をするものですね。
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この名水は歩いていて発見! (四方續夫)
2011-10-01 06:21:40
歩いていて発見?
やっぱり「犬も歩けば棒に当たる!」ですね。
名古屋の三名水は本当に初めて聞いたのです。
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Unknown (しずか)
2011-09-29 22:29:56
四方さま、コメントありがとうございます。

京都の名水は知っていましたが、尾張の名水は知りませんでした。
歩いていて発見すると、なにか得した気がします(笑)
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将軍家上洛の時の飲用水! (四方續夫)
2011-09-29 17:20:40
 名古屋の三名水、亀尾の蒲水と蒲焼町風呂屋の井とここ清寿院の井!
 とすると、尾張名古屋の清寿院の井の水がわざわざ京都へ運ばれていたのですね。
 理解できますが、初耳でした。
 
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