緑区の長福寺は、桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られています。
天文7年(1538)に、善空南立和尚の創建とされています。
桶狭間の戦いの際には、当地に到着した今川勢に酒食を提供し、労をねぎらったという逸話があります。
桶狭間の戦いの後、今川義元の茶坊主であった林阿弥が、織田方に捕えられ、境内の大杉の下で義元はじめ今川方武将の首実検を命ぜられたといいます。
大杉は供養杉として長らく境内にありましたが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風によって倒れ、現在は2代目に当たります。
林阿弥は許されて故郷に帰りましたが、主君義元や家臣の菩提を弔うため再び寺を訪れた際に納めた阿弥陀如来が現在の本尊であるといいます。
堂内には今川義元と松井宗信の木像も安置され、桶狭間合戦記・鎧・槍などを所蔵しているとのことです。
薬師堂
観音堂
地蔵堂
寺から南の丘陵は、14世紀中ごろ南朝の落武者が住み着いた桶狭間村発祥の地であり、放生池に隣接する小さな泉は、村人の貴重な生活の水源であり、この泉は、これまで一度も水が枯れたことがないといわれています。
昔は、長福寺の前には鞍流瀬川が流れており、 当時は合戦により人馬の血と雷雨でこの小川が真赤に染まり、馬の鞍・鎧などが流れていたといいます。
(Wikipedia、桶狭間古戦場保存会HP参照)
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今川義元のお墓がこのてらですか!
確り祀られています。日本人の心がよく理解できますね。
今では、昔首実検が行われたところとは思えません(^_^;)