蒲原の駿河モータースの横に源義経硯水跡があります。
ここは蒲原木之内家菩提所で、1167年(仁安2年)に作られ、蒲原一族初代・清實以後と浄瑠璃姫等の五輪の墓が建てられました。
1174年(承安4年)義経が東に下る時にこの菩提所の涌き水を使って浄瑠璃姫に手紙を書いたといわれています。
手紙を読んだ浄瑠璃姫は、義経を追いかけて来たのですが、病で倒れこの地で亡くなりました。
1817年(文化14年)には地蔵尊が建てられ、「いぼ神様」として尊ばれ、義経硯水の水をイボにつけると、イボが落ちるという霊験を願って参拝者が絶えなかったのですが、旅人に持ち去られ、36代勝則によって再建されました。
1933年(昭和8年)国道工事のため、墓地は北に移り、面積は縮小し、現在の形となりました。残念ながら涌き水は涸れてしまいました。
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