日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

平安宮朝堂院大極殿跡

2012-10-07 | 史跡
千本丸太町の一本西側の路地を入った公園に、平安宮の正殿であった平安宮朝堂院大極殿跡の石碑があります。





平安宮朝堂院大極殿跡   

平安宮は大内裏とも称し、国政、儀式、年中行事などを行う宮殿や諸官衙(役所建物)と天皇に関る生活空間からなり、今日の皇居と霞ヶ関界隈に点在する役所を合わせたようなものである。その規模は南北約1.4キロメートル、東西約1.2キロメートルあり、築地や壖地(犬走)、隍(濠)で厳重に囲み、14の門があった。
平安宮の正門の朱雀門を入ると応天門をもつ朝堂院(八省院)があり、この八省が大極殿である。
大極殿は安元三年(1177)の大火後は再建されず、大極殿での儀式は内裏の紫宸殿へ移った。

(案内板より抜粋)

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平安宮朝堂院跡

2012-10-04 | 史跡
千本丸太町に平安宮朝堂院跡があります。





平安宮朝堂院跡

朝堂院は八省院とも呼ばれ、天皇の即位や外国使節の謁見などさまざまな儀礼や国事が行われるところで、朝政の中心の場であった。宮城の正門の朱雀門を入ったところに位置し、北は中和院、西は豊楽院、東は太政官や民部省などの官衙に接していた。
その規模は、東西約60丈(約180m)南北約150丈(約450m)で、全体が回廊で囲まれていた。正面には応天門があり、両翼に栖鳳・翔鸞の二楼が建ち、応天門を入ると左右に朝集堂があった。さらに会昌門を入ると、大礼の際に諸司官人の列した十二堂が建ち並び、正面の一段高い龍尾壇の上には左右に蒼龍・白虎の二楼を従えて、朝堂院の正殿である大極殿がその威容を誇っていた。東西11間・南北4間の規模を有する大極殿は、緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱の並ぶ華やかな殿堂であった。
朝堂院は、平安京造都開始の翌年の延暦14年(795)にまず大極殿が造営され、次々に整備されていった。
その後数度の火災に合いながらもそのたびに再建されてきたが、安元3年(1177)の大火で全焼し、以後、再び建てられることはなかった。
現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたり、昭和50年に平安博物館が発掘調査を行った。後世の撹乱が著しく、遺構を確認することはできなかったが、大極殿に関係すると思われる多量の瓦類や緑彩の鵄尾の破片などが出土した。
 
   平安博物館

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