みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

超個人的記録 3ステ編

2006年12月22日 22時25分52秒 | みう・しばい

これは2007年1月4日に記録。
既に曖昧な部分、記憶朧げな部分多数。
はぁ。

15:30頃 2ステ終了。
良い出来だったらしく、スーパーバイザーより、各自に労いと3ステへの渇入れのコメント有り。

17:30 客入れ
それまでの時間。
おにぎり×1で胃を満たす。差し入れのお菓子でエネルギー補給。
多分、食事は上手く取れた。
本番中に胃の重さとか感じなかったし、バッテリー切れ的な感覚も無かった。

発声はあまりやらなかったと思うけど、それも良し。
2ステへのアップのあったし、2ステそのものもあるので、ここまで来たらアップより喉の温存が大切?今回は、この調整でOKだった。

体のアップも朝ほどはやらなかったし出来なかった。
時間も無かったし、喉同様、体力の温存も大切。でも、喉ほど温存しなかった。
休みすぎて自分のテンションが下がるは怖かったし、どうせ客入れ後は動けないし。

初めて2ndシーンの返しをやらない。
2ステあたりから、最後のやりとりのシーンがきつくなってた。
もっともメソッドを使えるシーンで、やってて楽しいんだけど、すごくいっぱいになってて悪い意味じゃないけどきつくなってた。
泣いちゃいけないし、実際、桜子なら泣かないのかもしれないけど、ワタシはきつかった。
自分の内に澱の如く溜まっていく感情。桜子の過去。物語がハッピーエンドでも、結局、桜子の悲しみ?感情?は行き場が無かった。足りなかった。
どこかで出さないと、おかしくなる。
これはレッスンで経験済みの事。
キチンとプレパしているのに、キチンとシーンをやらせてもらえなかった時の不完全燃焼。とはちょっと違う。けど似てる。
何かに遠慮して、行ききれなかったシーンの後の感覚にも違うけど、似てる。
吐き出して、リセットしたかった?
袖の奥でやらせてもらったが、最高の効果は得られなかった。
それは自責。
どこかに照れがあって、結局自分で自分にブレーキかけた。
場所の選択、我儘になりきる。この2つが自分には不足していたと思う。

でも、無駄じゃなかった。
色々な意味で、長いスパンでみれば、絶対に無駄じゃなかった。
良い仲間に恵まれたと思う。彼でなければ依頼できなかっただろう。


楽屋にて、2ステより幾分慌しかったが、流れはほぼ同じ。
周囲に疲れと油断が見え隠れ。少し不安。
浮かれまいとする様子もあり、それって内心浮かれている部分も有り。なわけで、でも、人間だから仕方無い。

MDは置いていく。

本番
大分余裕が出てきたのか、テンションが上がりきらなかったのか、お客さんの様子を(必要以上に?)感じる。
2ステの温かさに比べると、かなりシビア。
ともすると走りがち、上っ面だけになりそうな舞台上。引き止めたかった。
丁寧に芝居することを無意識に意識してたと思う。無意識でも協力してくれる役者達がいて、あるいは個々人がそう感じていて、目的が(手段が?)重なって、良かったと思ってる。
もしかしたら、それが舞台の勢いを殺していたのかもしれないけど、多分間違ってなかったと思う。前半で流してしまったら、後半、誰もついてこない気がする。

余談
丁寧にやることと、テンポを落とすのは別物。

結果
4ステ中3位?









超個人的記録 2ステ編

2006年12月22日 22時24分15秒 | みう・しばい

8:30頃起床。朝食はキチンと食べた。白米、納豆、めかぶ、ヨーグルト。地味だ。
9:30頃出発。バイクは勿論使わない。
10:10 横浜着。コインロッカーに荷物を預け、財布・MD・携帯のみ持ってアップ開始。
軽い柔軟のあと、駅からビブレまで、少し遠回りしつつ早歩きとジョギングを織り交ぜて移動。HMV脇の五段坂に落ち着く。柔軟、ダンス、タップのおさらい。
家からジャージで来て正解(^-^)
「汗ばむ」を少し通り過ぎるくらいまで温める。

狙い・効果
先生は「昼公演・土日公演は役者の体が寝てるから、体をしっかり覚ますことが必要」と言ってた。
 &
自分は喉が弱い。発声もずっとしていなかったし、2月には喉の手術のしている。その後数週間、喋るのにも苦労していた。
そういう自分は力技で声は出せないし、喉だけじゃなく体全体を温めたかった。
11:00集合→14:00本番のスケジュールでは小屋入り後だけでは、自分のアップには時間が足りない。予め体のアップを済ませておく事により、時間的余裕・精神的余裕が欲しかった。
体力的余裕という観点から見ると不安もあり、たとえ1時間でも睡眠は多く取るべきか迷ったが、(少なくとも今回は)アップ優先にしてよかったと感じる。

11:00ギリギリに小屋入り。やる気を疑われるかも?と、いかにも小心者な心配が頭をよぎる。余計な不安。
あたり稽古のみ。当たり前だけど通しはしない。どのシーンを当たったか等の細かい部分は忘れた。

とにかく「2オチ」に怯えていた。
13:30までに汗が引くようなアップを予定していたが、上回ってしまった。でも、特に悪影響は無かったので良しとする。
1ステ同様、駆け回り、舞台と仲良くなる。2ndシーンの当たりで〆て、いつもの個人的「儀式」

全員で円陣を組むという行為を省いた?

楽屋
1ステ時より全員がどこかハイテンションだな。と、感じた。1ステと同じような過ごし方をしていても、全員、テンションが少しだけ底上げされている感じ。
吉と出るか、凶と出るか。この時点では不明。

例によって、MD聞きっぱなし。掌の確認。他の上手組みより5分遅れて上手へ移動。

変えたこと
メイク=1ステ後、「目から下のメイクが足りない」と演出より指示を頂く。勇気を持って濃くする。結果、1ステ時は違和感無く(?)表を通れたので、さりげなく受付を通過していたが(あるまじき行為?)、流石に自粛。暗幕の裏を通って移動。

MD=上手まで持参。前説が始まるまで聞きっぱなし。

共演者の一人が正座をしていたので真似して向かい合わせに正座してみた。
彼には迷惑だったかもしれない。
すぐに足の痺れる自分なので正座は長く続かなかったが、直前まで向かい合って座っていた。目は合わせない。
個人的には気持ちの良い時間だった。
静かで、でも遊び心もあって、そのまま幕開けを待つ。(幕無いけど)

「何もしないで何かする」的な待ち方は自分に向いているかも?
楽屋でも、鏡越しに他者の観察・確認をしていて、的を絞り、タイミングを絞り、必要な分だけ一方的に関わって、もらって、張りと弛緩を繰り返して、なにかを微調整していく感じが気持ちよかった。

本番中
走りそうになる自分・周りを食い止めようと必死な前半。でもつい自分も走る。飛ぶ。やりすぎてなかった、今でも不安。プッシュしたわけじゃないし、自分個人の目立とう精神とかではなく中の動きが外に出るのをコントロールしきれない。
ずっと稽古では制御しようと努めてきた。
でも、
それって正しかったのかな?

稽古の話にジャンプ・自分の弱点にジャンプ

長ゼリフ、泣くな・怒るな・笑うな等、色々言われて調整してきた。
それとは別の話。
モンキリを恐れて、プッシュを恐れて、結果的にインナーアクティビティまで殺してきていた気がする。それはレッスンでもやってしまいがちな事。分かっていたはずなのに。
どこかで照れてる。どこかで逃げてる。どこかで手を抜いてる?
正しい飛び込み方が分からなくて、いつまでも5メートルの台にいるような卑怯さ。
死にゃしないんだから、もっと早く10メートルに・・・って言っても後の祭り。
じゃ無い!
次のシーン、次の舞台。そのための記録。

もう一つ、くだらない話、利己的な理由、自分可愛さ?
もっと早く飛び込んでみればよかった?否、登ってみればよかった。
梯子を見つけてからが長すぎた。

カムバック

制御癖だけでなく、やはり役としてそこに居なかったってのもあるだろう。
自分自身が、ある意味で客観的に舞台を見すぎていたかも。後半は7~8.5割ヒートして。1~3割は常に冷静、0.5は放置。って感じで幾分やりやすくなった。

終演後、1ステのような濃密な充実感とは違う。夢心地ってのも違う。
客出しに追われつつ、追われてて良かったと思う。
頭のどこかに3ステの事がある。出演者の中で、1~2を争う冷静さ?でも「グッ」って来てたり?変なの。

結果
良かったみたい。個人は分からないけど、舞台としては4ステ中最高?
スーパーバイザーに「走りすぎてなかったか」聞いてみたが「無問題」との事。
少なくとも、ここでの芝居に関していえば、今の自分みたいな役者はやりすぎぐらいで丁度良いらしい。
それは勢いだけじゃなくて、逆に「間」等に関しても言えるようだ。
ここでの仕事に関して言えば、ドラマチックを恐れないで、もう一段深み嵌る、曝け出すくらいでも臭くならないかも?or臭くしたいのかも?

自分
無味無臭・そつなく・キレイに小さくまとめる的な癖があるようだ。
そんなの全然面白くないよね。
ドライカレーに熟カレーかけて、七転八倒もがきまくって、汚れて笑われる
そんなのもカッコいいよね。


さぁ!いよいよ後半戦、3ステ目に突入です。
薄れ行く記憶と共に何処まで探れるかにゃあ?


極個人的記録 1ステ編(後に編集)

2006年12月22日 22時13分58秒 | みう・しばい

これは芝居における役者個人のデータ集です。(公演記録にあらず)
同じ事しても結果は人それぞれだから、このデータは誰の役にも立たないし、ただの記録だから読んでも面白いわけが無い。
本来はブログに載せるものではないが、様々な事情によりここに保管。



先生からのアドバイス

「公演をやるたびに(シーンをやるたびに)記録をつけろ」

その日、何をして、何を食べて、何を話して、とにかくどう過ごして本番を迎えたのか。
そして、その結果がどうだったのか。

このデータを大切にしろと・・・。


次回のために、覚えている限りの記録。
もっと早く記入するべきだったと早くも後悔。


MD
1. 裸の太陽
2. Never Let Go
3. 甘いワナ
4. Another Chance
5. feel my soul
6. Ready tо lоve
7. I can’t say
8. JOY
9. キスをしようよ
10.This is Love
11.Keep Tryin’
12.COLORS
13.Be My Last
14.Passion
15.メッセージ

テンポを混ぜて、アップと休憩を交互に出来るように工夫。
歌としては2.13.14.15が、アップ目的としては1.8.910が早い比較的早い段階から使われていたように思われる。
ダンス・ランニング等に少し足りないくらいのテンポがタップの復習には最適だった。

ジャージ等
意識的に可能な限り「色」に気を使ったつもり。今回はキャスト決定前からすでに、個人的にではあるが、明確に「イメージカラー」というものがあったので、稽古の段階から何らかの形でなるべく取り入れてきたつもり。
取り入れておくと自分のテンションが変わる。


1ステ  12/15(金) 19:00~
8:25頃起床。予定より約30分の寝坊。
共演者がたまたま電話をしてきてくれたから起きれた?かなり危険だった。
10:00 小屋入り→仕込みの残りを仕上げ等。
14:00からゲネ。ゲネの結果は覚えていない。
17:30までにおにぎり2個(買出しをかねた共演者1名と共にダイエーで購入。一瞬はぐれ、少し焦った)チョコ、お茶で腹ごしらえ。歯磨きを済ませ、コンタクトを装着。
17:30から個人でアップ。ゲネで結構声を出したので発声は殆どやらない。
MDを聞きながら再度、柔軟から開始。ある程度ほぐれていることを確認後、舞台を歩き回る、駆け回る、ジャンプ、急制動など。縦横斜。平台の階段を思いつく限りの角度から攻める。時折隅で、ダンス・格闘技の動きを混ぜる。
目的はアップ&「舞台と仲良くなる」
最後に小笠原と2ndシーンをあたる。
いつもの「儀式」の後、18:20頃、楽屋へ。
(前後して全員で円陣を組んで気合いをいれたはずだが、アップの前後が不明)

楽屋にて
18:25頃から着替え(タンクトップ・ズボン)→メイク→着替え(パーカー)
その間、殆どMDは聞きっぱなし。
鏡越しに共演者達を観察。目に入れて良い人と悪い人を選別。

愚痴
個人的には(役にもよるが)直前まで無駄話していても多分演じることは出来る。
話していたせいで、舞台に上がった途端に必要以上に緊張してしまうというような事は無いタイプのはず。リラックスして過ごすことも否定はしない。が、緊張感を無くし過ぎるのは如何なものか。同室に集中したい役者が居るかもしれないのに、その無神経さはなんなのか。お客様から時間とお金を割いて頂くという自覚はあるのか。その姿がスタッフや協力者にどう映るのか考慮したことはあるのか。完璧であれとは思わないが、あまりにも配慮・思慮・責任に欠ける役者が多くは無いだろうか?
そういう連中を直視してイライラしてコンディションを狂わせてきた経験が既にあるので、極力無視。

で、18:50頃、上手で待機の役者は移動。その前に、その場に居合わせた面子で再度円陣を組む。(たしかそんな流れ)

自分も上手組だったが敢えて移動せず。17:55まで下手の楽屋で待機。
約30分、殆ど会話せず。

18:55 信頼できる面子と掌で意思の確認。一人で上手へ移動。MDは置いていく。

結果
個人的充実感は得られたが、全てのシーンにおいて。とは言い難い。
大人数のシーンになる程、役として存在できず、他の役者さんに対しての「走ってる」「集中が足りてない」「上滑りになってる」など、第三者的目線が濃くなってくる。
要するに自分もある意味で集中できてない。
役としてではなく、仲間を案じる一個人に成り下がってしまった。

相手役がしっかりしていればキチンとそこに居られるが、周りが崩れた時、崩れそうな時に、それを補って余りある技術や集中力は、まだ無い。ということだろう。

内山先生に「台詞は出すばかりではダメ。飲む台詞もあると演技にコクが出る」と言われる。

その時は分からなかったが、後に、初日の自分は「声を出さなきゃ」と気を張っていたことに思い当たった。2ステ以降、意識的に台詞を「飲んだ」覚えは無いけれど、内山先生から良くなったと言われた。(勿論お世辞もあるだろうけど)
声を出そうと頑張るのをやめたら(というか、お客さんが入った状態での声量・音量の確認を無意識のうちに出来たので?)2ステ以降、下手に気を張らなくなって、その分自由に立ち振る舞えるようになったんだと思う。結果、桜子の心情に素直に沿って喋れて、必然的緩急・強弱が殺されなかったのでは?と勝手に分析。

演出より全体に向けて
「1年間の積み重ねがまったく無い」「出されてきたダメを思い出せ」と厳しいお言葉。
凹む人有り、落ち込む人有り、我にかえる人有り?分からないけど、初日が終わって浮かれ気分だったであろう一部の役者が意気消沈。
後に個人的に演出に確認したところ「周囲を煽るためだから、君とかは真に受けなくてよい」と言っていただく。

個人的分析
半分は、というか、一部の役者に対しては半分以上本気で言っていたと思う。自分も舞台の上にいて、そう感じる部分があったから。
でも、一部の役者に対しては、まったく気にする必要のない言葉だったと思う。

責任もって取り組んでいれば、恐れるに足らない言葉。のはず。
偉そうだが、確認を取る前から「自分のことじゃない」と思って聞いていた。勘違いだったらやだな。

余談
先生は「キチンとやっていれば演出のダメが怖くなくなる。キチンとやってれば、演出や監督から自分の考えと違うことを言われても、場合によっては『何言ってんだ?分かってねぇな』くらいに思える。
怠けてる役者は落ち込むか、慌てるか、虚勢張ってキレるか・・・。やってる役者は受け止めて消化できる」的なことを言ってた。
ま、そーゆーこった。
これって結果じゃ無い。過程の問題。だからこそ難しい事では無い筈。


補足
「周りが崩れた時、崩れそうな時」←台詞・動きの話ではない。あくまでも、その役者の個人的・内面的な集中力等が・・・という話。


あと3ステ分の記録、考えただけで草臥れる・・・。