みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

世界一運が悪い男 ~ヒロシマからナガサキへ~

2011年01月23日 03時07分10秒 | みう
こんばんにゃ。

タイトルを見て「???」の方はコチラ

「二重に被爆した人を「世界一運が悪い男」などとジョーク交じりに紹介」
と聞くと、ものすごぉぉぉぉくムカつく!

けど、

和訳したものを読んでみると、どうやらジョークのメインは英国の電車のユルさ?
(日本は原爆投下の翌日でも電車が運行しているのか!?
 英国の電車は数枚の落ち葉が原因でもダイヤが乱れるというのに…。的な)

という事が分かっても、やっぱり気分悪いな…。



限られた空間でのトークでもなく(TVなんて、あっという間に全世界に広がる)
風刺的なブラックユーモアでもなく(被爆者をネタにする必然性が感じられない)
核保有国の国営放送が、これは無いよなって思う。

(閉ざされた空間で風刺的に非核保有国の民間団体がネタにするならOKかはさておき)


今回の件、mixiとか見てると、思った以上に以下のような論調が多くて、ちょっとビックリしました。

「日本も戦争加害者だったのに騒ぎすぎ」とか、
「いつまでも被害者ぶるのはどうなの?」とか、
あと
「イギリスと日本じゃ被ばく者に対する感覚が違うのは当然なんだから怒るのも大人げない」とか。


自分は怒っていいと思います。
「一つも罪のない者だけが彼女に石を投げなさい」とは異なる状況だし。

それに、怒らないと伝わらないと思うんですよね。
「笑いに出来ないくらい辛い事があったんですよ」ってことが。
感覚が違うなら余計に伝えなくちゃと思う。

怒りや悲しみをぶつけて、どうしてそんなに怒るのか・悲しいのかをちゃんと説明して
理解してもらえたらと思う。
抗議して、謝罪して、「以後触れません」ってなるんじゃなくてさ。

で、多分、核の怖さについて話す時、
どこよりも強いメッセージを発する事ができるのが日本だと思うから、
同じ事が繰り返されないためにも、ちょっと過敏なくらいにでも反応していいと思うし、
発言していいと思うな。


だいたい、戦争の被害者をラッキー・アンラッキーで分けるなんて出来るのか?
だいたい、生放送でもあるまいにBBCで誰一人「これNGじゃね?」って言わなかったのか?
なんか、腑に落ちません。


余談ですが、9.11やユダヤ人迫害やベトナム戦争や奴隷制やインディアン迫害を
同じように取り扱ったら、世界はどんな反応をするのでしょうか?

ちょっと気になるにゃあ

哲学の道

2011年01月23日 00時55分58秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ。

誰かに吹き込んだり、ウェブでつぶやいたりしても
まったく反応のない「ハーバード白熱教室」(NHK教育でやってた)ですが
自分は相当ハマりました。

内容はハーバード大学で行われている、マイケル・サンデルという先生の
政治哲学の講義の録画なのですが、これがめっぽう面白い!

大学を出ていない自分でも、
大学に入学していない自分でも、
高校の授業をまったく聞いていなかった自分でも、
中学をサボりまくっていた自分でも、
九九を言えない自分でも、
面白い!

哲学という学問(?)は誰でも参加できるところがいいなと思います。
特別な知識がなくても、誰でも、感覚的にとらえる事の出来る学問なんだと思います。
(それはサンデル先生の授業の進め方のうまさもありますが)



自分にとっては「正しい事」「正義」「道徳」について考えるのは
楽しい事ばっかじゃないです。

自分で、自分の思う「正しい」に相反する行動をとってしまう事もしょっちゅう。
多くの人が考えているはずでも世の中はそう簡単に変わらないっていう現実。
そういう自己嫌悪や厭世感に苛まれる機会が増えてしまう。

考える事をやめれば、そういう苦しみからは解放されるのかもしれない。

でも、自分はそんなのヤダなって思います。

「人間らしさ」って色々あると思いますが(二足歩行とか、火を使うとか)
私はやっぱり「言語的思考が出来る」ってのが一番かなと今は思います。

だから、それは辛くても大事にしたいなと思ってます。


満足した豚であるよりも、不満足な人間の方である方がいい。
満足した愚者であるよりも、不満足なソクラテスである方がいい。


まぁ、まだまだグシャグシャの愚者ですけど、ソクラテスには遠く及びませんけど、
でも、
満足したみうであるよりも、不満足なみうである方がいいんだと思います。きっと!


にゃあ