みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

怖い?怖くない?~シーベルトの話~

2011年07月29日 23時35分37秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

神奈川県に住んでる私は
『放射能、怖いよね』
みたいな言葉が、基本的にピンとこない。

もちろん想定外の高い数値が出た!とか、食肉出荷停止!とか聞くとギクッとするけど。

特別に政府に対して信頼が有るとか無いとかいうこともなくて、なんとなく
『直ちに健康に被害が出そう』になったら、何がしか通達もあるだろう…みたいなユルいノリである。

多分、これが巷で噂の『思考停止』ってやつだな。



少しだけ体弱い30過ぎの私は、多分もう折り返し地点付近だし、放射能の影響がハッキリ出る前にポックリな気もする。

今まで散々東京電力の電気を使ってきたんだから、怖いとか言う権利はない気がする。

なんてのも、後付けの理由というか、あくまでも『怖くない』『怖さを感じられない』ってのが先にあるから展開される理論だなとは感じる。
間違っても潔さとか、そーゆーもんじゃない。

だから、『怖くない派』の方々が『怖い派』の方々を小馬鹿にしたり、臆病者扱いするような事はあっちゃいけないと思う。


逆に、怖い派の展開する色々な理論も、まず怖さありきにも聞こえる時もある。

たとえば『政府の言うことは信用できん!』とかも、信用出来ないから怖いんじゃなくて、怖いから信用出来ない。的な?
(たしかに信用は出来ないけど…)

上手く言えないけど、不安や恐怖があって、それをなだめたり発散するための『反応』的な言動も多少は混ざってる気がする。
(それが悪い事って意味ではないです)

私も、妊娠したり、子供がいたりしたら、また違った反応だったとも思うし。



放射能が、具体的に人体にどう作用するのか、キチンとイメージ出来てる人って多分殆どいなくて、だから、そこから喚起される恐怖心はあまりにも人それぞれで、しかも命に関わることなだけに感覚は本能的で、意見は譲りがたく、よほどクリアな数値やデータやイメージや実例がない限り、みんなで共通の認識を持つのは難しいんだと思う。

なんか、ある意味で未知の伝染病みたいな感じ?


目の前にお腹を空かせたヒグマが現れた時に、命の危機や死の恐怖を感じてる人を、誰も大袈裟だとか臆病だとか思わないだろうし、
三輪車で近づいてくる2歳児に恐怖心を抱かない人を、鈍感だとか危機管理意識に欠けるとかは誰も思わないと思うから。




そんな『怖くない派』の私ですが、怖いことがある。

『福島に行くんだ』
『福島に行ってきたんだ』

これを人に伝えるべきか、会話の最中、コンマ2秒くらい逡巡する。

きっかけは、怖い派の友人からのアドバイス。

『福島に行くって、あんまり人に言わない方がいいかもよ?』

そいつ自身はツマラナイ差別とかはしないと信じてる。

でも、その(福島入りしたという)事実は、時として人に恐怖心を抱かせることがあるって可能性と、その誰かの恐怖心が悪気はなくとも私を傷つけるような行動を引き起こす可能性があることを心配してくれてるんだと思う。
(買いかぶりすぎ?勘違い?)

ニュースでは、福島からの転校生がイジメにあったり、福島ナンバーの車が給油拒否にあったりって情報を聞いていたけど、なんだろう…
怖い派の人の意見を初めて身近に、リアルに聞いた気がする。


私は軽いノリ(?)で、ちょっくら行ってくるっす!くらいの感覚だったけど、その距離感や感覚の違いのズレの大きさを初めてリアルに感じた。

原発離婚、あり得るなって理解はしてたけど、なんか、ホントに実感した。


私は、色んな事を、軽く考えすぎているのかもしれない。
キチンと向き合えていないのかもしれない。

私の想像をはるかに超えて、震災における『人間関係』という事態は、人を傷つけてたり、傷つけられたりしているのかもしれない。


嗚呼、でも、とにかく明日は頑張ろう。

私はこれから南相馬に行ってきます。
だにゃあ。