みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

厄年だから?

2011年11月28日 13時05分14秒 | みう
こんばんにゃ。

10月の熱海殺人事件が終わって早1ヶ月、なんだかグダグダの自分です。

まず、前回の芝居で初めて深刻な声嗄れに悩まされましたが、未だに喉の調子が悪いです。

更に右下の親不知を抜きました。
翌日、翌々日は大して痛くなかったのに、今更ジンジンします。

ここが落ち着いたら逆サイドの親不知も抜くのですが、そっちは生えてない歯を、歯茎を切開して引き抜くので、さらに手こずる予感。

その上、右目がモノモライorz
こんなに腫れたのは初めてです。
市販のモノモライ用目薬も効かないし、頭痛まで引き起こしてきたので観念して眼科に行くことにしました。

増えた右踝も相変わらずだし…

やれやれだにゃあ

50/50 熱海殺人事件

2011年11月28日 04時50分21秒 | みう・しばい
某作品について、無責任で無遠慮な感想などなど。

…本について…

脚本はいい。
あの名作を、よくテイストを崩さずにオリジナリティや時代性を含ませ改稿したなと感心。
しかし、大山を工員から芸人に変えたのは素晴らしいアイデアだと思うが、その現代的悲劇性が十分に生かされていないようにも感じた。
芝居全体はやや長いと感じたが、名物の劇中劇は1.5~2倍の長さがあってもいいのではないだろうか?(あの役者たちで持つのかは別として)
特に、原作の『工員・田舎者・不細工』という設定が頭に沁み込んでいる者としては、熱海の流れの中で芸人の悲劇を理解するのは難しい。
かと言って、言葉で説明されては興ざめ。
芝居でしっかり伝えるためには、シーンの積み重ねが不可欠だったのでは?

今回の本では、大山の空回りがともすると『ソープ勤めをしられたアイ子の気まずさからくる冷たいあしらい』にしか見えず、アイ子のソープ嬢の種明かしがある前の段階で、楽しげな空気と空回りの予感だけでも表現してほしかったような気もする。


…芝居について…

芝居全体はやや長すぎる。
破壊ランナー、笑点、80年代の笑いの再現シーンなど、カットするなりもっとコンパクトにまとめられなかったのだろうか?
この長さの中では、特に犯人の自白(劇中劇)後からエンディングまでは長さが目立ち、しつこい印象になってしまう。

明滅する照明の中で部長の美学と横暴ぶりを表現しているであろうシーンはテンポが悪すぎる。
部長が一人で踊るシーンはともかく、その前の暴力シーンと女たちのシーンは2倍速でやってほしい。

犯人・大山が去ってからも少々長すぎる。
ここまでが1時間半なら問題ないが、相鉄本多で2時間見て、その〆にはキツイと思われる。
観客に『終幕、まだ?』と思われたら、芝居の敗北である。


…役者について…

役者の仕事はセリフを覚えることではない。
しかし、役者の仕事はセリフを覚えなければ始まらない。

覚えたセリフをそれらしく読むのが精一杯という役者がいた事はとても残念だし、観客やスタッフや共演者や原作者に対する無礼・冒涜と言われても仕方がないだろう。


部長は、まず出だしのインパクトが足りない。
映画版の仲代達也よろしく、渋めに決めたかったのだろうが、カメラワークというものが存在しない舞台で、あのアクの強い部長を演じる上で、その芝居では通用しないだろう。
アダルトな魅力ならあとから幾らでも追加出来るはず。幕開けには相応しくない。
加えて相鉄本多という劇場に、余裕こいた芝居は基本的にはおそらく似合わない。
誰のどういう判断で、そういう事になってしまったのか…残念。

また、部長役は力のある役者なのは疑いようのない事実だが、その力が自分自身のためにしか使われていないようでもったいない。
あるいは出し惜しみ?

ほんの少しの確認でキレイに決まりそうな動きが雑だったり、小気味よく決めたいセリフのテンポが雑だったり…

また、もっとキャラの振れ幅が大きければ面白いのにと思わされもした。
まごうことなき主役である部長だが、部長が主役であるためには奇怪とも思えるキャラが『これでもか!』というほどに立っている必要がある。

一般的に主役というのは観客が共感する人物ということになるが、勿論例外もある。
古畑任三郎の古畑などはいい例だろう。
この場合、視聴者は古畑に共感はしていない。しかし古畑のキャラが非常に濃く、意外性があり、魅力的なので、主役として物語を引っ張っていけるのだろう。

熱海では、ともすれば熊田や大山の方が観客は感情移入しやすいが、それでは熱海殺人事件とは言えない。
よしんば大山を主役とするならば、大山の出番までに、これから登場する犯人の存在をもっと煽る(ミスリードだがw)べきだし、劇中劇も濃くていいはずだ。
しかし、そうはならない。(少なくとも、この熱海殺人事件では)
ならば部長がキチンと主役を演じなければならない。
だから、部長にはもっと徹底的に悪ふざけをし、人を食ったような振る舞いをし、油断させて決めるところはビシッと決める。という事をしてほしかった。
しかし、軟のシーンはやっつけ仕事的な中途半端さが、硬のシーンでは無駄に控えめともいえる中途半端さが感じられ、基本的には上手でセンスもあることがヒシヒシと伝わってくる役者なだけにじれったい。

あと、基礎、というか鍛錬?反復?
セリフはキチンと喋りましょう。



熊田は死んでいる。体と表情が。
どれだけ眉間にしわを寄せ、口を大きく開こうとも、目が死んでいる。
また、同じ表情が多い。
まさに『作りもの』である。

おそらく熊田は気持ちが動く前に顔や体を動かしているのであろう。
よって、稽古を重ね、役を理解し、気持ちが動くようになってきても、その頃には既に『作りもの』の表情と動きが沁みついており、顔も体も、心に連動できなくなっているのではないだろうか?

また、自分がセリフを言う時には力いっぱいだが、他人がセリフを言っている時は邪魔な場合すらある。
『成り行きを見守る』とか『ただそこにいる』という事が、まったく出来ていないのである。
これも、役を理解し気持ちが出来てくれば解決しそうなものであり、その点でも死んでいると言わざるを得ないだろう。
もし彼女が出番は多いがセリフは少ない水野をやっていたら、いい勉強になった事だろう。

全体的に単調な芝居がしつこく、出ずっぱりでは見ている方は飽きてしまう。
長時間の出演に耐える役者になるには、彼女の場合は『柔軟さ』が必要不可欠?
一点豪華主義的な光るものも持っているので、もっと出番の少ない『オイシイ』役なら、グッと存在が際立ったことだろう。



水野は…一番語りにくいな(^o^;)
多分、華が無い。あるいは遊び心が足りない。
そこそこの器用さがあり、最低限のやるべき事はやっている。しかし、それだけでは魅力的な役者とは言えない。
水野には、やはり色気や妖艶さが必要不可欠だと思われるので、その点は至らないものであった。
人の世話を焼くのもいいし、特に今回は芝居を恙無く進行させるためには、誰かがしっかりしていなければならなかったけれど、もっと周りの役者を信頼し、甘えて、役者自身が奔放に芝居をすれば、それが自然と役の色気にも繋がったのではないだろうか?

また、動きに対する計算が垣間見える部分が惜しい。
ここぞというところでキメていれば、全てに細々リアクションをとらなくていいし、もっとボーッとしててもいいのでは?と感じた。

ところどころ水野らしからぬ『責任感』が透けて見えるのが残念。



大山は、稽古に比べたら大躍進。セリフはよくノッていたと思う。
課題は顔と体。
熊田同様、気持ちが動く前に筋肉の動きを決め、気持ちの動きが生まれた時の軌道修正が難しい様子と、根本的な動きの引き出しの少なさが気になる。
少ないパターンの中で全てを振り付けていては、おおよその絵柄は判別できても決して完成には至らないピースの足りないパズルのようである。
少々キツイ行為になるが、自分の芝居を客観的に観察し、自分の動きと表情のクセを認識するところから始めれば、可能性は広がるかもしれない。



…演出について…

裏を知っているからそう思うだけかもしれないけれど、一貫性がないように見えた。
熱海という芝居が、そもそも真面目に事件を追って解決という筋書きではなく、あちらこちらへフラフラしながら、いつの間にか核心に迫っていたり、肩すかししたり…というストーリーで、登場人物も一筋縄ではいかないキャラが多いだけに、演出が筋を通さないと、本当にカオスな作品になってしまう。

今回は本に支えられ、最低限の筋はあったが、それでも『この作品を、こう見せたい』『これだけは届けたい』『ここは譲れない』というような作り手の意思が淡いように思われ、そのせいか感動が薄い。

何故、今、熱海殺人事件を上演しようと思ったのか…

欲張りすぎて枝分かれなのか、欲無さ過ぎて幹が細いのか、分かりませんが、なんだかなぁ。

その意味では、福山、幸江、山田は被害者と言えるのかもしれない。
自分で作る、持ち込むは当然の仕事だが、方向性が分からなければ深めるのは難しく、強烈なキャラを打ち出すのは怖くもなるだろう。
3役がいわゆる『オイシイ役』であるにも関わらず、今ひとつ強烈な香辛料となりえなかったのは、役者だけのせいとも言えないように思われる。



でも、面白い!

散々辛口ですが、ラニョの中では5本の指には入れるはず。
15本の中でだけどw