こんばんにゃ
木曜日に、野田MAPの
足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜
(ときあやまってふゆのゆうれい)
見てきた!!!
昨年の「逆鱗」は雷に打たれるような、身悶えするような「ウォォォォッ!」ってなる激情が走ったけど、今回は最後の最後に「じわわわぁぁぁ〜ん」ときた。
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
って事で、やはりというべきか、東京芸術劇場に花道、回舞台、すっぽん、下座がある。
音響も、生音の拍子木や鼓などなど多用。
色合いは淡いけど、定式幕っぽいものも使われてる。
そういう、いかにも歌舞伎なものが、とってもキレイに野田MAPの舞台と調和してたと思う。
物語は江戸時代(から、まさかのノージャンプ!信じられない!)、幕府の目をかいくぐり、禁止されてる女歌舞伎を上演する一座に、蘇る死体?売れない幽霊小説家と、由井正雪を慕う戯けた浪人と、死体の腑分けを目論む医者が加わり、いつかはお城で演じたいと願う看板踊り子の三、四代目出雲阿国の弟サルワカは、踊りに筋をつけて芝居にしようにも、若き日の野田氏のごとく難解な本しか書けず、幽霊小説家がゴーストライターとして作品を乗っ取り、大衆受けする芝居に書き換え、ついにお城の舞台にたどり着く頃には、足跡姫に半分自分を乗っ取られかけてる三、四代目出雲阿国。
徳川家ナントカの前で踊るためにきた出雲阿国と、その体に宿った家ナントカの命を狙う足跡姫。どーなるどーなる!?
みたいな話。たぶん。
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、勘三郎の「か」の字も出ないまま物語は進みます。
が、最後の最後にはちゃんとたどり着く。それが、力技みたいなセリフだけど、そのセリフに到達させる伏線もちゃんとある。
力技なんだけど、御都合主義にならない脚本の妙と、始終跳ね回る野田の舞台で、身じろぎもしないで、そこに「いる」「しゃべる」だけで、そのセリフを昇華させてる妻夫木聡がすごい。
出雲阿国を演じてる宮沢りえさんも、良い舞台役者になってきたなぁ。と、どこ視点かわからない視点でシミジミにやにやしとるんじゃ。
が、もっとすごいりえさんを見ているので、千秋楽までに、まだまだ出雲阿国と足跡姫は極まれる気がする。
こんなもんじゃないはず!
鈴木杏ちゃんが、期待してたけど、思った以上によかった!
無邪気だけど透明感はない。バカだけど計算高い。あけすけなのにエロイ。パワフルだけど力んでない。役としても、役者としても、色んな要素が絶妙に乗ってて、複雑なのに真っ直ぐによく届く。
今後がますます楽しみ。
池谷のぶえさんも、野田で見るの久々だったけど、立つとこ立って、馴染むとこ馴染んで、この座組の中で適度な存在感。また出てほしいな〜。
佐藤隆太さんは、もうちっと濃い役で見てみたいかな。
最近テレビでも演じる役の幅が広がってきたので、この2〜3年の過ごし方で、今後が大きく変わりそう。
中村さんは、自分の見た回では、ちょっと調子がイマヒトツだったかなぁ(^_^;)
アンサンブルの人たちも良かったと思う。もう少し前の方の席なら、もっと群衆の中の個性がよく見えたかなぁ〜と思うとじれったい。
古田新さんはまるでコンマスだった。舞台上にいながらにしてみんなを引っ張ってる感じ。オラオラ前に出てくるわけじゃなく、力が抜けてて、遊んでるのにダラけないで、器が大きくて、こういう人が舞台上にいてくれると、周りも安心して全力出せそう。
指揮者の野田さん、ソリスト的なりえさん&妻夫木くんとはまた違った形で、この座組みを引っ張ったりまとめたりしてるんだと思う。
顔ブッサイクだけど、存在がカッコいい!
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、テーマは歌舞伎だけじゃなかったと思う。
もっと広く、「いのち」とか、「舞台芸術」とか、限りある、今だけの、とじこめられない、その瞬間だけの、絶対消えちゃう、のこせないもの。
そういうことだったと思う。
(流行りに乗ってレガシーとか言ってる人たちとは、向き合い方が違うと感るわ。)
あの日に見た、あの桜吹雪が素晴らしくって、写真や動画には写らない、花びらが舞う時の空気の振動とか、木の幹のザラザラした手触りとかも大事で、来年も咲くけど同じじゃなくて、いつかはこの木も死ぬけれど、同じじゃ無くても何か遺したくて、繋ぎたくて、枝を手折って挿し木をして育てる。どうかキレイに咲いてほしい。
みたいな。
そういう意味では、幕に描かれていたり、足跡姫の足跡で描かれたり、最後に壁一面に現れたり、メタファーとして「桜」の使い方が素晴らしかった。
裏テーマ的には、野田くんらしく「虐げられる者」ってのがあったと思う。
大衆・強者の都合で奪われ潰されていく少数・弱者に光を当てずにはいられない性なんだろうな。
ただ、1〜2代目出雲阿国の病が癩病とまでは言わないにしても、タタラ場のシーンに近現代の戦争の映像を重ねるのは、個人的にはやりすぎかなと。
そこまでやらなくても伝わるって信頼を、我々観客が得られてないのが少し悲しくもあり、現実的な判断って気もする。
そして、少しだけ個人的な話を。
自分は数年前までアマチュアで芝居をやってました。
生来の怠け精神と、様々な限界と、新たなライフワークになるかも?と思えるものに出会い、今は身を引いています。
新たなライフワークとして旅を始めました。
と言っても、何もかも捨てて世界一周とかでは無く、普通に仕事して、図々しく連休とって、行けるところに行ってるだけですが。
1人の旅先では、ホントに元気になれるし、我ながら生き生きしてると思う。
だけど、少しだけ、ほんの少〜しだけ、物足りない気がする時もある。
芝居、やりたいな。
もしかしたら、いつの間にか、私にとって地球上で一番遠い場所は、ブラジルじゃ無くて、南極でもなくて、板の上になってしまったみたいです。
(実際問題、その気にさえなればブラジルと南極は行けちゃうし)
カーテンコールの最後の最後、野田さんが1人で舞台に出てきた時、いつもと違って、正座してお辞儀をされてたのがとっても印象的だった。
芝居とはまた違った形でこころを動かされた。
とにかく幸せな2時間半だったんだにゃあ
木曜日に、野田MAPの
足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜
(ときあやまってふゆのゆうれい)
見てきた!!!
昨年の「逆鱗」は雷に打たれるような、身悶えするような「ウォォォォッ!」ってなる激情が走ったけど、今回は最後の最後に「じわわわぁぁぁ〜ん」ときた。
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
って事で、やはりというべきか、東京芸術劇場に花道、回舞台、すっぽん、下座がある。
音響も、生音の拍子木や鼓などなど多用。
色合いは淡いけど、定式幕っぽいものも使われてる。
そういう、いかにも歌舞伎なものが、とってもキレイに野田MAPの舞台と調和してたと思う。
物語は江戸時代(から、まさかのノージャンプ!信じられない!)、幕府の目をかいくぐり、禁止されてる女歌舞伎を上演する一座に、蘇る死体?売れない幽霊小説家と、由井正雪を慕う戯けた浪人と、死体の腑分けを目論む医者が加わり、いつかはお城で演じたいと願う看板踊り子の三、四代目出雲阿国の弟サルワカは、踊りに筋をつけて芝居にしようにも、若き日の野田氏のごとく難解な本しか書けず、幽霊小説家がゴーストライターとして作品を乗っ取り、大衆受けする芝居に書き換え、ついにお城の舞台にたどり着く頃には、足跡姫に半分自分を乗っ取られかけてる三、四代目出雲阿国。
徳川家ナントカの前で踊るためにきた出雲阿国と、その体に宿った家ナントカの命を狙う足跡姫。どーなるどーなる!?
みたいな話。たぶん。
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、勘三郎の「か」の字も出ないまま物語は進みます。
が、最後の最後にはちゃんとたどり着く。それが、力技みたいなセリフだけど、そのセリフに到達させる伏線もちゃんとある。
力技なんだけど、御都合主義にならない脚本の妙と、始終跳ね回る野田の舞台で、身じろぎもしないで、そこに「いる」「しゃべる」だけで、そのセリフを昇華させてる妻夫木聡がすごい。
出雲阿国を演じてる宮沢りえさんも、良い舞台役者になってきたなぁ。と、どこ視点かわからない視点でシミジミにやにやしとるんじゃ。
が、もっとすごいりえさんを見ているので、千秋楽までに、まだまだ出雲阿国と足跡姫は極まれる気がする。
こんなもんじゃないはず!
鈴木杏ちゃんが、期待してたけど、思った以上によかった!
無邪気だけど透明感はない。バカだけど計算高い。あけすけなのにエロイ。パワフルだけど力んでない。役としても、役者としても、色んな要素が絶妙に乗ってて、複雑なのに真っ直ぐによく届く。
今後がますます楽しみ。
池谷のぶえさんも、野田で見るの久々だったけど、立つとこ立って、馴染むとこ馴染んで、この座組の中で適度な存在感。また出てほしいな〜。
佐藤隆太さんは、もうちっと濃い役で見てみたいかな。
最近テレビでも演じる役の幅が広がってきたので、この2〜3年の過ごし方で、今後が大きく変わりそう。
中村さんは、自分の見た回では、ちょっと調子がイマヒトツだったかなぁ(^_^;)
アンサンブルの人たちも良かったと思う。もう少し前の方の席なら、もっと群衆の中の個性がよく見えたかなぁ〜と思うとじれったい。
古田新さんはまるでコンマスだった。舞台上にいながらにしてみんなを引っ張ってる感じ。オラオラ前に出てくるわけじゃなく、力が抜けてて、遊んでるのにダラけないで、器が大きくて、こういう人が舞台上にいてくれると、周りも安心して全力出せそう。
指揮者の野田さん、ソリスト的なりえさん&妻夫木くんとはまた違った形で、この座組みを引っ張ったりまとめたりしてるんだと思う。
顔ブッサイクだけど、存在がカッコいい!
4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、テーマは歌舞伎だけじゃなかったと思う。
もっと広く、「いのち」とか、「舞台芸術」とか、限りある、今だけの、とじこめられない、その瞬間だけの、絶対消えちゃう、のこせないもの。
そういうことだったと思う。
(流行りに乗ってレガシーとか言ってる人たちとは、向き合い方が違うと感るわ。)
あの日に見た、あの桜吹雪が素晴らしくって、写真や動画には写らない、花びらが舞う時の空気の振動とか、木の幹のザラザラした手触りとかも大事で、来年も咲くけど同じじゃなくて、いつかはこの木も死ぬけれど、同じじゃ無くても何か遺したくて、繋ぎたくて、枝を手折って挿し木をして育てる。どうかキレイに咲いてほしい。
みたいな。
そういう意味では、幕に描かれていたり、足跡姫の足跡で描かれたり、最後に壁一面に現れたり、メタファーとして「桜」の使い方が素晴らしかった。
裏テーマ的には、野田くんらしく「虐げられる者」ってのがあったと思う。
大衆・強者の都合で奪われ潰されていく少数・弱者に光を当てずにはいられない性なんだろうな。
ただ、1〜2代目出雲阿国の病が癩病とまでは言わないにしても、タタラ場のシーンに近現代の戦争の映像を重ねるのは、個人的にはやりすぎかなと。
そこまでやらなくても伝わるって信頼を、我々観客が得られてないのが少し悲しくもあり、現実的な判断って気もする。
そして、少しだけ個人的な話を。
自分は数年前までアマチュアで芝居をやってました。
生来の怠け精神と、様々な限界と、新たなライフワークになるかも?と思えるものに出会い、今は身を引いています。
新たなライフワークとして旅を始めました。
と言っても、何もかも捨てて世界一周とかでは無く、普通に仕事して、図々しく連休とって、行けるところに行ってるだけですが。
1人の旅先では、ホントに元気になれるし、我ながら生き生きしてると思う。
だけど、少しだけ、ほんの少〜しだけ、物足りない気がする時もある。
芝居、やりたいな。
もしかしたら、いつの間にか、私にとって地球上で一番遠い場所は、ブラジルじゃ無くて、南極でもなくて、板の上になってしまったみたいです。
(実際問題、その気にさえなればブラジルと南極は行けちゃうし)
カーテンコールの最後の最後、野田さんが1人で舞台に出てきた時、いつもと違って、正座してお辞儀をされてたのがとっても印象的だった。
芝居とはまた違った形でこころを動かされた。
とにかく幸せな2時間半だったんだにゃあ