みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

艱難辛苦の原因論

2017年03月20日 02時33分15秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

いま、めっちゃ恋人とか欲しいのですが、いません。
てか、長年いません。

それを
外見のせいだと思いたくない反面、
外見のせいであってほしいと思っています。

自分の場合、外見も内面も決して褒められたものではありませんが、
世の中には、同じような方々もたくさんいると思いますし、
それでも素敵なパートナーと、ハッピーライフを楽しんでる方も、大勢いると思います。

結局は運なんだ。
そう思いたいし、
実際、そういう部分もあると思います。

分かっているけど、
それでも外見や内面の事を無視することはできません。
そして、無視できないからこそ、若干の惨めさや虚しさを感じます。


これは、いじめられっ子などにも共通する思考回路だと思うのですが、
「偶然」とか「運が悪かった」では納得できないのだと思います。
今の辛さや寂しさが、「運」で片付けられるなんて理不尽だし、
もしそうなら、自分の力で脱出できる可能性がとても低く感じられてしまいます。

「いじめられても仕方がない」
そう納得したくて、
少しでも理不尽を解消したくて、
わざわざ理由を見繕うのです。
「自分に至らない点があるのだろう」と。
そして、いじめられても仕方がないと、自分を納得させるのです。
いわば、因果関係の捏造です。

余力があれば
「そこさえ直せば状況は変わるかも」と、しなくていい努力を始めることもあるでしょう。

余力がなければ
「でもそれは自分ではどうしようもない事だ」と、諦めるでしょう。
そして、理由があることを理由に、この状況を受け入れて、どんどん傷ついていくのでしょう。


本当は、今自分の身の上に起きていることの大半は、「運」であり「偶然」なんだと思います。

その理不尽さを受け入れてしまうことが、強さと幸せへの近道なのかもしれないんだにゃあ。