12月に入り、全社一斉に土日祝日が休みになっております。 (決定したのは11月)
もともと私は今の会社に 「休日出勤要員」 として入社いたしましたので、入社当時の公休は 「年末年始」 だけだったのよ (笑)
その代り当時は振替休日も多く、平日休みがたくさんあったので、振替休日だけで9月に長期休暇を取り、軽く3~4泊の旅行もできたのですが・・・長い年月を経て、会社全体の夏休みが設定され、日曜と祝日が休みになり、そしてとうとう土曜日まで休みになりました。
まったくもって昔日の感あり。
まぁ、そんな訳で、土曜日の振替休日が取れなくなったのは、旅行好きの私にすると、実はちょっとした痛手でもあったりいたします。
さて。
振り返りますと、今年の私は、結構遠い所に旅行に行っておりますが、なんとすべて 「1泊2日」 でした (笑)
ゴールデンウィークの 「盛岡・宮古」
夏休みの 「大歩危・高知」
そして・・・・・・・・11月30日から1泊2日で、 「平泉・気仙沼」
実はもっと早い時期 (10月頃) に行くつもりだったんですが、東北の紅葉時期とかぶって宿がとれず、しかも前述の経緯から平日の休みも取れず・・・・。
そんなこんなで、日程を吟味する時間はたくさんあったのに、世界遺産に選ばれている平泉の歴史にはほとんど触れることなく、調べたのは相も変わらず 「食い物」 ばかり (爆)
まぁいつものことですが (笑)
↑ 新幹線の中で食した駅弁
新幹線で一関経由、ドラゴンレールで知られる大船渡線に乗り換えて、気仙沼に降り立ったのは、11月30日の正午をちょっと過ぎた時間でした。
気仙沼の駅は、気仙沼港から直線距離で約1.5キロ。
高台にある気仙沼駅周辺は、あの日の津波をギリギリ避けることができたわけですが、目と鼻の先ともいえる気仙沼港周辺は、今なお、家の土台のみが累々と続いております。
気仙沼で半日レンタカーを借り、まずは陸前高田へ。
陸前高田の海岸線に存在していた7万本のクロマツやアカマツからなる美しい松林 「高田松原」 は、あの日・・・ほぼすべての松がなぎ倒され、一瞬にしてその姿を変えてしまいました。
白砂青松の景勝地に、たった一本だけ倒れずに残った 「奇跡の一本松」 も、塩害で枯死してしまいましたが、現在は復興を象徴するモニュメントとして蘇っています。
周囲は復興に向けた工事が急ピッチで進んでいますが、道の駅・高田松原跡や、一本松の後ろのユースホステル跡は、今もそのときの姿を露わにしています。
震災遺構の保存も今後問題になっていくのかも知れませんね。
この大震災を目の前にした私達の世代は、この未曽有の大津波を生涯忘れることはないと思いますが、これから何十年先の次の世代にどう受け継ぐかが問題なんですから。
過去の津波を現在に伝える石碑も三陸には数多く残っているのに、悲劇は繰り返されてしまいました。
我々も未来に向けて、何かを発信しなければいけないのだけど・・・考えても考えても今の私には分かりません。
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この日の宿は一関なので、大船渡線の列車時刻から逆算すると、沿岸部での滞在時間は5時間強。
既にお昼はとっくに過ぎておりますが、陸前高田から気仙沼に戻る途中の県道沿いで、ランチを頂きに 「復幸マルシェ」 の 「お食事処 塩田」 に寄ることにいたします。
私は 「三色海鮮丼」 、友人は 「ハーモニカ煮定食」 を・・・・・・って、なにそれ??
お店の女将さんに聞いたところ、 「ハーモニカ」 というのは、メカジキの背びれを煮付けた気仙沼の逸品で、なにやら、某TV番組で紹介されて以来品薄らしい。
時間をかけて煮付けたハーモニカの味は絶品だったらしく、食した友人は骨までしゃぶっておりましたw
↑ 食べる前の写真、撮り忘れましたw
お客さんの流れもちょっと途絶えた中途半端な時間だったため、店主ご夫妻と、居合わせたお客さんを交え、あれこれ話しつつもすっかり長居してしまいましたが、とっても貴重な時間となりました。
震災の1年後にオープンになった 「復幸マルシェ」
この地区も現在復興土地区画整理事業で盛り土対象地区になっているため、来年にはちょっとだけ場所を移転したうえで、営業を続けるそうです。
この復幸マルシェから数百メートルの鹿折唐桑駅 (休止中) 前は、あの日の大津波で打ち上げられた大型漁船 「第18共徳丸」 があった場所ですが、保存か解体かを慎重に協議した結果、今年の10月末に解体され、今はもうありません。
その後は気仙沼港前の 「お魚いちば」 や 「復興屋台村」 「気仙沼復興商店街」 に寄って・・・・・激しく食料を買いあさった (爆) 後、一路一関へ向かう我々でした。
かつて,高田の隣大船渡に勤務していたことがあり,高田松原付近にはよく遊びに行きました.当時そこには地域唯一のハンバーガーショップ(モスバーガー)があったりして,岩手県の気仙地区でいちばんオシャレな場所だったのを憶えています(某歌手所有のホテルもあった).
気仙沼も職場の仲間と飲みに行ったりしました(ひいきのお店は津波で流されてしまいました).
あの記憶は風化させてはならないですね.
おはようございます。
継続して支援ができないなら、被災直後には行くべきではない・・・・と感じていた私は、あの日から2年が経過し、被災地から復興地へ姿を変えつつある今年、ようやく行くことができました。
春の 「宮古~大槌」 、そして今回 「気仙沼~陸前高田」
私自身は、元気だったころのこの場所は、写真でしか知ることはできませんが、皇帝さまのように、思い出の場所をなくしてしまった人々は、全国にたくさんいることでしょう。
心が痛む風景はまだまだたくさんあったし、自分の店をなくしてなお、未来への信念を持って立ち上がった方々の話を聞いて、忘れないことが私の使命だと確信しています。
一人一人の 「幸せ」 が 「復活」 できるよう、今後も小さな応援を続けていきたいと思います。