吾妻はやとし大和武
嘆き給いし碓井山
穿つ隧道 (トンネル) 二十六
夢にもこゆる汽車の道 (長野県歌 「信濃の国」 より)
1997 年 10 月に開業された北陸新幹線 (当時は「長野行新幹線」) は、長野、金沢を通って現在は敦賀まで延伸されている。
この blog でも何度か紹介しているが、越後出身の母と、信濃出身の父をもつ私は、それぞれの実家へ行くために、必ずといっていいほど、この北陸新幹線の前身ともいうべき 「信越本線」 を利用していたのだ。
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私が語る 「信越本線」 とは、上野を起点に高崎~横川~軽井沢~上田を経由して直江津まで特急 1 本でつながっていた路線のことなのだが、この新幹線の開業を機に状況は一変する。
碓氷峠を挟む、横川-軽井沢間の路線は廃止となり、直江津に至るまでの路線も JR から一部が分断され、第三セクターの 「しなの鉄道」 「えちごトキめき鉄道」 への乗り継ぎが必須となった。
私の生まれ故郷である 「直江津」 まで、特急 1 本で行けた時代は、遠い過去のものとなる。
ところで、私が 「遠い過去」 と言っている信越本線は、電化された 1963 年 (昭和 38 年) から、新幹線が開通する 1997 年 (平成 9 年) までの話なのだが、実はこの路線の歴史は、それより遥か昔の 1893 年 (明治 26 年) までさかのぼる。
新橋-横浜間に、初めて鉄道が通ってからさほど時を経ずして、この急こう配の難所に鉄道敷設が計画されるほど、この信濃と越後をむすぶ鉄道路線は重要な道であったのだろう。
当初採用されていたアプト式 ( 2 本のレールの真ん中に敷設されたラックレールを、車両に設置された歯車を噛ませて急こう配を上り下りする) も、徐々に電化の道をたどり、この 「旧線」 のやや北に位置する場所に迂回路として 「新線」 が敷設されたのち、この勾配が 66.7 パーミルもあった 「旧線」 は 「新線」 にその道を譲り、しずかに廃線となっていったのである。
・・・・・・まぁ今となっては、新幹線にその道を譲った 「新線」 も廃線となっているのだが (笑)
さて。
2024 年の 「山の日」 に、この 「廃線」 跡を歩いてきましてね。
もう 「山の日」 イベントにはうってつけ。
そして、うすうすお気づきかとは思いますが、先月使用した 「青春 18 きっぷ」 を再度活用し、横川へ向かって各駅停車で GO! です。
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この横川から約 5 キロ離れた 「碓井第三橋梁」 が本日の目的地・・・・・なのですが、 「アプトの道」 として整備はされているものの名だたる急こう配の碓氷峠へ向かう往路は、なるべく歩きたくないのが本音。
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旧道を通る JR バスや、その他の方法を探っていく中で、横川駅前にある 「碓氷峠鉄道文化むら」 から 3 キロの地点までトロッコ列車が運転していることを知り、これに乗ることにする。
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途中駅 「とうげのゆ」 から 2 キロの廃線跡は歩くしかないが、整備されている 「アプトの道」 はそこそこ歩きやすく、トンネルの中は程よく涼しくてありがたい (笑)
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5 個目のトンネルを抜けると目的地 「碓井第三橋梁」 (通称・めがね橋)
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遊歩道を下りて、下から眺めるめがね橋に圧倒される。
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200 万個を超えるレンガで造られた日本最大の 4 連アーチ式鉄道橋。
もしかしたら、私は幼い頃、列車に乗ってこの橋を渡っているのかもしれないが、この橋は下から見上げることに意義があるわね。
帰りはアプトの道 (約 5 キロ) を歩いて横川へ戻ります。
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復路は下りだから、少しは楽 (笑)
碓氷峠を行き来する列車に電力を供給した、旧丸山変電所は国の重要文化財。
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たくさん歩いたご褒美は、もちろん 「峠の釜めし」
横川駅構内や駅前、ちょっと離れた国道沿いのドライブインでは、現在も全国的な人気を誇る 「おぎのや」 の 「峠の釜めし」 が健在である。
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幼いころから、もう何十回も食べている変わらない味。
やっぱり美味しい!
そして・・・・・懐かしい。
煉瓦の鉄橋と変電所に萌え〜
素敵だな!5キロ以上歩いた人のご褒美みたいな景色だよ
で、ふうさんのブログをネタ(前回の)にして、山の好きなお客様と話を広げました。
ありがとうね!
今度は、山の他に鉄道もお好きなお客様なんで、今回のお話しもじっくり読んで暗記(笑)して、仕事後のお話しでネタらせて頂きます!
後、全く関係ないですが、仕事の友人で最近、「血風録」栗山さん?だっけ?を見て、すっごい土方ファンになった方、います。
鉄にしても、土方さんにしても、ふうさんが友人になった方が、理想的だよね…
私は、ビジネス(笑)
えーっ! 私のblogネタでお客様とお話を広げられたとのこと、嬉しいですーーっ
今後もdeepな「テツ」ネタを提供できるよう、一生懸命精進いたします(違)
この「碓井第三橋梁」と「丸山変電所」は、あのレンガ造りで有名な(笑)東京駅よりも前に作られたものだと思うと、その景観のすばらしさとともに、感動モノでございましたよ。
現在は、この橋の下まで車で来て、橋を見ただけで帰ってしまう観光客が大多数とのことなのですが、この鉄路の歴史を噛みしめながら廃線跡を歩いてもらいたいなー(テツ丸出し)
栗塚さん、お元気かなー。
撮りためたDVD、また見たくなってきちゃった(笑)