
この前、お茶の水を徘徊した時、
イシバシのベテラン、白井さんから、
「こんなに楽器屋をまわる人はいない」的な
お言葉を頂戴した。
1984年。足利南高校を卒業して、
文京区の白山に住んでから、
基本、何の予定もなければ、
土日は、お茶の水の楽器店をパトロール(笑)
してきた。
「でも、どうして、こんなに
お茶の水に憑かれるのだろう」と考えた。
勿論、「お茶の水に沢山の楽器店が
集まり、面白い楽器がある」という
基本はあるが、
恐らく、東京住まいを始めた1984年に、
「何だ。この街は!!」と脳天を
ぶち抜かれる程の衝撃を受けたからでは
ないかと思う。
要素は、4つ。
1.「学生運動の立て看板」
2.「田舎には少ない強力なパンクス達が
大挙していた」
3.「エロ本の専門店。ビニ本ブーム」
むしろ、一番、最後のインパクトが
「レア楽器の存在」ということに
なるのかもしれない。
お茶の水のメインストリートには、
明治大学がある。
しかし、現在のようにきれいに
建て替えられる前で、
古びた学舎の前には、
学生運動の朱書きされた巨大な
立て看板がいくつもあった。
これが、「お茶の水なんじゃこりぁ~」
の入口だ。
次は、大挙したパンクス。
日本のパンクバンド、アナーキーが、シングル、
『ノット・サティスファイド』、アルバム、
『アナーキー』でデビューがしたのが、1980年。
スターリンの結成も同じ年。
青柳さんが、お茶の水に出入りを
始めた1984年には、パンクの勢いがあり、
学生街であるお茶の水には、
髪を立ってた革ジャンのパンクスが
目立った。
日参したディスクユニオンの店内は狭く、
「ぶつかった」
「いや、ぶつからねぇ~」なんて言葉を交わして、
緊張しながらレコードを探しまわった
記憶がある。
そして、驚いたのは、
エロ本専門店の存在。
「若気の至り」の話なのだけれど、
栃木の足利時代、エロ本は隠れて買う
ものだった。それが、お茶の水、
そして、隣接する神保町のすずらん通り
などには、何と「エロ本専門店」があり、
よくよく見ると無修正のビニ本が
売られていた。
ビニ本は、1970年代後半から売り出され、
アダルトビデオが盛り上がる
1985年頃まで、ブームになった。
今では、紳士的に振る舞って、
ボランティア番組の顔になっている
アリスの谷村新司などは、
エロ本マニアとして雑誌で
発言をしていたっけ(笑)。
もちろん、無修正のエロ本は、
合法ではない。それが、おおぴらに
売られている街。それは、
「何だこりゃ~!!」だ(笑)。
そして、最後の最後に、
栃木県では、なかなかお目にかかる
ことのできない舶来ものの
フェンダーやギブソン、マーチンの
楽器がわんさかあり、
よくよくまわると「オールド」の
ギターも見ることができた
(当時は、ビンテージというより
「オールド」という呼称であった)。
もちろん、もうよい年なので、
エロ本専門店に行くようなことは、
卒業してしまった。
しかしながら、
この「何だこりゃ~!!」の衝撃波が、
今でも、続いている。だから、
お茶の水通いをやめることが
できないのかもしれない(笑)。
「シェケナ・ベイビー」の内田裕也さん
的な表現を使えば
「お茶の水の街にファックされた」
ということになるのだろう。
路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信