中島みゆきさんの「ローリング」と言う唄。
「黒白(こくびゃく)フィルムは燃えるスクラムの街
足並み揃えた幻たちの場面
それを宝にするには、あまり遅く生まれて
夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた・・・・」
私の小学生後半から中学の頃の風景=「70年安保」か、しかし、その頃は白黒テレビからカラーテレビに替わってきた頃なので、中島みゆきさんの見たのは「60年安保」だったのか?
いずれにせよ、エネルギーに溢れた時代だったのだろうと思います。
私の高校時代は「安保闘争」を引きずったメンバーもいたものの既に小さな渦に収束してきた頃でした。
それから長い間、学生=若者の大きな「うねり」は見られなくなっていたのです。
そして平成の終わり頃、少し前にも書きましたが「シールズ」(SEAL’S)が現れたことには、ちょっとした期待をしたものです。
香港やアメリカ、或いは他の国々に於ける若者の動きを見ていると「日本は棘を抜かれた」ようにも見えます。
「だったら、樋口、お前がしろ」と言われるかもしれません。
いや、滅茶苦茶小さな動きはしている(いた)んですが、すぐに挫折。
なかなか大きなことをする力がありません。
恥ずかしい話です。
新しい世代がシールズのような「うねり」を生み出してくれることを期待します。
樋口誠