つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

いじめ後遺症

2013年01月05日 | 徒然に、

今朝の朝日新聞の一面記事に、「いじめ後遺症」というものが出ていた。

いじめを受けていたその時は何とか乗り越えても、

その後大人になってから対人恐怖症などの人とのコミュニケーションの面において、

問題が起ってくるという事例が報告されているようだ。

 

なんとまあ・・・・・・・

 

いつも思う、人になんらかの被害を及ぼすようであるのならそれは、「いじめ」という

子どもの世界特有の「いさかい」の言葉を当ててはいけないのではないか。

人との意見の食い違いは、どこにでもあるもので、

それをどうやって解決していくかを経験するためにも、

まだ伸び盛りのころの「いさかい」は根絶してしまってはいけないと思う。

ただ、私の考える「いじめ」の境界を越えてしまった「それ」は、無くさないといけない。

 

実はこの年になって言い出すのは恥ずかしい限りだが、

この「いじめ後遺症」で、私は思い当たる出来事がある。

数年前にふと何十年前のこの思い出が湧いて上がり、それが時折うずくのだ。

とてもとても「いじめ」などと言えるものではない。

だが、もうこんなおばあさんにもなって思いだされ、時折心が痛むのだ。

「なんであの時あんなことをされたのだろう?」 と、

 

それは大学に入ってからのことで、京都への研修旅行中のことだった。

教授、助教授引率のその旅行は、修学旅行に毛の生えた程度のものだったのだが、

二日目ころからだったか、日頃はつきあっていない同級生が突然私のことをいたぶるようになった。

大学生の研修旅行だから、目的地に着くとおのおの気の合った者同士で探索をして回る。

その中でたまたますれ違うたびに 「ボンゴ!」 と姿が見えなくなるまで叫び続けられた。

ことあるごとに何かの割り振りを押しつけられ、こっそりと聞こえるように「ボンゴ!」と言われた。

それは宿でも同様で、何が、彼女にスイッチを入れたのか、それは旅の終わりまで続いた。

彼女の隣にいた同級生は、私に「ごめんね」というジェスチャーをして見せたり、

彼女の腕をとって私から遠ざけようとしてくれた。

私と一緒に行動していた友人たちは、私の傍から片時も離れようとしなかった。

そして、彼女の「ボンゴ」攻撃が始まると 「なんであんなこと言い続けるのだろう?」 と言ってくれた。

何がスイッチになったのか、わからない。 何か私がやったのだろうと思うのだが、

その時も今も見当がつかない。

大学に戻ってからはそういうことをされなかったから、なんだったのだろう?という思いは強い。

ただ、あの旅行中感じた「嫌悪感」「恐怖」を今でも思い出すことができる。

社会に出て、結婚して、子育てに没頭して、どこかに置いてきたはずのその感覚。

それをここまで来て思いだした。 なんであんなことされたのだろう? という疑問と共に・・・。

卒業して何年かして出席した同窓会で、その相手とは屈託なく話を交わしている。

それがここにきて、とても不思議。

たった一週間かそこらの、しかも、味方になってくれた友人たちがいた状況での経験でさえこんな有様だ。

これが本当に今「いじめ」と呼ばれる類のものだったら、湧いてくる感情は止めようがないのではないかと思う。

 

人の心とは、いとも簡単に形を変えてしまうものなんだろう。

昨日と、今日と、明日と、明後日と、それは絶えず姿を変える。

だからこそ、やっぱり、その場で最善を尽くすしか方法はなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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