私が仕事でうかがっているお宅の中に、家庭菜園を楽しんでいらっしゃる方がいる。
マンションの一階、庭を畑にして毎日世話をしていらっしゃる。
一人暮らしで、お孫さんたちがちょくちょく手伝いに来られるし、
近所づきあいもまめにしていらっしゃって、若い隣の奥さんが差し入れに来られる場面に何度か遭遇した。
その方が “水やり” に対して、こういう風に言われた。
「水肥料をね、やりたいと思ったんだけれど、
肥料をやるには水をまかなければいけないの。
その水もね、こお・・・根にしみとおるようにたっぷりやらないといけないの。
●●くんや、お兄ちゃんがやってくれるんだけど、さあっとうわっつらばかりで
根にしみとおるほどまいてくれないの。
もっともっとやって頂戴と言うんだけれど、それ以上私言えなくてね。
帰ったあとで、もう一回水をやるの。
やっぱり私がやらないと野菜が育たないの。」
うん、うんときいていて、子育てと通じるものがあると思いが湧いてきた。
どれだけ素晴らしい肥料をやろうとも、吸収する環境にしてやらないと
栄養として吸い取ることがないんだろうなあ・・・・。
本当はいけないのだが、
持ってきなさいと言われたその場で収穫された、“小松菜”“大葉”“ラディッシュ”を頂いた。
一つかみずつだが、香りが高く存在感があって、こういうものだよなと思った。
さてもさても、我が家の子育てはもう親の手を離れ出している。
今更のように見えた“何か”が、切なく思える。
すべてがこういうものなんだろうなあ・・・・。
やっぱり年長者って、すごいや!!