先月 この本を読んだ。
ふううーん?
わが子の様子をみていて思い当たる節がいくつもあった。
とても読書メーターのコメントでは書ききれずに、ためらっているうちに月をまたいでしまった。
今の子って“かくれんぼ”しないですって!
理由として考えられるものは、今時の子どもらしいものばかりで笑うに笑えないものばかり。
一番に挙げられていたものが、 一人で隠れていられない というもの。
いわく グループで隠れるのならいいのだそうな…見つかるときもみんなで見つかるのがいいらしい。
うーむむむ、それは・・・
ということで我が家の中学生に尋ねた。
「やったことあるのかなあ?」
授業というか大人が主導のものではあるけれど、
子どもだけで、遊びの中でというのは記憶にないという・・へえええええ?
さらに本には、“この指とまれ”もできないと書いてあったので、
末っ子に重ねて尋ねたら 「なにそれ?」
わが子たちの中、一番するすると友達を作ってきていると感じる次女に聞いてみた。
「“かくれんぼ”はよくしたけれど、“この指とまれ”って聞いたことあるけれどどうやってやるの?」
そおおおかあ~~~
考えてみれば“この指とまれ”というのは、とりあえず今は特別な遊びをしていないという状況の子どもが
10人くらいその場にいないとなりたたないものなあ・・・・・・・そんなことが今の時代にはちょっとないなあ。
指にとまられたら嫌な奴とも遊ばなくちゃいけないし、
人数が集められないと解散しなければならないけれど、そんなカッコ悪いこと耐えられそうにないよな・・・
でも、そうやって理詰めで“この指とまれ”を考えると、実に子どもにとっていい経験になるものなんだとわかる。
それは“かくれんぼ”でもそうで、
きっと昔からある集団遊びには、大人の社会の疑似経験ができる側面があるのかもしれない。
だとしたら、
そういう体験をあまりせずに育つ今の子どもたちは、どんな大人になるのだろうか。
子を持つ親として無責任かもしれないが、なって見なければわからない。
育ち、 教育は、 結果が出てやっとそうだったのかとわかるもので、
こうやればこう育つなんてわかりやすいものではない。
たった4人の子育てだが、それは身に染みてきた。
足りないものは別なもので補えばいいことで、
我が家の場合で言うと、もう成人に達している上の子どもたちや、まだ義務教育中の末っ子にしても、
もう自分たちでどうにかしなさいしか手がない。
親のせいとか、先生が悪いとか、時代のせいとか、環境が悪いとか
そんなこと言っている間に自分に足りないものをどうしたらよいかと考えたほうが、なんぼもよい!
反対にいえば、悪いことはみんな親のせいにして、自分の今ある資質を生かすべく最大の努力をしてほしい。
若い世代が笑って暮らす未来のために、切に切に願っている。
そんなこんなを考えさせられた一冊だった。