昔昔、1年に満たない程の時間
親の仕事の都合で、京都に住んだことがある。
その時、ある面では排他的なところがある京都人気質に翻弄され、つらい思い出がある。
以来、40年以上この街を避けてきた。
修学旅行で仕方なく行ったのが唯一で、友人達に誘われても断ってきた。
なんと言ったらいいのか、
ここに来て、いい加減にしなくちゃという気持ちが湧いた。
行って見ようかな…
住んだ場所と、通った学校を見に行ってみよう…かな?
学校はともかく住んだのは、当時も決して新しい団地ではなかったが、不思議と無くなっているとは思わなかった。
今振り返ると、それがとても不思議・・・?
今は個人情報でそんなことありえないが、のんびりした時代の卒業アルバムに載っていた住所を頼りに向かった。
電車を降りた駅前の記憶は全然無く、
方角もわからずスマホ頼りに道をたどっていたら、突然、ビビと来る道に遭遇した。
ここわかる…という曲がり角に出たのです。
そして、ありました。
窓も扉も板を打ち付けられ、
人が入り込まないように、建物の周りにはフェンスが回されていました。
ウロウロとしていたら不審者と思われたのか、声をかけられた。事情を説明したら、思わぬことを聞かされた。
「ここは本当は五年前に取り壊されることが決まっていてね。
それがあの震災で、自主避難の人がたくさん来てその宿舎に使われて、
今は役目を終えて、もう間も無く壊さるんですよ」
ちょっと、なんだろう…私が過去を清算しようとしたのは、この場所が呼んでくれたような気がした。
私のために居てくれたような気になった。
ありがとう。待っててくれて、本当にありがとう。
もう、いいね、終わりにしよう。
心からそう思った。
小学校、中学校とおぼろげな記憶とスマホの自信満々な矢印に導かれて歩き回った。
楽しいこともあったはず、
悪いことばかりじゃなかったはず、
笑ったこともあったはず、
中学校の前でたわわに実った柿を見つけた。
二度とこの場所に立たないかもしれない。でも、この木はずっとあるんだよなあ…人の営みの風のような一面を思った。
呼んでくれて、ありがとう。
こんな気持ちを持てました。