司馬遼太郎の「風塵抄」を読んでいたら、
“都会と田舎”という章の中に、正岡子規が残した「墨汁一滴」に
夏目漱石とのエピソードから都鄙論を展開したと書かれていた
都鄙論…フリガナがなければ読むこともできなかったかもしれない
とひ……都と田舎 という意味を持つ言葉
言ってみれば、イソップ童話の「田舎のネズミと町のネズミ」なのだが、
私がここ数年、自分の中で折り合いをつけようと悩んでいる
「東京と札幌」
何をどう悩んでいるか、どう感じているのか、
子規が「一得一失」と言っている、まさにそのあたりのこと
司馬遼太郎は、最後に、
…
すべてが、流通の中で商品化されているため、子供たちはフライド・チキンを知っていても、庭を駆けまわる鳥を知らない。
「それでも、偉大な漱石が成立したではないか」
とひらきなおることもできるし、また逆に子規が感じたかすかな不安を拡大することもできる。 (後略)
「墨汁一滴」は正岡子規だから1900年も初めに書かれたものだろう
「都会と田舎」は1988年12月5日とあった
偉大な漱石も、子規が感じた不安も、
司馬遼太郎が憂いたことも、
今、私が稚拙に悩み呆けていることも、
時間だけは流れ続けるということを感じる次第で、
子規の言う通り「一得一失」なんだ
中庸はありえないのかなあ…どちらの良いところをも手放しかねている私には、
長い長い時間をかけても歩み寄れない都会のネズミと田舎のネズミの姿が浮かんでしまい、
長い長い溜息をついている…
*定年でご主人の実家に移った友人に言わせると「映画館のある場所は都会」だそうだ
そういわれると、どの立場で物言うかもあるからと悩みは深まっていく!!