受け持った利用者さんのお宅に決められた曜日、時間に伺っている。
初めは一人。それからもう一人。松が取れる頃から、とんとんとんと、担当のお宅が指示された。
重度の方はいないので、ほとんどが生活援助でそう難しいことはない。
だが、よそのお宅にお邪魔して家事をするので、そのお宅のやり方を覚えるのに神経を使う。
ここを踏ん張れば軌道に乗るんだけれど、そろそろ自分も怪しいから、
目が回る・・・というか頭がついていかない。前回覚えていたことが、次のときには抜け落ちてしまっている。
あれ?の連続だ。
失敗も数知れず・・・「そのうち慣れるよ」という暖かい言葉に「すみません」で乗り切ろうとしている。
しかし、たまたまなんだろうが、私がお邪魔するお宅はどこもとてもきれいにされている。
ほこりも見当たらないお宅もある。それでも「汚れている」と感じるらしく、「掃除をしてほしい」と言われる。
自分の家の状況を考えると、掃除しているというよりも、磨いているような感覚。
そういえば昔の家というのは磨きあげていたもんだよなあ・・・・と、おのれの日頃の手抜きを反省している。
姉から連絡がないのが気になっていたが、そんなこんなで連絡を取ることが億劫で、
頼りがないのは無事な証拠 を決め込んでいた。
昨日、電話があった。
あれから体力の回復がはかばかしくなく、会社に行くことができないでいるらしい。
少し体力が戻るまで治療を伸ばしたいと医者に相談したようだ。
担当医は親身になって話を聞いてくれたようだ。
姉の状況や気持ちをきいてくれた上で、検査結果を説明し、
一番の決め手は、腫瘍マーカーの数値が下がっているということ。
薬が効いているからここで病巣をたたいたほうがいいとすすめてくれたようだ。
3月に定年を迎える姉は、腹をくくったようだ。
病気にならなければ再雇用も考えられただろうが、
こんな体調でもまだ席を置いてくれている会社に感謝しかない。
あとは引き継ぎを丁寧にすることを考えると言っている。
姉にある寿命が、あとどれくらいあるのか考えることもままならない。
だが、どう転んだって人間の歩む先にはそのゴールしかないんだ。
時折、思いだす。
姉の長いおさげ髪をつかんで、彼女の行くところ行くところについて回った子どもの頃の風景を・・・。
あんな当たり前の穏やかな時間を、姉が今一度つかんでほしい、そんなことを願っている。