つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

長男から、

2015年04月16日 | 子育て

関西に移った長男から連絡があった。

「何とか一週間たちました。ありがとうございます」

この息子、こういう挨拶だけは一丁前にできる・・・できるからこそ、何とも複雑な思いがする。

 

 

彼の引っ越しは、3月初めの合否連絡から始まった    はずだった・・・親としては。

もっと言うと、願書を出した時から「受かったら?」ということは想定内のこととして道筋があったはず   ?

なのですが、実際に息子が部屋を探しに行ったのが3月22日。

4月から入居可能な部屋はあったのですが、

彼に収入が無いので、親が行かなかれば契約できないということ。

私はこういうことをしたことが無かったので 「へええええ?そーなんだあ?」

たまたま物置を壊すために上京予定だった旦那が、

還暦にして初めて夜行バス泊というので向かい、往復した。

が、そこから審査というのでこの日に契約をしてもらえなかった。

入居中というその部屋は、

息子の入学式前には引っ越したかったが、鍵の引き渡しが入学式前日の夕方以降ということで、

荷物を入れられるのが早くても入学式当日・・・唖然、呆然、呆れ果て!!!!!

さらに言えば東京の家にこの6年の間にたまりにたまった長男の荷物は、

どれを持っていくのか、どれは処分していいのか、

さっぱり親にはわからない状況で部屋に山積みにされ・・・・開いた口がふさがらない    !!!!!

一緒に引っ越し先について行って、荷物の片づけを手伝おうかとも考えていたが、

結局荷物を入れるのを入学式後の土曜日にしたため 「ま、がんばれや!」 ということになりました。

長男はPCと当座の着替えと、わずかばかりの日用品をスーツケースに詰め、アパート内野宿で数日をすごし、

待ちに待った荷物を迎え入れ布団でのびのびと寝られたその翌日に、

先ほどの電話となった。

 

「歩いていけるところにヨーカドーがあるんだ。

コインランドリーも近くにあって、洗濯機はまず後にするわ」

「冷蔵庫が無いのがやっぱり困るから、次の休みに探しに行くわ」

「野菜?食べているよ」

「学校、面白い。お昼になるとね、一番偉い先生が「昼だよ」って声かけてくれてね。

みんなで学食に食べに行くんだ!」

「夏にアメリカでやる研修に参加していいって言われた」

 

いろいろあったが、息子の新しい生活はなんとかうまく滑り出しているようだ。

あの子に頼る生活から、また一歩子離れしなければならなくなった。

いろいろ言いたいことは山ほどあるが、

 

やっぱり、

楽しそうに話す子どもの様子を感じると、これでよかったんだとホッとする。

たまには様子を知らせてきてくれるといいが、知らせが無いのもいいことなのかもしれない。

いい気分に浸りきっていると必ずとんでもない事件が起こるから、

あまりのうのうとしていてはいけないと戒めているが、

今少しだけの間、手放しで親バカをして息子を誇りに思っていようと考えている。

 

雨が降って寒い北の地にも少しずつ春が訪れているように、

わが子たちの上にも、ほっこらとした春が訪れますように・・・・

親の願いはただただそれだけのようだ。

 

 

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雨降りだけど

2015年04月15日 | 日記
傘さしながら、次のおたくに向かっていたら、

あっちこっちに





つくしんぼ って、食べられるんだよなあ。
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スマホやめますか?

2015年04月14日 | 日記

今日の朝日新聞の声欄に、信州大学入学式での学長挨拶について、

いろいろな立場からの意見が取り上げられていて興味深く読んだ。

 

「スマホやめますか、信大生やめますか」 は、とてもインパクトがあるフレーズだ。

どう頑張ってもその性能の100分の一も使いきれない私のような人間もスマホを持っている時代に、

国立大学の学長さんが入学式という公のごあいさつで発したこの問題は、

賛否両論あって当然と思う。

 

私は、スマートフォンは道具でしかないと考えている。

いい道具だから、使うことによってより良い結果を出せるのであるのならば使えばいいし、

使いきれないのなら、それはそれで別の道具を選べばいいことだと思っている。

人を育てるにはいろいろな方法や手段があると思う。

スマートフォンを使ったほうが育てられるという判断があるのならそれでもいいし、

使わずに育てようというのならそれも一つの方法と考える。

全国に国立大学は何校あるのだろうか?

90校?100校?

その中の一つくらい、この文明の利器を使わずに育てたいと考えてもそれはそれでいいのではないかと思う。

小学校1年生の教材を、担任の教員が使いやすいもの、教えやすいものを選ぶように、

信大の教育がスマートフォンに頼らない生活を基盤にしようというのなら、

それはそれで面白いじゃないか。

 

多分、学長さんは、軽軽に発信したのではないと思う。

その裏にはきっといろいろな意味がこめられていたのではないだろうか?

新聞では人目を引くフレーズだけが取り上げられていて、その全容がわからない。

今なら信大のホームページにあるかもしれないと思っていってみた。

あった!あった!

 

私が何を足すことも、引くこともない。

信州大学が若い人材を育てるうえで覚悟していることは、

それは傍が簡単に口出ししていいものとは違うように感じる。

 

全文をここに添付します。

細かくて少し長いですが、最後まで読んでほしいと願います。

 

 

平成27年度入学式学長あいさつ (2015年4月4日)

 寒暖の差が大きく厳しかった冬も過ぎ去り、うららかな日が続く松本でも、この二、三日降り続いた春の雨のお陰でしょうか、大学正門の脇の高遠小彼岸桜が可憐な濃いピンクの花を咲かせ始めました。人との新しい出会いの季節を迎えました。
 本日ここに、平成二十七年度信州大学入学式を開催できますことは大きな慶びでございます。関係の皆様に深く感謝を申し上げます。
 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。信州大学は全学を挙げて皆様を歓迎いたします。そして、ご両親、ご家族の方々に心からお慶びを申し上げます。おめでとうございます。
 皆様が本日入学式を迎えることができましたのは、厳しい受験勉強を克服された努力の結果であります。と同時に、励まし頂いたご家族、ご友人そしてご指導頂いた先生はじめ多くの方々のお陰だということを改めて深く胸に刻み、感謝の気持ちをいつまでも持ち続けてください。
 そして、留学生の皆様は母国を離れ、言葉、文化、生活習慣の異なる信州のこの地に生活することになりました。初志を貫徹され、四年後に大きな成果を挙げられることを期待しております。
 また、信州大学大学院にご入学された皆様にも、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。最高学府である大学院の入学式に臨まれて、決意を新たにされていることと存じます。今の新鮮な知的高揚感を決して忘れることなく、大学院での学びと研究を続けて頂きたいと存じます。
 ところで、新入生の皆様は、本日、大学受験から解き放たれたことになりましたが、もう勉強はしなくて良いなどとは考えていませんよね。
 今までは、皆様は正解のある問題を解くことに終始していました。知識の量を試されていました。世の中では、正解のない問題を解かなければなりません。誰も考えたことのないことを考えるという、知識の質を問われることになります。さらに、世界の状況は変化が大きく、スピードも速く、ICTの進歩で一気にグローバル化します。
 大学院入学生にも、是非聞いて頂きたいのですが、日本が今後とも活力ある社会を維持し、世界へ積極的に貢献していくためには、科学、技術、文化のいずれの分野でも独創性や個性を発揮することが重要となります。横並びの発想では問題を解決できません。
 皆様は、もしかしたら、個性の発掘に没頭する「自分探し」をしませんでしたか。また、これからしようと思っていないですよね。若い時の自分探しは勧められません。特に、解剖学者の養老孟司さんは、「個性は徹底的に真似をすることから生まれる」とまでおっしゃられています。伝統芸能の世界に見られる、師匠と弟子の個性の違いを指摘されてのことです。
 個性を発揮するとは、なにか特別なことをするのではなく、問題や課題に対して、常に「自分で考えること」を習慣づける、決して「考えること」から逃げないことです。自分で考えると他人と違う考えになることが多くなり、個性が出てきます、豊かで創造的な発想となります。
 学生で言うと、普段の勉強を真剣に取組むこと、そして身につける「知識の量」を主とするのではなく、「知識の質」すなわち自ら探求的に考える能力を育てることが大切となります。
 ところで、信州大学の学生は独創性が豊かなのでしょうか。ここに興味あるデータがあります。昨年六月の日本経済新聞の調査結果です。上場企業四三三社の人事担当者から見た「大学のイメージ」調査です。「対人力」、「知力・学力」、「独創性」などについてのランキング結果です。
 信州大学は、京都大学を抑えて、「独創性」項目で第一位です。この「独創性」の判断は「創造力がある」と「個性がある」という質問で行っているようです。
 一言付け加えておきますが、信州大学は、「知力・学力」の項目でも、高位にありました。「単に変わった人間が多い」ということでは決してありません。
 就職されている先輩諸氏は、「独創性」が高いという社会的評価です。皆様もそうでしょうか。卒業すると、そうなるのでしょうか。私は違うと思います。受験勉強と同じ気持ちでは駄目です。大学での勉強と生活の仕方を変えなければなりません。
 その理由をお話しましょう。創造性を育てるうえで、特に、心がけなければならないことは、時間的、心理的な「ゆとり」を持つこと、ものごとにとらわれ過ぎないこと、豊か過ぎないこと、飽食でないことなどが挙げられます。
 自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすることが最も大切となります。
 子供の頃をちょっと思い出して下さい。子供の頃は、例えば、夏休みがゆっくり過ぎていたと感じませんか。大人になると、忙しさで、時間は走馬灯のように速く過ぎていきます。脳科学者のDavid Eaglemanさんは「記憶が詳細なほど、その瞬間は長く感じられる。しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じられる」と言っています。
 自分の時間を有効に使うために、自力で時の流れを遅くする必要があります。
 そのための五つの方策が提案されていることは良く知られています。

 

一、 学び続けること。新しい経験が得られて、時間感覚がゆっくりとなる。
二、 新しい場所を訪ねる。定期的に新しい環境に脳をさらす。
三、 新しい人に会う。他人とのコミュニケーションは脳を刺激する。
四、 新しいことを始める。新しい活動への挑戦。
五、 感動を多くする。

 

 信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。
 皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。
 最後にご紹介したいことがございます。本日の入学式では二つの歌を皆様と一緒に歌うことになっています。一つは信州大学の前身の一つである旧制松本高等学校の思誠寮寮歌「春寂寥」です。大正九年に吉田実さん(作詞)と濱徳太郎さん(作曲)の二人の学生によって作られました。
 旧制松本高等学校は、大正八年(一九一九年)に開校され、その後信州大学の発足にあたりその母体の一つとなり、文理学部に改組されて昭和二十五年(一九五〇年)には閉校となりました。
 文科と理科の専攻に分かれての勉強ですが、授業時間の四割が外国語、文科でも数学と自然科学が週五時間ほど課せられ、また理科でも国語及び漢文が週四時間ほど課せられる、文理の差が非常に少ないカリキュラムでありました。
 ほとんどの生徒は思誠寮での寄宿生活であり、寮生活を通して、切磋琢磨により、自らの生き方を見出すという恵まれた時間をつくることができたと言われています。まさに独創性が育まれたということです。作家の北杜夫さん、辻邦生さん、病理学者の飯島宗一さん、日本人として初めて南極点に到達した南極観測隊々長の村山雅美さんなど各界で著名な方々が多くいらしゃいます。
 もう一つの歌は、信州大学学生歌「叡智みなぎる」です。昭和三十五年に文理学部宮坂敏夫さん(作詞)と工学部羽毛田憲一さん(作曲)の二人の学生によって作られました。文理学部同窓会誌に、宮坂敏夫さんが書かれた「作詞の経緯」によりますと、信州大学学生部が六十年安保闘争のデモに明けくれる学生の実態を見て、学内に潤いが欲しいと思って、学生歌の募集を始めたのではないかとあります。なお、宮坂敏夫さんは、現在俳人としてご活躍でいらっしゃいます。この「叡智みなぎる」の学生歌ができた頃の学生達は、自らの勉学時間を削ってでも、日本の国の在り方と国の行く末を案じるという、熱い情熱を持って学んでいたのです。
 また、この二つの歌はいずれも、松本在住の音楽家丸山嘉夫さんによって、見事に編曲され、若者たちの「青春の歌」として蘇っていることを付け加えておきます。
 皆様は、一日も早く新しい生活環境に慣れ、心身ともに健全に保ち、勉学に励み、目標に向かって進んでください。大学生時代は、長い人生の中でもかけがえのない大切な時期であります。充実した楽しい大学生活を過ごされることを期待しています。
 そして、大学院に入学した皆様は、自らの高い問題意識と積極的な取り組みによって、初めて真理が探究でき、新しい知の創造の喜びが生まれ、社会に貢献できることを肝に命じてください。
 学術研究の将来を担うのは皆様です。信州大学の学術研究は皆様の肩にかかっています。高い志と熱い情熱を持ち続けてください。そのことによって、日本の明るい未来が開けるものと確信しております。

 

平成二十七年 四月 四日
                     信州大学長 山沢清人

 

 

 

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春がこっそり

2015年04月09日 | 日記
仕事で伺うおたくの前に



手袋、マフラー、厚手のコート、
それでも、ほっこら嬉しくなった。
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行き過ぎた行為

2015年04月07日 | 徒然に、

「うちのとらまる」さんや「猫撮る」さんや

そのほかたくさんの犬猫の殺処分を憂い活動している方のブログをよく拝見している。

手間と時間とお金がかかり、個人のとめどない無償の行為に成り立っているあの活動は、

人の暮らしがときにぎすぎすしがちの今の時代に、ご苦労が多く頭が下がるといつも感じている。

 

東京の実家があるのは昔はなあんにもなかった場所。今は世代が代わり住む人が代わり、

相続税対策もあるのだろう、古い家が取り壊されて新しい家が次々と建てられていっている。

庭のついたゆったりとしたつくりの家が無くなり、そのあとに3軒4軒建てられることも珍しくない。

その新しい家がまるで要塞のようなつくりなのだ。

人の住む気配が外に漏れていないというのだろうか・・・とりつく島がないって感じの家。

そういう家がどんどん増えていっている。

 

そんな中実家は古い造りの家なので庭があり、前はいろいろな猫がそこを通り道にしていたものだが、去年あたりから見かけなくなった。

不思議に思い友人にそのことを話したら、

実家のある区は、野良猫対策に熱心でTNRが進んでいるそうだ。

捕まえて不妊手術をして元の場所に離すのだが、

これをすると、今いる猫が死んだらもうをれでおしまいということになるから、

それでいなくなったのではないかと言われた。

仕方がないことなのだが、野良猫が暮らしちゃいけないなんて少し心のゆとりにかけるように感じる。

要塞のような家に住み、野良猫が歩くことも許さず、

なんか   とってもさびしいし、味気ない。

 

そんな話を向かいの奥さんに立ち話をしたら、

行き過ぎたTNRの話を聞いた。

同じ町内にお住いのお年寄りが3匹の猫と暮らしていたそうだ。

どの子も可愛がっていらっしゃり、ちゃんと首輪もしていた。

今では犬も猫も室内飼いが当たり前になっているが、少し前まで猫は自由に家の中と外を行き来して暮らしていたものだ。

そのかたもそんな飼い方をしていらしたらしい。だが、近所付き合いはきちんとされていて、

みんなあそこんちの猫ということを知っていた。

ある日、そのお宅に三人の熱心な女性が来られたそうだ。

いわく 「飼い猫も不妊手術をすべきで、それは飼い主の義務だ」

飼い主さんは断ったそうだ。

それでも熱心なその三人の女性たちはあきらめず、何度も家にやってきては説いたらしい。

そして、ある日黙ってその飼い猫を連れていき、勝手に不妊手術を受けさせてしまった。

正義感に燃えたその三人の女性たちは「お礼を言われても非難される覚えはない」と言い切ったそうだ。

うーん、そうなのかな・・・?

怒った飼い主さんは、いつもは穏やかな方らしいのだが、

「あんたの娘が黙ってこんなことされたらどう思うね」といったそうだ。

その猫ちゃん達は、突然のことで体調を崩しがちになり、病気や事故で次々と死んでいったそうだ。

 

世の中に、飼われている犬や猫しかいなくなったら、動物はペットショップか動物園にしかいなくなったら、

切り身になってラップにくるまれて売られている魚のように、

そのうち子どもたちは犬猫の本来の姿を見失ってしまうのだろうなあ・・・。

 

何が正義で、何が真実で、何がいいのかは、わからない。

決断とはとても難しいことで、猫が歩き回ることを苦痛に思う人がいることも確かだったのだから

もっとゆったりとした解決方法が無かったのかと考えてしまう。

 

家の内と外が少し曖昧な生活を私はすこうしいいなあと思っているから、

こんなことに引っかかってしまうのだろう。

私が家を建てるなら、防犯も大事だが要塞のような家はほしくない・・・

それが今のところこの問題で私が手に入れている答えだ。

 

 

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