年明け恒例となっている七福神巡りです。今回は1月4日と松の内の実施となったので各寺社参拝客が多かったようです。目黒区のサイト、歴史を訪ねてとめぐの日記特別版に詳細が載っているのでご参照ください。
5日に初回放送があった大河ドラマ「べらぼう」は江戸の火災シーンから始まりました。この中で解説にあった明和の大火、明和九年(めいわくねん→迷惑年)の大火は行人坂の大円寺が火元で千住まで焼き尽くしたというので、東京メトロ日比谷線もびっくり。大円寺は八百屋お七ともゆかりがあり、火事と縁が深いお寺が含まれている七福神めぐりとなっています。
大鳥神社
集合は大鳥神社、区内で一番古いといわれる神社です。
蟠龍寺 岩屋弁天
松雲禅師像
成就院(蛸薬師)
弁天様はわけあって参道から遥拝。松雲禅師の五百羅漢寺、蛸薬師は七福神めぐりとは関係ありません。成就院とこの後訪れる目黒不動はともに慈覚大師円仁が九世紀に開山したといわれています。成就院についてお寺のサイトから引用します。
天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。
承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をまわり、たくさんの仏法を伝えて帰国されました(この時の旅行記が有名な「入唐求法巡礼行記」です。この本は先年、米国の元駐日大使ライシャワー氏が研究し、英訳出版されました。)大師は若いときから眼病を患い、40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。かくして本尊の殊勝の12大願による福徳威力、信心の人は、心願ことごとく成就し、除災長寿の利益あまねく千年のいまに至るまで、弘く信仰されてきました。
瀧泉寺 三福堂
寺社をめぐるとき末社が目的でもご本尊にまず第一にお参りするのが礼儀です。急いでいる、階段を上るのが面倒だとお不動様にお参りせず恵比寿神だけお参りするとはなんと罰当たりな。
雅叙園入口の紅葉
大円寺本堂
目黒セントラルスクエアのツリー
妙円寺 妙見堂
妙円寺の紅梅
大円寺は大黒天、妙円寺は福禄寿尊と寿老人尊が祀られています。こちらの紅梅は比較的早く沢山咲いている年もあるのですが、今年は梅も遅いかな。
瑞聖寺 大雄宝殿
覚林寺 清正公堂
覚林寺 毘沙門堂
瑞聖寺は布袋尊、覚林寺は毘沙門天が祀られています。これで六つの寺社をめぐり七福神巡りは完了。
明治学院大学
桜田通りを下って明治学院。島崎藤村はこの大学の卒業生。
池田山公園
備前国岡山藩池田家の下屋敷。
タイ大使公邸
重厚な建物で、大使館はお隣にあります。ここから目黒駅付近まで戻りストレッチをして解散。有志は渋谷の天狗で新年会でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
5日に初回放送があった大河ドラマ「べらぼう」は江戸の火災シーンから始まりました。この中で解説にあった明和の大火、明和九年(めいわくねん→迷惑年)の大火は行人坂の大円寺が火元で千住まで焼き尽くしたというので、東京メトロ日比谷線もびっくり。大円寺は八百屋お七ともゆかりがあり、火事と縁が深いお寺が含まれている七福神めぐりとなっています。
大鳥神社
集合は大鳥神社、区内で一番古いといわれる神社です。
蟠龍寺 岩屋弁天
松雲禅師像
成就院(蛸薬師)
弁天様はわけあって参道から遥拝。松雲禅師の五百羅漢寺、蛸薬師は七福神めぐりとは関係ありません。成就院とこの後訪れる目黒不動はともに慈覚大師円仁が九世紀に開山したといわれています。成就院についてお寺のサイトから引用します。
天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。
承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をまわり、たくさんの仏法を伝えて帰国されました(この時の旅行記が有名な「入唐求法巡礼行記」です。この本は先年、米国の元駐日大使ライシャワー氏が研究し、英訳出版されました。)大師は若いときから眼病を患い、40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。かくして本尊の殊勝の12大願による福徳威力、信心の人は、心願ことごとく成就し、除災長寿の利益あまねく千年のいまに至るまで、弘く信仰されてきました。
瀧泉寺 三福堂
寺社をめぐるとき末社が目的でもご本尊にまず第一にお参りするのが礼儀です。急いでいる、階段を上るのが面倒だとお不動様にお参りせず恵比寿神だけお参りするとはなんと罰当たりな。
雅叙園入口の紅葉
大円寺本堂
目黒セントラルスクエアのツリー
妙円寺 妙見堂
妙円寺の紅梅
大円寺は大黒天、妙円寺は福禄寿尊と寿老人尊が祀られています。こちらの紅梅は比較的早く沢山咲いている年もあるのですが、今年は梅も遅いかな。
瑞聖寺 大雄宝殿
覚林寺 清正公堂
覚林寺 毘沙門堂
瑞聖寺は布袋尊、覚林寺は毘沙門天が祀られています。これで六つの寺社をめぐり七福神巡りは完了。
明治学院大学
桜田通りを下って明治学院。島崎藤村はこの大学の卒業生。
池田山公園
備前国岡山藩池田家の下屋敷。
タイ大使公邸
重厚な建物で、大使館はお隣にあります。ここから目黒駅付近まで戻りストレッチをして解散。有志は渋谷の天狗で新年会でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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