とことん烏山川シリーズの三回目で、芦花公園より上流を歩き、水源の一つと言われている高源院の弁天池を目指します。
写真:暗渠の再開
写真:芦花小学校・中学校
前回は芦花公園まで烏山川をさかのぼり、名前のわからない都営八幡山アパートの脇を流れる支流を辿り、京王線八幡山駅で解散しました。この日は八幡山駅で再集合し、烏山川が環状八号線を離れて西へ向かう地点から川をさかのぼり始めます。芦花公園で環八にぶつかった烏山川は、環八沿いを北へ向かった後、西に向かいます。環八沿いの暗渠の上は歩けないのですが、写真の「暗渠の再開」としたあたりからかつて川だった場所を歩くことが出来ます。上流の割には意外と広いです。芦花小学校・中学校の通学路となっているからでしょうか?こちらの学校は小中学校が併設されていますが、一貫校というわけではないようです。我々の世代と比べると公立の学校にも多様性が見られます。これまで「蘆花公園」だと思っていましたが、公園の名前も駅の名前も「芦花公園」でした。公園全体は芦花公園で、徳富蘆花の死後夫人から東京都に寄贈された部分の都立公園は「蘆花恒春園」というそうです。
写真:細くなった暗渠
写真:この先は行きどまり
写真:無人販売している農家
芦花小中学校を過ぎるととたんに暗渠が細くなりました。少し上流の感じが出てきましたね。UR芦花公園団地内に暗渠が残されているのですが、その先京王線を渡るすべがないので一度川から離れます。踏切の先の大きな木があるおうちは農家で、野菜の無人販売をやっていました。
写真:再び川と合流
写真:暗渠と思われる道路
旧甲州街道で再び川と合流すると、その先は明確な暗渠ではないのですが暗渠と想定される道路があります。車が通れないような場所もあり、ここが川跡と考えて差し支えないでしょう。
写真:烏山中学校
写真:甲州街道
中学校脇では欅の紅葉のグラデーションがきれいで写真に撮ったのですが、いまいち絵になりませんでした。烏山川は現在の甲州街道にぶつかると少しのあいだだけ道路沿いに西へ向かいます。このあたりで烏山川の本流支流を合わせて四本の川筋があるようですが、徐々に明確な暗渠が見つけにくくなってきています。
写真:西之谷公園
支流の一つを辿ると西之谷公園にたどり着きます。池や川を模した様子など、かつてここに川が流れていたことが偲ばれます。
写真:昭和大学烏山病院裏の暗渠
写真:里芋畑
写真:大根畑
写真:キャベツ畑
Googleマップにアップされている「世田谷-川の地図」によると、大根畑や里芋畑のあたりが水源の一つになっているようですが、それとわかるようなものはありません。湿地を開墾して畑にしたのでしょうか。
写真:集会所の柚子
中央高速の高架下を横断し、寺町通り区民集会所でトイレをお借りしました。
写真:浄土真宗常栄寺
烏山寺町通りは一度歩いて見たいと思っていたところです。多くのお寺があり他とは違う雰囲気を醸し出しています。常栄寺のホームページから引用します。
常栄寺は世田谷の小京都とも呼ばれる烏山寺町の中にあります。
寺町は浄土真宗の東・西、浄土宗、日蓮宗、法華宗、真言宗、臨済宗の寺院26ケ寺で構成されています。これらの寺院は、関東大震災以降、都心部より漸次移転してきたものです。
地域では「烏山寺町環境協定」が締結され、木々が多く、高源院の弁天池には冬になると鴨が飛来するなど、都内では貴重な自然環境が残されています。
また寺町では烏山仏教会を結成し、毎年4月にお釈迦様のお誕生を祝う「花まつり」を行っています。烏山の「花まつり」は80年以上の歴史があり、稚児行列や法要の他、お子様向けの余興などもあります。
詳しくは烏山仏教会のHP(http://www.teramachi-ziin.com)をご覧下さい
写真:浄土真宗妙祐寺
妙祐寺について烏山仏教会のHPから引用してみます。
当寺は、弘安9年(1286年)一遍上人建立から時宗であった。当時は、天護山円証寺と称していたが大永年間(1521~27年)に兵火の災を受けて廃絶した。その後、寛永2年(1625年)浄土真宗の僧、了頓が渋谷の土中より阿弥陀仏像を発見し、これを本尊として満歳山学恩寺と称した。寺では了頓を中興の開山とする。その後延宝5年(1677年)寺号を妙祐寺と改めた。昭和20年の世界大戦の際、戦火により全堂を消失し、現在地に昭和23、4年にかけて墓地を移転し現在に至っている。
すべてが関東大震災により移転してきたわけではないようですね。
写真:法華宗妙寿寺
銀杏の紅葉が見事です
写真:臨済宗高源院
写真:弁天池
写真:ナンテン
写真:ツワブキ
写真:季節外れのアヤメ
写真:ホトトギス
本日の主要な目的地である高源院の弁天池。寺町通りと烏山川がつながりました。池にはコウホネが一面にありますが、下見に来た9月にはきれいに花が咲いていました。弁天池は都会のオアシスのような場所ですね。コオホネの花期は6月から9月とのこと。一面に咲いていることにまた来たいと思います。
写真:9月のコオホネ
あまり良い写真が無かったのですが、下見のときに撮った写真を載せておきます。
写真:北烏山四丁目の暗渠
弁天池から東へ向かい二本の暗渠がありました。弁天池には豊富な湧水があったのでしょう。
写真:烏山北住宅の水路
烏山川の水は農業用水として使われていて、水量不足を補うため玉川上水からの分水を受けていたそうです。この直線に作られた開渠は、分水した水を烏山川に流すための水路だったものと考えています。
写真:玉川上水と道路工事
都営久我山一丁目アパートにある空き地をお借りし、ストレッチをして解散となりました。玉川上水脇では放射第五号線の道路工事が行われています。人見街道など細い道が多いので幹線は必要なのでしょうが、うっそうとした玉川上水のすぐわきに道路とは野暮です。以前から論争はあったようですが、実際に目にしてみると「なんだかなぁ!」
有志は渋谷へ移動し山家へ。いつもの昼過ぎの山家とはちょっと雰囲気も変わり、300円のビールが450円になります。瓶ビールをたくさん飲んで一人二千円以内なので、この時間でもまだまだ安いです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:暗渠の再開
写真:芦花小学校・中学校
前回は芦花公園まで烏山川をさかのぼり、名前のわからない都営八幡山アパートの脇を流れる支流を辿り、京王線八幡山駅で解散しました。この日は八幡山駅で再集合し、烏山川が環状八号線を離れて西へ向かう地点から川をさかのぼり始めます。芦花公園で環八にぶつかった烏山川は、環八沿いを北へ向かった後、西に向かいます。環八沿いの暗渠の上は歩けないのですが、写真の「暗渠の再開」としたあたりからかつて川だった場所を歩くことが出来ます。上流の割には意外と広いです。芦花小学校・中学校の通学路となっているからでしょうか?こちらの学校は小中学校が併設されていますが、一貫校というわけではないようです。我々の世代と比べると公立の学校にも多様性が見られます。これまで「蘆花公園」だと思っていましたが、公園の名前も駅の名前も「芦花公園」でした。公園全体は芦花公園で、徳富蘆花の死後夫人から東京都に寄贈された部分の都立公園は「蘆花恒春園」というそうです。
写真:細くなった暗渠
写真:この先は行きどまり
写真:無人販売している農家
芦花小中学校を過ぎるととたんに暗渠が細くなりました。少し上流の感じが出てきましたね。UR芦花公園団地内に暗渠が残されているのですが、その先京王線を渡るすべがないので一度川から離れます。踏切の先の大きな木があるおうちは農家で、野菜の無人販売をやっていました。
写真:再び川と合流
写真:暗渠と思われる道路
旧甲州街道で再び川と合流すると、その先は明確な暗渠ではないのですが暗渠と想定される道路があります。車が通れないような場所もあり、ここが川跡と考えて差し支えないでしょう。
写真:烏山中学校
写真:甲州街道
中学校脇では欅の紅葉のグラデーションがきれいで写真に撮ったのですが、いまいち絵になりませんでした。烏山川は現在の甲州街道にぶつかると少しのあいだだけ道路沿いに西へ向かいます。このあたりで烏山川の本流支流を合わせて四本の川筋があるようですが、徐々に明確な暗渠が見つけにくくなってきています。
写真:西之谷公園
支流の一つを辿ると西之谷公園にたどり着きます。池や川を模した様子など、かつてここに川が流れていたことが偲ばれます。
写真:昭和大学烏山病院裏の暗渠
写真:里芋畑
写真:大根畑
写真:キャベツ畑
Googleマップにアップされている「世田谷-川の地図」によると、大根畑や里芋畑のあたりが水源の一つになっているようですが、それとわかるようなものはありません。湿地を開墾して畑にしたのでしょうか。
写真:集会所の柚子
中央高速の高架下を横断し、寺町通り区民集会所でトイレをお借りしました。
写真:浄土真宗常栄寺
烏山寺町通りは一度歩いて見たいと思っていたところです。多くのお寺があり他とは違う雰囲気を醸し出しています。常栄寺のホームページから引用します。
常栄寺は世田谷の小京都とも呼ばれる烏山寺町の中にあります。
寺町は浄土真宗の東・西、浄土宗、日蓮宗、法華宗、真言宗、臨済宗の寺院26ケ寺で構成されています。これらの寺院は、関東大震災以降、都心部より漸次移転してきたものです。
地域では「烏山寺町環境協定」が締結され、木々が多く、高源院の弁天池には冬になると鴨が飛来するなど、都内では貴重な自然環境が残されています。
また寺町では烏山仏教会を結成し、毎年4月にお釈迦様のお誕生を祝う「花まつり」を行っています。烏山の「花まつり」は80年以上の歴史があり、稚児行列や法要の他、お子様向けの余興などもあります。
詳しくは烏山仏教会のHP(http://www.teramachi-ziin.com)をご覧下さい
写真:浄土真宗妙祐寺
妙祐寺について烏山仏教会のHPから引用してみます。
当寺は、弘安9年(1286年)一遍上人建立から時宗であった。当時は、天護山円証寺と称していたが大永年間(1521~27年)に兵火の災を受けて廃絶した。その後、寛永2年(1625年)浄土真宗の僧、了頓が渋谷の土中より阿弥陀仏像を発見し、これを本尊として満歳山学恩寺と称した。寺では了頓を中興の開山とする。その後延宝5年(1677年)寺号を妙祐寺と改めた。昭和20年の世界大戦の際、戦火により全堂を消失し、現在地に昭和23、4年にかけて墓地を移転し現在に至っている。
すべてが関東大震災により移転してきたわけではないようですね。
写真:法華宗妙寿寺
銀杏の紅葉が見事です
写真:臨済宗高源院
写真:弁天池
写真:ナンテン
写真:ツワブキ
写真:季節外れのアヤメ
写真:ホトトギス
本日の主要な目的地である高源院の弁天池。寺町通りと烏山川がつながりました。池にはコウホネが一面にありますが、下見に来た9月にはきれいに花が咲いていました。弁天池は都会のオアシスのような場所ですね。コオホネの花期は6月から9月とのこと。一面に咲いていることにまた来たいと思います。
写真:9月のコオホネ
あまり良い写真が無かったのですが、下見のときに撮った写真を載せておきます。
写真:北烏山四丁目の暗渠
弁天池から東へ向かい二本の暗渠がありました。弁天池には豊富な湧水があったのでしょう。
写真:烏山北住宅の水路
烏山川の水は農業用水として使われていて、水量不足を補うため玉川上水からの分水を受けていたそうです。この直線に作られた開渠は、分水した水を烏山川に流すための水路だったものと考えています。
写真:玉川上水と道路工事
都営久我山一丁目アパートにある空き地をお借りし、ストレッチをして解散となりました。玉川上水脇では放射第五号線の道路工事が行われています。人見街道など細い道が多いので幹線は必要なのでしょうが、うっそうとした玉川上水のすぐわきに道路とは野暮です。以前から論争はあったようですが、実際に目にしてみると「なんだかなぁ!」
有志は渋谷へ移動し山家へ。いつもの昼過ぎの山家とはちょっと雰囲気も変わり、300円のビールが450円になります。瓶ビールをたくさん飲んで一人二千円以内なので、この時間でもまだまだ安いです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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