目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

南東部公園コース 約7.5km

2020-03-02 14:02:23 | 東京都目黒区
政府から「不要不急の外出を控える」よう要請が出ている中、我々なりの活動を振り返り、これまで通り活動を継続してゆくという結論に至りました。理由として挙げられるのは、
・屋外の活動であること
・免疫力を高めるため、適度な運動は必要であること


です。もともと自由意思で参加している倶楽部なので、参加不参加は会員自身の判断になります。この日の参加者は普段並みと言える18名でした。



目黒川
川の写真の左側が目黒川舟入場と呼ばれる公園で、かつては水運が行われていました。中目黒に材木商が多いのは、この水運があったおかげという話を聞いたことがあります。


ユキヤナギ

オオイヌノフグリ

目黒清掃工場工事現場
この時期歩くたびに春の花が増えてきます。清掃工場は旧工場の解体がほとんど終わり、覆いもほとんど解体されてきました。解体は2017年から始まり、新工場は2022年竣工予定です。


プリムラ・ジュリアン
区民センターに植えられているものですが、鮮やかな色合いの花でした。


花の影
目黒区のホームページから引用します。
彫塑家、故・朝倉文夫氏が、大正11年第4回帝展に出品した作品です。陽の光を全身に浴びて、大空に向かって伸びやかに両手を差し出す姿は、まさに普遍的な平和のシンボルにふさわしいものです。
朝倉氏及び「めぐろ平和の鐘」の作者・香取氏の各遺族、朝倉彫塑館のある台東区のご厚意により、世界の恒久平和と区民の限りない幸せを祈念し、区の平和の象徴として、平成2年に区民センターに設置しました。
朝倉氏は、昭和23年に文化勲章受賞、26年に文化功労者となり、近代彫塑界に大きな足跡と影響を残しました。



目黒区平和都市宣言
目黒区平和都市宣言
かつて人びとは、戦火に包まれ悲しい歴史の一ページをつくった。
時は移り、
今、平和の尊さをしみじみと思う。
青い空、緑の木々。
街には明るいあいさつがかわされ、
人びとの顔にほほえみが浮かぶ。
この幸せを再び失ってはならない。
わたくしたちは、
地球のすべての人びととともに永遠の平和を築くよう努力する。

この誓いをこめて、目黒区は平和憲法を擁護し、核兵器のない平和都市であることを宣言する。
昭和60年5月3日
東京都目黒区



平和の鐘
目黒区のホームページから引用します。
人間国宝で名誉区民の鋳金家、故・香取正彦氏の作品で、広島平和の鐘、カナダ・バンクーバー市の平和の鐘と同型の、いわば三姉妹に当たる梵鐘です。
昭和60年に目黒区が平和都市宣言をした記念として、香取氏から寄贈された梵鐘を「めぐろ平和の鐘」と命名し、世界の恒久平和と区民の限りない幸せを祈念して区民センター公園に設置しました。
香取氏は、戦時中の金属供出で全国からたくさんの鐘が失われたことを悲しみ、戦後は平和の願いを込めた鐘を作り続け、昭和52年に人間国宝に指定されました。



玉川屋

大鳥神社

寄生虫館

大鳥中学校
山手通りと目黒通りの交差点付近にあります。大鳥中学校は目黒区でもっとも最近開校した中学校ですが、三中と四中が合併したもので、校舎は元三中です。


広目天像
目黒不動尊の大日如来をお守りする四天王の一つです。後で出てくる独鈷の滝の独鈷を言葉では説明しきれず、どこかにないかと探したときに広目天の右手に握られていました。


龍泉寺の鳥居
男坂を上った御本堂の前に鳥居があるのですが、今まで疑問にも思わずくぐっていました。大鳥神社のものとは形状が違いますが、目黒不動のこの形式は山王鳥居と言います。


お不動様の看板
こちらの看板では、目黒不動が「日本三大不動の一つ」で「関東最古の不動霊場」で「江戸五色不動の一つ」であることが描かれています。808年の創建で開基は慈覚大師円仁とされている天台宗のお寺です。


役行者

独鈷の滝
目黒不動のご本尊は不動明王ですが、円仁の夢に出てきた姿を彫ったものです。その後円には最澄、空海と同様に中国に留学するのですが、そこで初めて自分が彫った像が不動明王であったと分かったということです。円仁が独鈷を投げたところから水が湧いて独鈷の滝と名付けられたと言います。羅漢寺川が目黒台を削ったところから流れ出る湧水だと思っていました。高野山は空海が中国で投げた独鈷が飛んでたどり着いた場所と聞いていますが、昔のお坊さんはよく独鈷を投げたようです。


仁王門

仁王門裏の狛犬
仁王門に納められている仁王像は前出の玉川屋が寄進を申し出て、区内在住の後藤良(ごとうなおし)に依頼して制作したもので、その縁で玉川屋では仁王餅を売っています。狛犬も後藤良が制作したものです。


比翼塚
お年を召した方に好まれる話です。歌舞伎の影響でしょうか幡随院長兵衛が権八を「おわけぇの、おまちなせぇ」と呼び止めたこと、本来平井権八なのに江戸っ子の発音が悪く白井権八になっていることなど。地域に歴史に詳しい方だとかむろ坂の話が加わります。


不動ふれあい広場
ハクモクレンがこんなに咲きました。


林試の森公園
メジロの他にワカケホンセイインコも花の蜜を食べに来ていました。


円融寺東門

真公稲荷

毘沙門堂

釈迦堂

黒仁王

円融寺山門
円融寺も天台宗のお寺で853年創建、開基は慈覚大師円仁です。目黒区でいち二の歴史を誇るお寺は両方ともに慈覚大師が開基ということです。慈覚大師は下野の生まれで、関東や東北の寺院にゆかりが深いそうで、立石寺、毛越寺、中尊寺の開基でもあるとのことです。


立会川緑道

みどりの散歩道
ここに来ないと忘れているのですが、区内から東京湾に直接流れこむ川三本のうちの一つになります。


碑文谷八幡神社参道

拝殿

碑文谷八幡宮
碑文谷八幡宮 碑文谷3-7-3
 この神社 は、旧碑文谷村の鎮守 で、祭神 は応神天皇 です。畠山重忠 (1205)の守護神 を家臣 筋の宮野左近 という人がここに祀ったのがその起源だといわれています。
 創建年代は不詳ですが、「四神地名録 」や「新編武蔵風土記稿 」にも記されてい
る由緒のある神社です。
 社殿 は、延宝 2年(1674)に建てられ、その後明治5年に再建、同20年に改築されました。
 本殿の右側に重忠の臣、榛沢六郎 を祀った稲荷社 があり、また碑文谷の地名の起こりとなったともいわれる梵字 を刻んだ石(碑文谷)が保存されています。
 なお、当社には勝海舟 筆の「額」や「のぼり」が所蔵されています。祭礼は春秋の2回で、昔ながらの“目黒ばやし、の音もなつかしく、みこしやだしも練り歩き賑やかです。
平成4年3月
目黒区教育委員会



みみず
写真なのでわかりませんが生きています。アスファルトの上をのたうち回る様子を見て「啓蟄」という言葉が浮かんできたので撮っておきました。


すずめのお宿緑地公園

旧栗山家住宅

蕗の薹

サクラソウ
すずめのお宿でしばし休憩。お雛様が飾ってありました。


サレジオ教会

オカメザクラ

延命地蔵


碑文谷池
目黒通りを横断し、碑文谷公園をぬけて、碑文谷体育館でストレッチをして解散となりました。

有志九名で天狗へ繰り出しました。時間が早かったというばかりでなく、こんなご時世なのですいていました。「天狗を応援」と言いながら、お好み宴会でアルコールを十分いただきました。飲みすぎは免疫力を弱めるので注意すべきだとは思うのですが。。。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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