「平和だね」
と、突然のようにポツリとひと言言ったかと思うと、
娘はバッグからデジカメを取り出して地面すれすれに構えました。
娘に作ってもらったペルー料理の弁当をむさぼるように食べていた母は、
コクリと頷いただけで、またひたすらに食べ続けるのでした。
しかし、言葉にはしませんでしたが、
心の中では、今現在こうして元気に生きていること、
地区の体育祭に多くの住民と共に参加し、
走り回ったり大きな声で声援を送ったり、
飲んだり食べたり笑ったりしていることに、
そして今無心に弁当をほおばっていることに、
当たり前なことを当たり前に出来ることに、幸せを感じているのでした。
8月17日の「郡山の戦争展」で目にしてきた悲惨な光景からすれば、
なんと平和なことでしょう。
娘はこの日、13年ぶりに「体育祭デビュー」を果たしました。
小6までは出てましたので、正しくは「復活」かもしれません。
中学生になって、部活だとかなんとかいい訳があり
また、高校、大学では勉学優先となり、次第に遠ざかっていたのでした。
今回もまた、設計コンペの模型作りが忙しいとか言い出したのですが、
この地区でお世話になりながら一生生きていくからには、
協力できることは協力しなくちゃ・・・・・と母に説得されて、
ようやく復活の決意をしたのであります。
母は、昨年と同じ種目の「アベックボール運び」と「ゲートボール」、
それに「どぶろく祭り」に出場し、団塊おばちゃんらしくそれなりにまあまあの活躍。
娘は長縄跳びに出場し、小学生時代に40数回跳んだ経験があると息巻いていましたが、
なんと二回とも片方の手の指で楽に数えられるくらいの回数であっけなく撃沈。
応援する側も
「い~っかい、に~かい、は~~~~?」という具合に
笑うに笑えない有様でした。
これは、娘の責任ではありませんので、くれぐれも誤解のありませんように。
*昨年の第37回地区民体育祭(前編)(後編)
それでは、今年の体育祭の模様を数枚の画像にあわせてUPしましょう。
これは、昨年も大分話題になりました「縄もじり競争」です。
世話人の努力で藁の状態がよく、また選手の唾をつけながらの大奮闘で、結果は第二位でした。
これは何の競技でしょう?
校長先生や
教頭先生、
そのほか大会実行委員長のIさんたちと、
このようにしてじゃんけんをする競技で、勝った人数分の点数が加算されます。
昼休みのアトラクションは、
お馴染み「レッツ キッス 頬よせて・・・」のジェンカです。
参加者は焼き立てのふわふわパンがもらえます。
老いも若きも・・・というより
応援に徹していた年配の女性も静々と立ってグランドへ向かい
何が何だか分からないで、
ただ前の人の肩にしがみついて歩いているうちに・・・
音楽は終わりに近づき・・・
パンをもらってニコニコ笑顔で応援席へ戻る参加者たち。
(今年も地区内のパン工場から沢山のパンをいただいたそうです)
初めて夫と二人で一輪車を押した「アベックボール運び」と
団塊世代にぴったしカンカンの「ゲートボール」
Hさんの代わりに走った「どぶろく祭り」
については、残念ながら写真がないので次回の課題としたいと思います。
*世界陸上の女子マラソンで土佐礼子さんが銅メダルに輝いたこの日、
我が上組チームは総合で第2位でした。
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