酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

思い出の地へ

2011-02-11 22:07:20 | Weblog
偲ぶ会の翌日(7日)、朝食(バイキング)を早々と済ませ、荷物をまとめて宅配で送り、
友人との待ち合わせの前に“思い出の地”を訪ねることにした。

榴ヶ岡のホテルメルパルクから、お寺やお墓を右に左に眺めながら新寺小路を南下すれば、間違いなく連坊小路方面へ着くはず・・・
ホテルの中は暖かかったが、やはり外は寒さが厳しく冷たい風も吹いている。

30分程歩き、新幹線の高架橋とJR東北本線の線路を発見。お~、やっぱり!
この線路沿いに東八番丁通りを目指せば、そこは40数年前初めて仙台へ足を踏み入れたAアパート・・・さて、昔のままに残されているだろうか?



40数年前、地元農協のSさんの2トントラックに一組の布団と小さな荷物を積み、夢と希望に胸を膨らませてやって来た仙台。

“思い出の地”とは、親元を離れて初めて一人暮らしを始めたこのアパート。



2階に6部屋あり、女子6人が入居。
私の部屋は、向こう側の4畳半。畳一畳1,000円也であった。
階下は北仙台の方で果物屋さんをしているという大家さんの住居スペース。
共同の台所を6人で使い、お風呂は大家さんのお風呂に入れてもらえた。
お風呂当番もあり、代わる代わるにお風呂を洗い、薪で沸かしていたっけ。

右側の角の部屋(mちゃんの部屋)に集まり、みんなでおやつを食べながらフォークソングを歌ったり・・・佐藤宗幸さんの「岩尾別旅情」も、あの頃は楽しかった~~。

ある時、戦後生まれの私が「空襲警報」の夢で目が覚めた。
カンカンカンカン・・・・・
けたたましい音が鳴り響いていた。

それもそのはず。
アパートのすぐそばが東北本線の踏切だったのだ。

外壁の落書きから推察すると、今は誰も住んでいないのか?
それでも、中から歌声や笑い声が聞こえたような気がした。


   
   *都合によりコメント欄を閉じさせていただきます。