酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

「浜通り」はどうなったのか?

2011-03-21 15:26:23 | 東日本大震災

10年以上も蔵で眠っていた折りたたみ自転車。そろそろ出番かな~(*´∇`*)


東北関東大地震については、連日報道されているとおりで、
岩手・宮城県の各地については毎日のように繰り返し映像が流されているが、
ここ福島県については、何と言っても福島第一原発のニュースがトップで、
他に双葉町の町ごと移動のニュースなど。

先日「つぶやき古道」の玉井人ひろたさんも「映像がない・・・」と記事にされていたが、福島県浜通り、特に双葉郡浪江町についてはどうなっているのか、私たち県内にいるものにさえ全く知らされていない。


浪江町で津波に遭い、二本松市へ避難していたオトウサン、
その後、迎えに来た親戚の方に連れられて県外へ避難して行く途中、
我が家へ寄ってくださった。
「知っている人が何人も死んでいった・・・」
震えるような声と寂しそうな顔が忘れられない。

浪江町の行方不明者が917人と報道されたのは、地震が起きて数日後だったが、
その後一体どうなっているのだろう?


今朝の福島民報「あぶくま抄」にはこんな事が書いてあった。

「相双地方に届けた今月初めの紙面をめくれば、ようやくフクジュソウが咲いたという知らせがあり、開花を控えてサクラの枝を整えた取り組みが載っていた。穏やかな季節の移り変わりを伝える紙面が一変したのは12日付だった。▼大震災当日の紙面には、浪江町の請戸港(うけどこう)で水揚げされ、釜ゆでしたシラウオの天日干しの写真があった。シラウオ漁は浜通りの春の風物詩だ。天ぷらやあえ物など味わい方は様々。地元では半透明の魚体を生で食べる趣向もあるが、命をかみ砕くことのほろ苦さがある。▼今となれば、穏やかな日差しの中、たゆとう海で船が網を引くさまを思い浮かべるのは難しい。浜通りの被災地で避難や屋内退避が指示された地域には捜索の手が入らず、この世を離れられないおびただしい魂が漂う。何より、身動きできないままかすかな意気遣いが続いているかも知れないのだ。宮城県石巻市で救助された二人は寒さの中、九日間も耐え抜いた。▼今日は彼岸の中日だ。古里の風景が一変した今、昨年と同じ気持ちで先祖の墓に手を合わせられる人は少なかろう。来年の彼岸にはどんな命を思っているだろう。シラウオはもっと苦く感じるか。




今日は彼岸の中日。
でも、実家のお墓参りには行けなかった。

振り返ってみると、
先月末から約一カ月間、早朝のウォーキングを除いて、
家から一歩も外へ出ていない。

そんなことは今までにもざらにあったことなのだが、
今回は訳が違う。

4台の車(乗用車と軽トラ等)に入っていたガソリンは、
仕入れと配達を優先にした。

明日辺りからは見通しがつくのだろうか?  
さて・・・・・




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