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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

NHKのプロフェッショナルを観ていて。

2011年04月04日 23時50分56秒 | 日記
今度の九州新幹線の内装も手掛けたという、言わば電車、列車デザインのスペシャリストの人生と仕事ぶり。
最近のNHKは良いなぁ、と思った。この番組は10月まで、一端、休止して、パワーアップして再登場すると。

NHKは本来持っていた映像技術と世界有数のスタッフを総動員してテレビ界に於ける世界一の番組作りを目指し続けて欲しい。
世界中が心を動かす番組を作り続けること…梅棹たいじんも言った様に…それが一番の国家安全保障になると芥川は思う。

商業主義から離れられない民放には、無理な事だから、尚の事。

NHKの、このような番組を観る人は、人口からみれば微々たる数なのだろうが、…真実は、いつかは万人の心に届く。
一つ一つの作品が積み上がって大河になった時、世界は称えるだろうし、世界中が観るだろう。

それらの作品を観た世界中の子供たちの中から、自分も、日本の誰それの様になりたい、こういう仕事がしたいと思う眼差しが増えること、、
それが映像というものの役割なのだと芥川は思う。

全ての人が、今、芸術とは何か、映像とは何か、意志とは何か、決断とは何か、そう言う事が分かっているなら、何も言う事はないのだから。
そうではないから、混沌があり、出鱈目があり、おためごかしがあり、小市民的な偽善があり、争いがあり、戦争があるのだから。

一つ、一つ、積み上げて行くしかないのだ。怒るべき時には怒り、厳しく寸評すべき時には寸評して、信じる道を進めば良い。

やり過ぎだ、だとか偏向してるだとかの圧力には、二度と屈しないで。世界一の映像を作っているんだとの自負を持って作り続けて欲しい。

帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史…輿那覇 潤〈著〉

2011年04月04日 17時49分14秒 | 日記
4月3日、朝日新聞読書欄から。 評者:中島岳志 北海道大学准教授

昭和の日本を描いた小津映画には、直接的な戦争描写が欠如している。しかし、われわれはそこに無意識のうちに戦争の爪あとを読み取る。なぜか。
 
小津には重い戦争体験があった。兵士としての小津は、帝国の先兵として中国大陸を歩いた。その経験は、作品の中に密かに投影されている。小津は、日本社会における「帝国の残影」に誰よりも自覚的な、創作者だったと著者は言う。
  
小津は生涯独身だった。にもかかわらず、彼は日本の家族を描き続けた。一方で、兵士として戦争を体験しながら、彼は戦争を描かなかった。
 
「みずから体験した戦場を描き出すことなく、しかし自身は形成した経験のない家族について語りつづけた小津という人物の秘めた謎は深い」
 
本書は小津映画を繊細に読み解き、小津の批評を巧みに抽出する。

そして、「兵士・小津」と「監督・小津」を同時代の歴史の中に挿入することで、昭和を逆照射する。読み応えのある一冊。


*帝国の残影が、産官学のトライアングル、マスメディア…特に論説員たちやキャスターたちに、存在し続けて、終に管直人内閣や、「フクシマ」を作ってしまったんだ、と言う事は、芥川の読者なら、とうにお分かりのはずだろう。

子供の時から、例えば東大に入る事ばかりを考えている様な人間の果ては…。

2011年04月04日 16時52分41秒 | 日記
これまでの原発建設に於ける産官学のトライアングルのような、へちまをやることになり、以下の様な、実に情けない有様になるのが、せいぜいなのだろう。

NHK爆笑学問 名門大学の「教養」 朝日新聞読書欄より。黒字は芥川。

爆笑問題の2人が、東大、慶応大、京都大、早稲田大、東京芸大の学生や教員たちと語り合ったテレビ番組の記録。
 「学問に守られているんだよ、先生は」と東大教授を挑発する太田光。一方自分の表現を多くの人に伝えられない、と悩む芸大生には「(自分の)ジャンルを突き放すこと」を説く。対話はスリリングだが、お笑い芸人に活路を見いたしてもらおうとするアカデミズム、に見えなくもない。  (主婦と生活社、1500円)

*芥川の同級生や先輩及び後輩には、この様な類の人間は一人も居ないと、芥川は確信している…親父が有名大学教授で等という、下らぬファザコンに囚われて居る様な例外は、極たまに居るかもしれないが。

言える事は、マスメディアに顔を出したり、寄り添って居る様な者たちには、梅掉たいじんたちの様な、本物は、少ないということだし、東京のサル山社会=縦割り社会の欠陥が、そこには在るはずだ。この20年のテレビが、どんなものだったか。何が爆笑問題だ。いい加減にしろ。…全員、今すぐ「ウメサオタダオ展」に行って来い!

NHKも、これまで言論に対する、報道の自由に対する圧力に屈し続けて来なかったら、こんな阿呆な番組を作る事もなかったろうとは思うが。

芥川も90%超の国民も、貴方がたとは違い、…。

2011年04月04日 14時54分05秒 | 日記
芥川は、何故、現政権を、その成立時から批判し続けているか? 或いは前述の業界人や、先般、ツイッターで見かけた、ネット上では経済面での大御所である方が、呟いていたような、「良い人なんだろうとは思うんだが…」などとは、間違っても思わないのは、当然の事なのである。…そう思う事は、彼らが為した、反民主主義に与した罪に加担することになるからである。

何のために、そんな事をしなければならないのか。

ましてや、実際は、私たちの国を動かしている優秀な官僚たちのトップに居る人間が、「総理の顔は二度と見たくない。あの×××が!」と、思わず吐き捨てる様な人間に、何の因果で、与しなければならぬ。

与する人たちは、×××としての人生を歩んでいるから与するのだろうが、芥川も90%超の国民も、貴方がたとは違い、×××としての人生とは正反対の、大した金はないが、義理も人情もある人生を生きているからだ。

芥川は、人生の中で、この×××の側にいる人間に、重要な節目の時に、三度もえらい目に遭ったこともあるから、尚更なのだ。

芥川も、×××の顔など二度と見たくもないのである。この先天性虚言症の様な詐欺師たちに与する事など、出来る訳がないし、もはや打ち倒さなければならないのである。