評者:音楽評論家 長木 誠司
ひとくちに西洋音楽史といっても、多様な切り口があろうし、想定される読者もいちようではない。本書はさだめし、既存の概説を紋切り型に感じるひと向きだ。
古代から現代までの歴史を5つの発明から解きほぐし、それらが後の音楽史にもたらした広く意外な影響を丹念に拾い上げていく。
ときに作曲家としての著者の視点も加わり、歴史家の描く歴史とは異なった親しみやすさを感じさせる。
視点の独自性で読ませる歴史
もちろん個々の情報は、現在の研究を踏まえた正確なものであるが、最新の情報で読み手を納得させるというより、視点の独自性で読ませる本だ。ここで言う「発明」の対象はモノとは限らず、むしろモノらしいものは第4章で扱われるピアノぐらいだ。ほかの4つは記譜法、オペラ、平均律、録音。強弱を自由に表現できるピアノは、チェンバロと異なり、まず歌の伴奏楽器として普及した。
サロンや家庭に入り、巨大な演奏会場にまで「ワンマンオーケストラ」として浸透するピアノは、同時に作曲家の道具ともなり、作曲の仕方、楽譜の書き方にまで影響する。ピアノという切り口では普通出てこないはずのマーラーのような作曲家まで、この脈絡上で話題になる。そしてピアノはジャズを生み、それをクラシックと架橋する。
第5章では蓄音機に代表される録音が採り上げられるが、著者の興味は「録音機」ではなく「録音」という現象そのものの発明にある。これによってクラシックを聴く層は一挙に拡大した。そして、録音を通してカルーソーやカラスといったニュータイプのスターが誕生する。
もちろん、この発明がもたらしたのはポピュラー音楽の普及だが、その史的な背後には平均律を発明させた西洋音楽のハーモニー志向がある。著者の根底には、ポピュラー音楽が席巻する現代を認めつつも、そこに刻み込まれたクラシック音楽の歴史を描出し、かつクラシック音楽の将来にわたる豊かさも維持したいという希望かありそうだ。
オペラの章の最後で、いまなお影響力のあるジャンルとしてオペラを捉える姿勢には、作曲家としての希望や楽観が垣間見えよう。その辺りに納得と批判をおり混ぜながら読むとよいだろう。
ひとくちに西洋音楽史といっても、多様な切り口があろうし、想定される読者もいちようではない。本書はさだめし、既存の概説を紋切り型に感じるひと向きだ。
古代から現代までの歴史を5つの発明から解きほぐし、それらが後の音楽史にもたらした広く意外な影響を丹念に拾い上げていく。
ときに作曲家としての著者の視点も加わり、歴史家の描く歴史とは異なった親しみやすさを感じさせる。
視点の独自性で読ませる歴史
もちろん個々の情報は、現在の研究を踏まえた正確なものであるが、最新の情報で読み手を納得させるというより、視点の独自性で読ませる本だ。ここで言う「発明」の対象はモノとは限らず、むしろモノらしいものは第4章で扱われるピアノぐらいだ。ほかの4つは記譜法、オペラ、平均律、録音。強弱を自由に表現できるピアノは、チェンバロと異なり、まず歌の伴奏楽器として普及した。
サロンや家庭に入り、巨大な演奏会場にまで「ワンマンオーケストラ」として浸透するピアノは、同時に作曲家の道具ともなり、作曲の仕方、楽譜の書き方にまで影響する。ピアノという切り口では普通出てこないはずのマーラーのような作曲家まで、この脈絡上で話題になる。そしてピアノはジャズを生み、それをクラシックと架橋する。
第5章では蓄音機に代表される録音が採り上げられるが、著者の興味は「録音機」ではなく「録音」という現象そのものの発明にある。これによってクラシックを聴く層は一挙に拡大した。そして、録音を通してカルーソーやカラスといったニュータイプのスターが誕生する。
もちろん、この発明がもたらしたのはポピュラー音楽の普及だが、その史的な背後には平均律を発明させた西洋音楽のハーモニー志向がある。著者の根底には、ポピュラー音楽が席巻する現代を認めつつも、そこに刻み込まれたクラシック音楽の歴史を描出し、かつクラシック音楽の将来にわたる豊かさも維持したいという希望かありそうだ。
オペラの章の最後で、いまなお影響力のあるジャンルとしてオペラを捉える姿勢には、作曲家としての希望や楽観が垣間見えよう。その辺りに納得と批判をおり混ぜながら読むとよいだろう。