文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「音楽史を変えた五つの発明」ハワード・グッドール著…4月17日、日経新聞読書欄から。

2011年04月18日 23時15分18秒 | 日記
評者:音楽評論家 長木 誠司  

ひとくちに西洋音楽史といっても、多様な切り口があろうし、想定される読者もいちようではない。本書はさだめし、既存の概説を紋切り型に感じるひと向きだ。

古代から現代までの歴史を5つの発明から解きほぐし、それらが後の音楽史にもたらした広く意外な影響を丹念に拾い上げていく。
ときに作曲家としての著者の視点も加わり、歴史家の描く歴史とは異なった親しみやすさを感じさせる。
 
視点の独自性で読ませる歴史

もちろん個々の情報は、現在の研究を踏まえた正確なものであるが、最新の情報で読み手を納得させるというより、視点の独自性で読ませる本だ。ここで言う「発明」の対象はモノとは限らず、むしろモノらしいものは第4章で扱われるピアノぐらいだ。ほかの4つは記譜法、オペラ、平均律、録音。強弱を自由に表現できるピアノは、チェンバロと異なり、まず歌の伴奏楽器として普及した。

サロンや家庭に入り、巨大な演奏会場にまで「ワンマンオーケストラ」として浸透するピアノは、同時に作曲家の道具ともなり、作曲の仕方、楽譜の書き方にまで影響する。ピアノという切り口では普通出てこないはずのマーラーのような作曲家まで、この脈絡上で話題になる。そしてピアノはジャズを生み、それをクラシックと架橋する。
 
第5章では蓄音機に代表される録音が採り上げられるが、著者の興味は「録音機」ではなく「録音」という現象そのものの発明にある。これによってクラシックを聴く層は一挙に拡大した。そして、録音を通してカルーソーやカラスといったニュータイプのスターが誕生する。

もちろん、この発明がもたらしたのはポピュラー音楽の普及だが、その史的な背後には平均律を発明させた西洋音楽のハーモニー志向がある。著者の根底には、ポピュラー音楽が席巻する現代を認めつつも、そこに刻み込まれたクラシック音楽の歴史を描出し、かつクラシック音楽の将来にわたる豊かさも維持したいという希望かありそうだ。
 
オペラの章の最後で、いまなお影響力のあるジャンルとしてオペラを捉える姿勢には、作曲家としての希望や楽観が垣間見えよう。その辺りに納得と批判をおり混ぜながら読むとよいだろう。
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パウル・クレー…続き。

2011年04月18日 22時54分49秒 | 日記
…前略。

「音楽家ではなく画家の道を選んだのは、音楽ではやるべきことをやり尽くしていたのに対し、絵にはやるべきことが残っていたからだ」
 
*昨夜の「ジョーダン、バスに乗る」で、マイケル・ジョーダンが本気で野球に取り組んだ気持ちと同じだなぁ、と。

…中略。

「クレーはバッハやモーツァルトの音楽を好んだ一方で同時代のシェーンベルクの音楽などに理解を示さなかったとも伝えられるが、やはり同時代の作曲家、ヒンデミットらとも交流があり、現代音楽を毛嫌いしていたと考えるのは早計だ。

「バルトロ 復讐だ、おお/復讐だ/」は、モーツァルトのオペラ 「フィガロの結婚」の一場面に想を得た作品だ。主人公のフィガロに女性を巡る恨みを持つ医師のバルトロが、復讐を決意した歌を歌う。画面中央の抽象化された人物の描写を、舞台上の歌手が両手を広げて歌っている様子だと認識した瞬間に、頭の中では堂々としたバスの歌声が響き始める。もともと素描だった作品を、カーボン紙による敷き写しに似た油彩転写という独自の技法で写して水彩で色づけしたこの作品は、画面いっぱいに響きをたたえる作品へと変容したのだ。

パリ在住のバイオリニストの庄司紗矢香さんは「練習のために譜面に向かった時に、しばしば、頭の中にビジュアルイメージがあふれ出てくる」という。近年はそのイメージをカンバスに描きとめて油彩画にしたり、映像作品にしたりしている。優れたアーティストの意識の中では、音楽と絵画が意外な近さを持っていることの表れともいえる。…以下略。

*芥川は、…言うまでも無い事だが、庄司紗矢香は、ただものではないと思っている(笑)
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パウル・クレー…4月17日日経新聞から。

2011年04月18日 21時51分57秒 | 日記
絵の道を選んだ音楽家 画面の上 鳴り響く調べ

画面にあふれる物語性や詩情で多くの愛好者を持つスイス生まれの画家、パウルークレー(1879~1940年)。
多様な作風の根幹を流れるのが「音楽」だ。自身プロオーケストラに入るほど腕達者なバイオリニストだったが、ある日、絵の道に転向を図る。


クレーはプロオーケストラで弾くほどバイオリンが達者だった。上の写真はミュンヘンの画塾で室内楽を演奏しているところ(右端がクレー)。演奏家を断念し、絵の道に進んでしばらくはピアノを教えていた妻リリー(左の写真面)の収入で生活していた
 
…前略。

クレーの絵画に「音楽」が詰まっていることをダーベレイさんに教えたのは、作曲家として師匠の師匠にあたるピエール・ブーレーズの著書だったそうだ。世界的な指揮者としても知られるブーレーズがクレーの絵画に興味を持ったのは、第2次大戦後まもなくだった。89年の著作「クレーの絵と音楽」(邦訳は筑摩書房、94年刊、笠羽映子訳)がダーペレイさんを啓発した1冊だ。その中にある印象的な言葉の一つを紹介しよう。
  
「これを読めば、クレーは最高の作曲教師だということが分かるよ」
 
美術教師としてバウハウスで行ったクレーの講義録「造形思考」について、ある作曲家がブーレーズに語った言葉だという。
 
クレーがプロのバイオリニストだったことは、つとに知られている。父親のハンスはスイスでも有名な音楽教育者、母親は声楽家で、妻のリリーも優秀なピアノ教師だった。バイオリンを習い始めたのが7歳だったというのは、英才教育盛んな現代からみると

少々遅めに感じられる。だが、11歳の時には地元のプロオーケストラ、ペルン市管弦楽団の非常勤団員になったというのだから、よほど才能があったのだろう。父親はクレーにバイオリニストとしての将来を嘱望し、本人も進路についてはかなり悩んだようだ。
  
何をしていても音楽が頭から離れない。そんなクレーの頭の中を見せてくれるのが、高校生時代の幾何学のノートである。ページの真ん中より少し右上に、「ソソソミーと書かれた五線譜の落書きがある。ベートーベンの交響曲第5番冒頭の「運命のテーマ」である。その真上に描かれた人物は、ベートーベンその人にほかならない。
  
ベルンのパウルークレー・センターではクレーがいつどんな場所で何の曲を弾いたかを調べてデータペースにしている。
  
同センター研究員の奥田修さんによると「画架を譜面台代わりにして演奏したのは、シューベルトの弦楽五重奏曲だった。場所はミュンヘンの画塾のアトリエです。絵の道に進んでからも、クレーはしばしばバイオリンを弾いていました」という。
 
画家を目指したクレーがミュンヘンの美術学校に合格したのは1900年、21歳の頃。亡くなる5年ほど前、つまり55歳頃まではバイオリンを弾いていたことが分かっているという。クレーはほぼ終生、音楽とともに生きていたのである。


「襲われた場所」

グロピウスの招きでドイツ・ヴァイマールのバウハウスに赴き、美術教師となった翌年の作品。「バウハウスで同僚だったカンディンスキーが色彩をコントラストで表現したのに対し、クレーの色彩は階調表現に特色がある」と後藤文子さん

…後略。

文 小川敦生
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「創造する力」松沢 哲郎著  4月17日、日経新聞読書欄から。

2011年04月18日 20時48分19秒 | 日記
松沢哲郎さん…50年生まれ。京都大霊長類研究所所長。

冒頭のエピソードに心が和んだ。著者が初めてチンパンジーのアイと会った日のこと。アイの目を見ると、アイも著者を見つめ返した。袖当てを腕からすーっと抜いて渡すと、すーっと自分の腕に通した。驚いていると、すーっと腕から抜き、はい、と返した。
 
この瞬間、「アイ・プロジェクト」が始まる。

500万年前に共通の祖先をもつチンパンジーを知ることによって、人間が人間たる理由を探る。
本書は昨年還暦を迎えた著者が、30余年にわたるチンパンジー研究からたどりついた「人間とは何か」への回答である。
 
アイが言葉を覚えたことで有名になったように、私たちは彼らがいかに優秀であるかに目を奪われがちだ。だが著者が示すのは、逆に人間のユニークさ。見つめ合い、模倣し、手をさしのべ、欺くなど、人間が4、5歳までに行う過程のほとんどがチンパンジーにもある。
だが明らかにないものがある。

「人間とは」30年の研究の回答
   
役割分担や利他性の先にある互恵性。自分の命を差し出してでも他者に尽くす、自己犠牲だ。
 
チンパンジーには「他者の心を理解する心」がないからやむをえない。あるかもしれないが証明する手立てがないという。言語行動によってしか証明できない点がこの研究のむずかしさで、著者が四半世紀もの間、ギニアのボッソウに通い続けたのも、野生チンパンジーの自然の暮らしにその手がかりを探すためだった。
 
チンパンジーが人間の成人より瞬間的な記憶に優れているという最新の研究結果も示唆に富む。その理由を説明する「トレードオフ仮説」は明快である。

人間は瞬間的な記憶を失う代わりに言語をもち、対象をシンボル化する能力を得た。
子育てや狩猟など、必要な情報を仲間と共有するにはそのほうが好都合だからだ。
 
「今ここ」を生きるチンパンジーは、だから明日を思い煩うことはない。一方、人間はたやすく絶望する。だが著者は記す。「絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる」。
アイたちが教えてくれた人間の力が今、最大の試練を迎えている。

評者:ノンフィクションライター 最相 葉月 
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芥川君、頼んだぞ、と言いながら、梅棹たいじんは去って行った。

2011年04月18日 20時32分25秒 | 日記

しっかり頼むぞ。と見事な日の丸を頭に沿った梅棹たいじんは、








遠慮は要らぬ。思う存分、書いて書いて書き続けるのだぞ、









お主なら出来る。その言葉が、日本中に満ちるまで、書いてくれよ、と言いながら、去って行ったのだった。







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季節のせいか、水が少し濁っていたのだが、

2011年04月18日 18時32分21秒 | 日記
同行者である専務が、「来て見て、鯉が居るよ」、と。

行ってみれば、何と!梅掉たいじんが、見事な日の丸を背負って現れたではありませんか!(笑)




芥川君。







日本を、




頼んだぞ。と言いながら。


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国立民族博物館を「大地の池」から撮って見た。3月の午後5時過ぎ。

2011年04月18日 18時26分59秒 | 日記






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どうしても民俗博物館の全景を撮りたいなと思っていたら。

2011年04月18日 18時19分55秒 | 日記
今度は、百舌が現れた。




























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最初に訪れた時の事…「ウメサオタダオ展」を出て来たら。

2011年04月18日 18時07分35秒 | 日記
何と、ボブ・マーリィの♪ Three Little Birds ♪ならぬ、二羽の雀が、国立民俗博物館前の池=大地の池、看板の上に居るではありませんか(笑)

3月の夕刻5時過ぎですので、悪しからず。






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メルマガの予告。

2011年04月18日 17時39分47秒 | 日記
近日中に、メルマガにて、
「文明のターンテーブル」で書いた、21世紀の資本主義、安定した市場を作る。

この事に対しての、芥川の、具体的な答えを書きます。…これが本当の独創であることは誰にでも分かる…梅掉たいじんは、独創とはインスピレーションのことである。と言った訳ですが。

それと、第二章の重要なテーマの一つは、予定よりも、早めて書き出す事になると思う。…予定では、最後に持って来ようと思っていたのですが。

*芥川のメルマガとはサイドの欄に、小さく□■メルマガ■□と在るものです。
小さくて申し訳ありませんが、ここをクリックして頂ければ、芥川の、第二章「21世紀の戦争と平和」の連載が、貴方の元に、毎週火曜日に届きます。今は、5月16日号まで発行済み。常に、1ヶ月先までを…そこまでしか書けない規定に成っているから…書いていますので、どうぞ、御安心して御購読ください。

第二章に於いても、芥川の思索と、日本に対する答えを書き上げますので。
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前章に書き忘れた事。

2011年04月18日 17時36分33秒 | 日記
「ウメサオタダオ展」の素晴らしさとは、…館内の全てが、梅掉たいじんの、脳内開陳そのもの!なのである。

梅掉たいじんの90年が、そこには見事に、簡潔に、余すところなく在るのである。

…こんな展覧会が出来る人間は、たいじんの他にはいないだろう。

芥川が来たからだと思うが(笑)、最初の訪問時に、「おお、梅掉たいじんが、鯉に成って現れた」(笑)。写真は、次々章にでもアップします。
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「ウメサオタダオ展」の素晴らしさと、驚愕の一致。

2011年04月18日 16時58分16秒 | 日記
昨日、或る特定の目的の為に、「ウメサオタダオ展」に行った。

閉館前、30分に到着したのである。それで、閉館を、ほんのちょっとだけ遅らせてもらった、お詫びの様に、一冊の本を買った。前回に訪れた時には、勘違いして、或る本を買ったことは、メルマガを購読して頂いている方は号外で読んで頂いた通り。

素晴らしい本だった…故・高橋和己とたっぷり対談した訳だから、素晴らしいのは当然だが。

昨日は、何故か、少しばかり睡眠不足だったので、視力が落ちている感じだったから、或る、見やすそうな本を買ったのである。

それが、今朝、出がけに気付いた小さな書評、「梅掉忠夫のことば」だった。

今日、帰社するタクシーの中で、この本を読んでいて、まさに驚愕した。

梅掉たいじんは、芥川が考えていた事と、全く同じことを考えていたのである。

今、芥川が書き出している、「文明のターンテーブル」、第二章、「21世紀の戦争と平和」の中の、最も、大きなテーマに成る事の一つを!

流石に、梅掉たいじん。…芥川と全く同じに、これ以上ないジェントルさで!
彼も考えていた。

この事は、芥川と彼の様な頭脳にしか宿らないもの…日本人が為さなければならない最も重要な事の一つ…日本人にしかできない事だ。

20歳前後の時に、ル・クレジオに、出会った時の衝撃は、とても大きなものだったが、
…今は、さもありなん、と思いもしたと同時に、…100万の援軍、信長殿の最強軍団に守られた様な気がして、涙が出た。

読者の方々は、芥川が言い続けて来た事…大江健三郎~高橋和己、そして芥川賢治という、戦後日本が生んだ最も上質な思索の流れの中に居る事を、150%、確信してもらっていい。

芥川の場合には、特に、彼らとは、或いは殆ど全ての知識人たちとは全く正反対の人生を歩んだがゆえに、…そこには本当の思索、本物の独創しかないことも、100%、保証する。

後は、一刻も早く、芥川のメルマガを、ホリエモン氏を抜かすものにして下さい。

さすれば、日本は…「文明のターンテーブル」が廻った国に、瞬時に戻れる。
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さっき、某大手信託銀行の中堅社員さん二人と話をしていて驚いた事。

2011年04月18日 16時36分16秒 | 日記
さっき、某大手信託銀行の中堅社員さん二人と話をしていて驚いた事。

二人とも朝日新聞を読んでいない!というのである…当然ながら、3月11日、朝刊の大スクープ記事の事は、全く知らなかった。

銀行員だから日経新聞だけを読んでいるか、或いは。、ネット上で、経済関連の記事だけを見ているのでしょうが。

芥川が、日本の、民放テレビ各局に、世の中には、世界には、如何に、扱うべき事実、21世紀人間としては、絶対的に知っておくべき真実の数々が、山の様にあるか、ということ…ニュートンが言った様に、「知識の大海から見れば、自分は、砂浜の砂、一粒の様なものだ」、その様な謙虚な態度で、ジャーナリズムとして取り上げなければならない事は山ほど在る。

一部芸能事務所と、そこに所属する芸人やタレントたち(以下「甲」という)の、
甲に依る、甲の為のテレビを、やり続けている場合ではないぞ。…これ以上、国民を痴呆化することは許されない…その結果として国に大損失を与え続ける事は許されないのだ…ということを知らしるために、続けている読書欄紹介や、様々な記事等の紹介には、意味が在るのだ、…続けなアカンと思った次第。

同時に、結局はテレビの良し悪しが、国の盛衰まで決めてしまうのだという、堪らない現実…60数年前は、これがラジオだった訳です…に対して、芥川は言い続けなければならない。書き続けなけれなならない事も再認識した。
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「あの戦争と日本人」 半藤一利〈著〉4月10日 朝日新聞読書欄から

2011年04月18日 16時18分48秒 | 日記
評者:保阪正康

各様の読み方が可能な書である。あえて半藤史観にみるナショナリズムのあり方という目で読み進むと、幾つかの発見がある。

偏狭な「大」国家主義と怜俐な国民主義の違いがわかってくる。
 
たとえば私たちはいかに四文字七音が好きなのか。大政奉還、王政一新、文明開化から始まり、昭和に入るとまさに四文字七音の氾濫だと著者は指摘する。百本人の感性に合っている」というわけだが、しかし王道楽土、万世一系、鬼畜米英としだいにこの感性も歪んでいく。

八紘一宇との戦争目的は「誇大妄想的な理想」の典型と説くのである。
 
明治から昭和までを著者独自の見方で俯瞰していく、その語り□になじみながら、この国の政策がいかにリアリズムを失い、思い込みと増長で現実への適応力を失っていったかが12の項目で明かされていく。

日露戦争後のナショナリズムは国家目標の喪失により、「大和魂」とか「愛国心」がしきりに強調される形で形成される。
国防問題に政府を関与させない慣行も定着して、政治と軍事が「真ッニつに分かれている国家」ができあがる。

著者の語りは、この歪みが昭和期には矛盾の海になり、私の少年期はその海で泳いでいたようなものだとの響きがこもっていく。

むろんその偏狭と矛盾を正そうと冷徹な目をもつ昭和人は、軍人の中にもいたと、何人かの軍人の名もあげる。

そこに共感しつつもなぜ彼らは主流になりえなかったのか。

昭和天皇も歪みを正そうとした枠組みに入ると言い、「昭和の軍部と政治指導者」がその「よき人柄につけいった」との論は今後さらに実証されるべき視点でもある。
 
日露戦争、統帥権、特攻隊、八月十五日などの項目ははからずも国民が熱狂を帯びて崩壊するプロセスでもあるが、そこから学ぶべきは「自制と謙虚さをもつ歴史感覚を身につけること」という言は改めて噛みしめてしておきたい。
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政治家とジャーナリスト。

2011年04月18日 14時21分27秒 | 日記
政治家というのは職業政治家な訳である。つまり政治を自分の人生の職業とした人たち。

ジャーナリストというのも職業ジャーナリストな訳である。つまりジャーナリストであることを自分の人生の職業とした人たち。

で書き始めた論文は、普遍的なものでもありますが、今の状況に、密接にかかわっている面がありますので、15時30分発行のメルマガとしました。

どうぞ、御購読ください。読んで頂く値打ちは有るものです。
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