コクヨグループは28日、集合住宅を併設した宿泊施設を京都市内に開業した。
JR京都駅八条口から徒歩12分の場所で、宿泊施設は主に外国人旅行者を、集合住宅は若年層の利用を見込む。
宿泊とアパートの賃貸収入、館内のレストラン運営を含め2012年に1億6000万円の売り上げを目指す。
開業したのは「ホテル アンテルーム 京都」。
ホテルは客室が61室、集合住宅は50戸を用意した。
客室はダブルやツインなど4種類で、広さ約15~30平方メートル。
料金は1室6500~1万3000円。
集合住宅は約15平方メートルの部屋が34室(一部家具付き)、約30平方メートルが16室。
料金は月額4万9000円から。
大阪を舞台に小売りの生き残り競争が幕を開ける。
台風の目は5月4日に開くJR大阪三越伊勢丹。
顧客を奪われまいと阪急、大丸など既存勢力もこぞって増床に動いており、市内の百貨店の売り場面積は今後3年で石割近く増える。
余波は専門店ビルなどの異業種や周辺都市にも及ぶ見通しだ。
激戦の行方を追う。
大阪駅構内に設けられた三越伊勢丹の会員カードの申し込みカウンター。
休日ともなると5つある窓口は若い女性らでいっぱいになる。
「大津から通勤しているので駅の真横にあるのは便利」と話すのは47歳の会社員。
開業まで1週間を切り、人々の関心はいやが上にも高まる。
東日本大震災の影響で募集活動を一時縮小していたが、開業時の会員数は目標の5万人を上回る見通しだ。
最大の武器は大阪駅という立地。
顧客は改札を出てすぐに店に入れる。
大阪駅の1日平均85万人にもおよぶ乗降客が潜在顧客となる。
希少な立地を確保できたのは、JR西日本という強力な援軍がついているためだ。
さらにJR西日本は和歌山や奈良から大阪に買い物に行きやすいように、ダイヤ改正により直通電車を増やした。
百貨店のカード会員の申込カウンターも周辺の約100駅に順次設ける。
自前売り場3割
両社は共同出資で百貨店の運営会社を設立し、すでに京都で成功を収めている。
1997年に開いたジェイアール京都伊勢丹は08年のりーマン・ショツクまで10期連続で増収。
阪急などが閉店した結果、いまや高島屋、大丸と並ぶ3強の座を占める。
とはいえ大阪の新店は競合を圧倒する巨艦店ではない。
面積は5万平方メートル。
近隣の大丸梅田店より2割小さく、改装後の阪急梅田本店と阪神梅田本店の合計に比べると3分の1しがない。
規模のハンディを補うのが伊勢丹流の売り場作りだ。
流行の先端をいくといわれる新宿本店(東京・新宿)のノウハウを活用。
ブランドのショップを並べるだけでなく、独自に〝編集″する。
婦人靴やバッグではブランドの垣根を取り払い、顧客が自由に商品を比べられるようにする。
伊勢丹の仕入れ担当者は流行の変化を読み、有力ブランドにオリジナル商品を作らせることが多い。
大阪にもそんな商品が数多く並ぶ見通しだ。
一方、紳士衣料は2フロアを「一人で過ごすオン」「仲間と楽しむオフ」と区分。
そのうえで出勤前、夜の書斎というように一日の場面ごとに、化粧品やインテリアなどを含めて陳列する。
伊藤達哉店長は「ブランド数を競うつもりはない。顧客の生活スタイルや商品の使い方を提案し、そのなかにブランドを配置する」と話す。
同店の独自編集の売り場は全体の3割におよぶ。
日本の通常の百貨店の約2倍だ。
競合店の幹部は「どのブランドがどんな手法で詰め込まれているかは脅威」と漏らす。
空白地に進出
三越伊勢丹にとって大阪進出は悲願だった。
国内市場が縮小するなか、東京に次ぐ規模の大阪を空白にはしておけない。
ただ大阪の百貨店の競争は京都の比ではない。
各店の相次ぐ増床で、3年後の市内の売り場面積は従来より約5割大きい55万平方メートルになる見通し。
一方で売上高は過去3年で2割も縮んだ。
伊勢丹が得意とする先端のファッションが、どれだけ大阪で受け入れられるかも未知数だ。
やはり伊勢丹流を掲げて昨年9月に増床・改装した三越銀座店(巫只・中央)は、売り上げを伸ばすため今春から品ぞろえや価格帯を見直す。
大阪でも、顧客の反応をみながら素早く調整することがカギになる。
最大の競合となる阪急梅田本店は工事の遅れから、全面開業を12年春から半年以上延ばす見通しとなった。
それまでに三越伊勢丹はどれだけ顧客を囲い込めるか。
スタートダッシュの成否は競争の行方を左右しそうだ。
今朝の日経新聞1面「春秋」から。
黒字化は私。
6年前、ドナルドーキーンさん(88)に会った。
本題が終わり、「息抜きにどんな本を読むか」と尋ねた。
幕末の画家・思想家、渡辺畢山の伝記を雑誌に連載していたので、気分転換に新しい小説を手にすることがあるかと考えたのだ。
いま思い出してなお背に汗がにじむのだが、キーンさんはこう答えた。
「私は息抜きの読書はいりません。本は難しければいい」。
自伝に「生涯を通じて私は、日本および日本人について出来る限りのことを学びたいと努力してきた」と書いている。
努力と裏表にあろう覚悟に思い至らず、ただ恥じいるしかない。
キーンさんが日本に帰化し、日本に永住する。
震災で決心したという。
26日には米コロンビア大学で最終講義をし、「愛する日本で余生を過ごすという私の決断が、人々を勇気づけられればうれしい」と語った。
希代の日本文学者がこの時期のこの国を終の棲家に選んだ新しい覚悟は、誰の胸をも打ってやまない。
キーンさんはかつて、桜にあまり美しさを感じなかった。
変わったのが岩手県の中尊寺で満開の花を目にしたときなのだそうだ。
「東北の長い冬の後、黒い森の中で桜が咲くのが、本当の桜の良さなのだと初めて分かった」と講演で話したことがある。
きのうは震災から四十九日。中尊寺の桜はちょうど見ごろだ。
福島原発のがれき除去
三菱重工業は27日、東京電力福島第1原子力発電所事故で復旧作業の妨げとなっている放射性物質に汚染された、がれきの除去作業を効率化できるフォークリフトを開発したと発表した。
放射線量が高い場所で、人が乗って操作できるように操縦室を分厚い鉛ガラスなどで密閉した。
がれき除去作業を担当する大成建設などの共同企業体に対し、5月に2台を納入する。
マイコンの世界シェア3割で最大手のルネサスエレクトロニクスが、被災した那珂工場(茨城県ひたちなか市)の復旧を急いでいる。
同工場は自動車を制御するマイコンで全社の4分の1を生産する。
取引先の自動車メーカーなどが送り込んだ応援要員は最大で1日2500人、夜を徹して作業が続く。
一部の生産ラインは当初の見込みより1ヵ月早い6月15日の再開が決まった。
マイコン主力工場応援要員1日2500人
■コードネームは「絆」 復旧のメドが立ったばかりの200ミリメートウエハーの生産ラインでは、白い防じん服に身を包んだルネサスの技術者らが、装置の動きに目を光らせる。
試作品のコードネームは「絆」。
露光装置など数多くの設備が順調に動いている。
約1ヵ月前には想像もできなかった光景だ。
震災直後は同社の国内8工場が停止、生産能力の約5割が失われた。
とりわけ被害が大きかったのが那珂工場だ。
揺れの大きさは想定していた400ガルの約2・4倍。
通路の壁や天井は崩落。
わずかな位置ずれも許されない装置が倒れていた。
執行役員の鶴丸哲哉(56)は那珂工場に足を踏み入れた3月21日、惨状に目を疑った。
水やガスなどの設備が損傷し、工場内の空気を清浄にする機能も停止していた。
「こんな状態から正直どうすればいいのか」
マイコンは機器の制御に必要な計算機能を持つ中枢回路と、何種類もの周辺機能を組み合わせて、顧客の希望に沿った製品に仕上げる。
自動車1台には50~IOO個使われる。
トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」に採用されているマイコンの大半はルネサス製とみられる。
ルネサス製が優れる点は、データ処理能力や省電力性能。
豊富な周辺機能を使ってきめ細かく顧客の要求に応え、受注を獲得してきた。
とりわけ蜜月関係を築いたのが自動車メーカーだ。
車種ごとに最適な仕様のマイコンを数年がかりで開発。
国内の自動車各社はマイコンを、欧米企業との差異化につなげてきた。
■他社切り替え難しく ある自動車メーカー飴部は「すぐにも複数購買をしたいが、現実的には困難」と打ち明ける。
重載用のマイコンは過酷な便用環境に耐えるよう素材や製造方法を吟味して開発する。
海外の半導体メーカーから代替品を調達したくても、品質を1から検証するには半年以上かかる。
那珂工場を復旧させたほうが、結局は 「早く製品を手に入れられる」(同幹部)。
「人ならいくらでも出す。早く生産を再開してほしい」。
復旧が遅れれば製造業全体がまひする。
そんな危機感を抱いた自動車大手など大口顧客の間では復旧支援の輪が急速に広がっていった。
鶴丸は「通常の4倍遠くらいで復旧作業が進んだ。
少しでも早く製品を届けて恩返ししたい」と話す。
ただ「生産再開の前便しはありがたいが、量がまだまだ足りない」との声もきかれる。
水面下ではマイコン争奪のさや当ても始まっている。
海外の半導体メーカーはこの機にルネサスから顧客を引き抜こうと日本の自動車各社に秋波を送る。
ルネサスの那珂工場か持っているマイコン存庫が尽きるのが5月末。
西日本の拠点活用などで供給力を増やし、顧客の信頼をつなぎとめられるか、正念場だ。(敬称略)
東日本大震災は国境を越えて形成されたアジア経済圏の相互依存を浮き彫りにした。
日本の部品が止まればアジアの生産機能が低下し、アジアの成長が陰れば日本の復興も遅れる。
サムスンが融通
「被害を受けた企業に無理な納期の要求をするな」。
韓国・サムスングループは震災の翌週、部品・素材や製造装置の購買にあたる日本サムスンに取引先の実態調査を指示した。
生産に支障が出ていた取引先の日本の電機メーカーには調達予定だった電子部品などの原材料を割り当てた。
工場に被害が出ていたソニーも部品の融通を受けた。
サムスンは「日本企業の回復に向けどうやって手伝うかを考える」(幹部)という。
同社は日本で部材を調達する一方、液晶パネルなど中間財を日本企業に供給する。
相互依存関係にあるサプライチェーン(供給網)が寸断されれば自社工場の稼働に影響する。
かといって自社での代替生産には限界がある。
「一企業がすべての素材・部品を内製化すれば資本効率が低下する」(韓国LG幹部)。
サムスンは内製化できる部品・材料はすでに手を付けているが、それ以外は引き続き日本企業から調達した方が低コストで済む。
韓国企業が日本の素材・部品の生産復旧に手を貸すのは利益に直結するからだ。
「中国企業は部品など裾野産業を広げ、代替需要に応えるべきだ」(中国政府系シンクタンクの国務院発展研究センター幹部)。
震災直後、アジアでは日本製品の代替を模索する動きが強まったが、簡単にはいかないこともわかってきた。
中国の電機・自動車大手のBYDは携帯電話の生産に使う日本製の半導体メモリーやコンデンサーの調達が難しくなった。
日本製以外の部品に代替し、記憶容量の低い普及品に切り替えたが、利益率は低下した。
同社営業幹部は「日本製部品に戻したい」と語る。
中国の自動車業界では日本製部品の代替すら困難な状態で工場の休止が相次ぐ。
アジアには市場を通じて築いた分業ネットワークが広がる。
日本が部品・素材、製造装置を担い、パネルなど中間財は韓国・台湾が手がけ、最後に中国や東南アジアが最終製品に組み立てている。
それぞれが得意分野に集中し、高い品質と効率を実現してきた。
このアジアの分業体制が崩れれば企業の利益は減少し、経済成長率も低下する。
台湾の有力シンクタンクの中華経済研究院は、日本の震災が台湾の2011年の実質域内総生産(GDP)伸び率をO・31~O・64%押し下げ、3・96~4・29%になると予測する。
震災で傷ついたネットワークをアジアの知恵と資金を使って復興させようとの構想も浮上する。
「東北で都市づくりをしませんか」。
国際協力銀行(JBIC)の幹部はシンガポールの政府系投資会社、テマセクーホールディングスの幹部を回り、協力を要請した。
同社は豊富な資金を背景にアジアでインフラ整備を手掛ける。
中国広州では260億円を投資、住宅とハイテク産業が一体となった「知識都市」の建設を進める。
JBICは以前から温めてきた構想を実現させる好機ととらえ動き出した。
対印輸出45%増。
アジアの力強い消費も日本の復興には欠かせない。
「ダイナミックな市場で成長を達成できなければ我が社の有望な未来はない」。
12日、インド・ムンバイでパナソニックが開いたシヨールームの開設式。
大坪文雄社長は額に施す現地の装飾の「ヒンディー」を付けて現れた。
震災後の初の海外訪問に消費が膨らむインドを選んだ。
日本の3月の輸出は震災の影響で前年同月比2・3%減に終わったが、インド向けは45%増の978億円で好調だった。
サプライチェーンを研究する東京工業大学大学院の円川隆夫教授は「アジアには日本の部品供給力が欠かせず、日本はアジアの成長力を取り込まないと発展はない」と話す。
富を生み出すネットワークを復旧し、より堅固にしようとヒト、モノ、カネが動き出した。
(ソウルー尾島島雄)