文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

居並ぶ国会議員を硬直させた児玉龍彦東大教授の魂の叫び…週刊朝日8月19号より

2011年08月11日 16時56分01秒 | 日記
「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体、何をやっているのですかーーーー!」

7月27日の衆議院厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授(58)は、居並ぶ国会議員に向かって。絶叫”した。この映像が動画投稿サイト 「YouTube」にアップされると、再生回数は数日で20万を突破した。

〈感動した。東大にもこんな先生がいるんだ〉〈恐ろしい事実がわかります。国の無策がわかります〉といった激賞が書き込まれている。

内科医でもある児玉教授は、内部被曝研究の第一人者だ。それだけに、その言葉は衝撃的だった。
〈(3月21日に)枝野(幸男)官房長官が「差し当たり健康にあまり問題がない」とおっしゃいましたが、私はこの時に大変なことになると思いました。

われわれが放射線障害をみる時は総量をみます。東京電力と政府は今回の福島原発事故の総量がどれぐらいか、はっきりした報告はまったくされておりません〉

同センターは、今回の原発事故による汚染の度合いを独自に試算した。児玉教授は委員会でそのすさまじさを説明した。

〈今回、広島原爆の29・6個分、ウラン換算では20個分か漏出しました。原爆による放射線の残存量が1年で千分の1程度に低下するのに対し、原発の放射性汚染物は10分の1程度にしかならないのです〉

児玉教授は震災後、福島県南相馬市での除染作業を7回行ったというが……。

〈私か現在やっているのはすべて法律違反です。現在の(放射線)障害防止法では各施設で扱える放射線量、核種等は決められています。南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限なんか得ておりません。

車で運搬するのも違反です。しかし、お母さんらに高線量のものを渡してくるわけにはいきません。除染では、すべてのものをドラム缶に詰めて、東京へ持ち帰っております〉 

そして、一刻も早く子供の被曝を減らすため新法を制定すべきだ、と髪を振り乱して力説した。最優先課題として、汚染地域での徹底的な測定を求めている。

〈なぜ政府は全面的にお金を使わないのか。私は満身の怒りを表明します〉ネット上での大反響を受け、児玉教授の息子はツイッターでこう書き込んだ。

〈父は影響力のある科学者ですが、同時に病気の妻を抱えた58歳のただの男です。一人ですべてを解決できるわけではありません。本当に状況が良くなるために、一人一人ができることがあると思います〉

8月6日、南相馬市長と一緒に会見し、緊急除染の必要性を訴えた児玉教授は、穏やかな口調の紳士だった。

息子の書き込みを見せると、「書いちゃったようで……」と照れくさそうに笑い、改めてこう訴えた。
「どこの党が議員立法などで迅速に動くのか、国民は注視すべきです」重い言葉である。

私の印象で言えば、いかにも日本のゲーノー界関係者の評に相応しい軽さだな、と思っているだけの事。

2011年08月11日 16時42分46秒 | 日記

*私が、この評を紹介する事には、さしたる深い意味はない。
つまり、この評者の意見に、私が賛同しているとうい訳では全くないのである。
私の印象で言えば、いかにも日本のゲーノー界関係者の評に相応しい軽さだな、と思っているだけの事。
(以下本文)

音楽プロデューサー森川欣信
1952年生まれ。オフィスオーガスタ代表取締役。山崎まさよし、スガシカオらを輩出。
ビートルズに詳しいことで知られる

ビートルズを解散し、1971年にオノ・ヨーコとニューヨークに渡ったジョンーレノンの9年間を追ったドキュメンタリーです。
ジョンのメモリアルは多くありますが、本作には新しい映像、新しいジョンの言葉がたくさん出てきて「なるほどな」と感心しました。
一番思ったのは「ジョン・レノンつてやっぱりすごくいい加減な人だったんだな(笑)」ということ。
当時はベトナム戦争まっただ中で、反戦を訴えることがインテリっぽくファッショナブルでもあった。
ジョンはその空気をすばやく察知してそれにのったんです。
ポールはもっと地に足着けた人なんだけど、ジョンは流行リモノ好きで、人にも影響されやすい。
その最たるものがヨーコさんですが。
でもそこが彼の魅力なんですよね。
ブレるし、いい加減だったりするけど、そんな生身の人間味が魅力的で許せちゃう。
アーティストつで自分の弱いところを見せることで人々の共感を得たり、それが人々に訴える力になっていくと思うんです。
それをジョンはやっていたんでしょうね。
75年から5年間のジョンの動向は当時から謎でした。
その間、彼はショーンの誕生で完全に主夫業に専念していたことが本作でよくわかりました。
スタジオにショーンを連れてきて、レコーディングを見せるシーンが好きですね。
今までと違うジョンを見た気がします。
「反戦だ、平和だ」と歌ってきた彼が、家族のなかに本当の“ラブ&ピース”を見つけたんでしょう。
人の心をひっかいて反戦を訴えていた時よりも、彼自身の心がおだやかな時代の音楽のほうが僕らの心に届く。
音楽ってそういうものだとあらためて思いました。
(聞き手・中村千晶)


伊良部秀輝は本当にトラブルメーカーだったのか…週刊朝日8月19日号より

2011年08月11日 16時15分36秒 | 日記

私の周囲にいた方々は、私の、ヤクザとは何なのか、という話を聞いた事があるわけだが、全く同じ事を私が言っていた事に気付かれるはず。

お代は見てのお帰りに   小倉千加子
 
伊良部秀輝(享年42)がロサンゼルスの自宅で首を吊って亡くなっているのが発見された。痛恨である。近所の人たちはこの1ヵ月ほど伊良部がすごく落ち込んでいたことと、最近ポストに郵便物が溜まっていたことを証言している。

伊良部はロッテ時代、降板指令に怒ってグローブと帽子をスタンドに投げ入れたことがある。ヤンキース時代には、めった打ちにされた試合でベンチに戻る際、ファンに唾をかけたことから「ビッグ・チャイルド」と報道されたことがある(本人は審判にしたことでファンにしたのではないと言っている)。

伊良部にはこわもてのイメージがつきまとっていた。3年前、大阪市北区のバーで酔って暴れ、現行犯逮捕された。

朝日新聞(7月30日)の「EYE」というコラムで、西村欣也編集委員は、87年、香川・尽誠学園高のエースとして甲子園に出場した伊良部がお立ち台で不機嫌そうな顔をして「それが、どないしたんですか」と、記者の質問に敵意のようなものをむき出しにしていたことを紹介している。

西村氏は「そんな彼が嫌いではなかった」と書いている。

18歳の時から、伊良部は社会に「敵意」を向けて生きてきたのだ。しかし、これは子ども時代の伊良部が世間から向けられてきたものをそのまま返したに過ぎないと言えないだろうか?

精神分析家カレン・ホルネイは、人間の「基本的不安」を「敵意に満ちた外界に囲まれて、自分は孤独で無力であるという幼児の感情」と定義している。

幼児がこのような基本的不安感を惹き起こすのには第一義的に親に原因がある。
「直接的・間接的な支配」 「冷淡で無関心な態度や一貫性のない行動」
「子どもの個人的要求に対する尊敬の欠如」
「軽侮的な態度」
「けんか口論する親のどちらかの味方をさせられる経験」

ホルネイは、親以外の要因として、「他の子どもたちからの隔離、差別」と「敵意に満ちた雰囲気」をつけ加えている。こういう環境の下で育つ子どもが進んでいく方向は三つある。「無力感」と「敵意」と「孤独感」である。

尤も、一つの方向だけが純粋に育つということは実際にはありえず、一つが優越しているだけである、ともホルネイは書いている。

伊良部は周囲からの敵意を当然のことと考えて受け容れ、意識的・無意識的にその敵意と戦う決心を早い時期にしていたのではないだろうか。

そのような子どもは他人の感情や意図を絶対に信用せず、あらゆる方法で反抗し、自己防衛と復讐のために強者となって他人を打ち負かしたいと望むようになる。

伊良部がヤンキースに移籍する際のトラブルにも、この強者指向を感じるのである。伊良部は94年ロッテで15勝を挙げて最多勝利投手となった。同年、239の最多奪三振も記録した。その時、25歳だった。

野球では投手と打者は特にそうなのだが、身体的なピークを過ぎたことは数字が証明する。それでなくても伊良部は大きな身体をしていた(193センチ、108キロ)。

「力」の投手というイメージがあったのだ。だからというべきか、怠慢プレーを見せると掌を返したように、ヤンキースのスタインブレナー・オーナーに「太ったヒキガエル」と中傷された。

「太ったヒキガエル」という呼称には「人種的な差別」が潜んでいる。この時、伊良部に既視感はなかったろうか。


インドに飛び火した「フクシマ・アクシデント」④…週刊朝日8月19日号より

2011年08月11日 15時54分13秒 | 日記

…前章からの続き。   文中黒字化は私。

原発建設後、タラプールには多くの企業が進出し、雇用が増えた面はある。しかし日本と違い、電力会社が地元に交付金を払って理解を得るといった構図は、インドでは見られない。

「原発で発電しているはずなのに、この村では毎日何時間も停電が起きる。地元では原発ができていいことはなかった」そう話すラウル村長は今、政府を相手どり、タラプール原発の停止と廃炉を求める訴訟を起こすことを検討している。

「フクシマ後、インドでは反原発機運が高まり、原発立地は一層難しくなるだろう」
こう語るのは平和運動家でもあるジャーナリスト、プラフルービドワイさんだ。

現在、インドの原発新設はフランスがIカ所、ロシアが2ヵ所、米国が2ヵ所で受注を固めつつあるが、
「インド東部のハリプール原発の予定地では住民の反対運動が激化し、ロシアの調査団の現地訪問が阻まれることもあった。ロシア側に慎重論が出ています」(ビドワイさん)

シャイダフールを受注したアレバは、導入予定の欧 州型軽水炉をフィンランドでも受注したものの、総工費の大幅見直しや工期延長が起きて難航しているという。

「まだ確立していない新技術を入れようと無理をしているため」と、インドではみられている。

圧力容器製造に
必要な日本の力

そこで、シャイダフールの行方に大きなカギを握るのが日本なのだという。原子炉圧力容器の製造で高い技術を持つ有力メーカーが、
日本にはあるからだ。ビドワイさんが語る。
「アレバも、大型の原子炉の主要部品は日本メーカーからも調達しょうとするはず。でも、日本とインドの原子力協定ができない限り、日本の技術をインドで使うことができないのです」

これを裏付けるように、
日本も昨年半ばから日印原子力協定の締結交渉を始めた。
「原子力ルネサンス」といわれる近年の世界的な原発回帰現象のなかで、民主党政権は原発輸出を「新成長戦略」に盛り込んだ。

特にインドとの協定交渉入りは、アレバ首脳や米仏政府から日本政府への働きかけがあったためとされる。ところが、日本はNPT非加盟のインドに対し核実験停止を明記することなどを求め、交渉には時間がかかっている。さらに、そこに起きたのが大震災と福島原発事故。交渉は中断せざるを得なくなった。

7月下旬、韓国がインドと原子力協定を結んで原発輸出に積極姿勢を示したが、インドの関係者の多くが「本命は日本」と日本への期待を強調する。事実、インドは宮城県の被災地に救援隊を派遣。

外務省のニルパマニフオ次官(当時)は4月の来日時に、多少時間がずれ込んでも日本との原子力協定締結を期待していることを明らかにした。

しかし、ビドワイさんは言う。「むしろ日本は自国の原発政策を見直すと同時に、インドとの間でも原子力協力より再生可能エネルギーでの協力を進めるべきではありませんか」

もともと、民主党も野党時代には自民党が進めようとしたインドとの原子力協力に反対していた。政権についてから前向きに転じ、「脱原発」を掲げた社民党の連立離脱もあって交渉入りした。この問、国民的議論は置き去りのままだ。

事故後、菅首相が原発輸出の見直しに言及したが、菅内閣は8月5日、改めて原発輸出を継続する方針を閣議決定して引き続き輸出に意欲を示す。

ある外務省幹部が話す。
「仮に日本が国内で脱原発を進めても、事故を教訓に原発の安全技術を高め、インドなどの新興国へ提供する意味は引き続き大きい」 

日本は国内の原発政策見直しと裏腹に、海外輸出を闇雲に加速するだけにならないか、議論し直す時だ。


インドに飛び火した「フクシマ・アクシデント」③…週刊朝日8月19日号より

2011年08月11日 15時49分32秒 | 日記
…前章からの続き。   文中黒字化は芥川。

「もともと1、2号機の寿命は25年とされていたのに、稼働から42年たっても動き続けているのですよ。いったい、いつまで稼働させるのか説明が必要です」

過去、施設内で事故があったとの噂が伝わってきても、発電所からは全く説明がなかった。「ジャーナル・オブーコンテンポラリー・エイジア」誌によると、タラプールでは過去少なくとも2回の事故があった。

89’年に通常時の700倍の量の放射性ヨウ素の漏出事故が発生。92年にも配管の破損で放射性物質の漏出があったという。

ラウル村長によると事故発生はもっと多いらしいが、その時の調査も記録もなく、はっきりしないという。

政府も問題を認識してはいるようだ。原発の安全性を監督する政府の原子力規制委員会のゴパルクリシュナン元委員長は、今年4月のセミナーで語った。

「フクシマ以上に老朽化し、安全性にかかわる事件も起きている。適切な対応が必要だ」
さすがに政府も「フクシマ」を教訓に安全対策に乗り出している。6月下旬にタラプール原発を視察したネール大学名誉教授のラジヤラマンさんは語る。

「非常用電源の設置場所を高い位置に変えて津波に備えるなど、『フクシマ』が生かされつつある」
ラウル村長のもとには、タラプール原発側から「近く住民セミナーを実施する」との案内状が届いた。セミナーのテーマは「原子力とは何か」だという。

「稼働から42年たち、住民への説明会が開かれるのはこれが初めてですよ」(ラウル村長)


反原発の村長を
自宅軟禁に

また、原発で働く従業員によると、6月上旬に発電所内で突然、事故を想定した避難訓練があったという。ただ、訓練のことは住民には知らされず、この従業員も翌日の新聞のべ夕記事を読んで知ったという。この従業員が言う。

「12年間勤めていて初めての訓練だったが、自分は非番だったので知らされず、参加できなかった」
政権内部からも原発への慎重論が出るようになった。元ジャーナリストの有力閣僚ジャイラムーラメシュ環境森林相は、地元紙でこう話している。

「私は原発に信頼を置いているが、フクシマはウェイクアップーコール(警鐘)だ。無視はできない。原発を1力所に集中立地させる原子力パークの概念は再検討すべきではないか?」

さらにラメシュ環境森林相は、原子力行政自体がインドで国民から信頼を受けていない点を指摘し、安全性を監督する原子力規制委員会を原子力庁の傘下から分離することも提案した。

日本でも原子力安全・保安院を経済産業省から独立させる議論が出ているが、それと同じだ。そして、インド政府はすでに委員会の独立強化に動き出している。

しかし、シン首相は「フクシマ」後も、インドにおける原発の安全性強化は図るものの、シャイダフールなどの建設計画は変えないことを強調している。ドイツと違い、国会の中に反原発を明確に掲げる政党がないことも政府の原発堅持の姿勢につながっている。

タラプールの人たちがシャイダフールの人々と連携し、タラプールからムンバイ、シャイダフールまで500キロ以上をデモ行進する運動が4月下旬にあった。

ラウル村長も参加しようとしたが、出発してすぐに警察に拘束され、1ヵ月間、自宅に軟禁されてしまった。反対運動がタラプールに広がるのを当局が恐れたためらしい。

…次章に続く。

インドに飛び火した「フクシマ・アクシデント」②…週刊朝日8月19日号より

2011年08月11日 15時43分44秒 | 日記
…前章からの続き。 文中黒字化は芥川。

原発を地域開発の要にする「原子力パーク」構想も進めていて、シャイダフールはその目玉事業だ。

しかし、シャイダフールがあるマハラシュトラ州ラトナギリ県は漁業が盛んで、日本にもエビなどの海産品を多く輸出している。名産のマンゴーやカシューナッツなど農産品も多く出荷され、山間に広がる深い森はデカン高原の重要な水源を形成し、生物多様性に富む豊かな地域である。


このため、フランスとの合意に先立つ06年ごろ、政府による原発の事業調査開始が明るみに出るや、反対運動が起きた。

原発建設にデモ
死者出る騒ぎに

最初に立ち上がったのは約1万5千人の漁民だった。放射能汚染を恐れてだ。昨年は漁民らが子供を通わせる公立校で、学校側が原発建設への協力を親に呼びかけたため、親が子供に登校拒否をさせる「学校ストライキ」まで起きた。

さらに今年3月、福島第一原発が事故を起こすと運動は一段と燃え上がった。シャイダフール周辺では昔から地震が多く起きており、福島の事態で自らの危うさを思い知ったためだ。

4月中旬、シャイダフールでは反原発陣営がデモ行動を展開。警官と衝突し、発砲で漁民1人が死亡した。

漁民向け銀行の幹部職員アムジャド・ボルカルさん(52)によると、すでに四つの村で原発用地が強制収用され、住民約2400世帯の代替地への立ち退きが進みつつある。

だが、補償に応じたのは約120世帯の不在地主だけだという。ボルカルさんは話す。

「皆が反対を続ける覚悟です。私たちは漁業だけでやっていける。放射能の影響を受けるのはごめんですよ。対策をどれだけ講じたところで安心はできない。それをフクシマが証明したではないですか」

反対運動を支えるのが、ムンバイなど都市部の市民たちだ。NGOの女性指導者、ヴァイシャリ・パティルさん(40)は言う。

「インドでは、漏電や盗電などで電力の3~4割が送電途中で消えてしまう。その改善こそが先です。そのうえで太陽光や風力発電など再生可能エネルギーにこそ力を入れるべきです」

福島第一原発では、原子炉の老朽化が事故に影響した可能性を専門家が指摘しているが、インドでも同じ心配が出ている。
ムンバイから北に約150キロ。アラビア海沿岸のタラプールでは、遠浅の海岸の向こうに突き出た岬の上に、タラプール原発が見える。建屋を囲むヤシの木の風情が日本とは違うが、青い建屋の色や形は福島第一原発によく似ていた。

それもそのはず、4基の原子炉のうち、1、2号機は福島第一原発1号機と同じく、米ゼネラルーエレクトリック(GE)社が開発したタイプの炉だからだ。

しかも、タラプールの1、2号機が稼働したのは69年と、福島より2年早く、まさに「アジア初の原発」だった。それだけに、地元には不安が広がっている。原発のおひざ元である村のジテンドラニフウル村長(56)は言う。


…次章に続く。

2011/8/11…私が嫌いな高校野球のある伝統というか慣習というか…

2011年08月11日 15時23分28秒 | 日記

言うまでもなく、夏の甲子園というのは、出場校が激戦を乗り越えて到達しているから、好試合が多いもの。

私が、何が嫌いかと言えば、例えば、これら殆ど全てが実力伯仲した試合の中で…3対1で片方のチームが負けていたとしよう。
回はもう中盤を過ぎている。
先頭バッターが見事な2塁打を放った、続く3番バッター(即ち強打者である)が打席に入る。

勝てないチームが取る作戦は、常に以下のようなものなのだ。
クリーンナップにも関わらず、バントをさせて、アウトを増やす。
それで4番バッターの登場である。
なんと突如として、スリーバント・スクイズ、失敗。
三塁ランナーもタッチアウト。攻撃終了。

小さい時から、こういう作戦を何度見てきたか。
私は、こういう高校野球は大嫌いなのである。
こういう=監督の動き過ぎ=日本の高校野球の伝統、或いは常套戦法と言われているものに対する、盲目的な信奉。
これが、日本の野球を、どれだけつまらない箱庭野球にしてきた事か。
調子が悪い時の、原・巨人がとる戦法も、ほぼこれに等しい。
私は、日本の監督が多くがとる、この戦法が大嫌いなのである。
高いお金を取って、個々人の最高のプレーを見せるべき、プロ野球がとるべき戦法ではない。
ましてや、1年に140試合もリーグ戦形式で進めていくプロ野球においておや。
勝負の神様は公正なもので、こういう勝ちにのみこだわる思い込みに対しては、勝利の女神は微笑まないものだ。
「ピンチの後にチャンスあり」とはそういう意味なのである。


インドに飛び火した「フクシマ・アクシデント」①…週刊朝日8月19日号より

2011年08月11日 13時08分01秒 | 日記

それでも日本の原発技術に熱い視線

文中黒字化は私。

東京電力福島第一原発の事故をきっかけに、遠く離れたインドでも反原発運動が燃え上かっている。しかし、経済成長を重視するインド政府は原発推進の姿勢を変えず、事故後も原発輸出には意欲を示す日本に、熱い視線を送っている。
日本が示すべきはビジネストークか、それとも真の友情か。  ジャーナリスト竹内幸史

「ノーモア・フクシマ!ノーモア・チェルノブイリ!」16月下旬、インド西部の商都ムンバイ(ボンベイ)郊外の鉄道駅前の広場で、太鼓が打ち鳴らされ、シュプレヒコールが響き渡った。反原発を掲げる市民たちの集会だ。

集まったのは学生や教師、会社員など約100人。若い世代が多い。会場に掲げられたポスターに、日本で見慣れた写真があった。福島第一原発の事故後、防護服姿の人が幼児の放射線量を測っている光景だ。そこに地元の言葉でこう書かれていた。

「インドはいつになったら、フクシマの教訓をきちんと学びとるのか?」
「シャイダフール原発計画を中止せよ」

シャイダフールは、ムンバイから約400キロ南のアラビア海沿岸にある町だ。そこに大型の原子炉6基 (発電容量計990万キロワット)の建設計画が進んでいる。

建設を担うのは、「原子力大国」フランスを代表する原発メーカーのアレバだ。福島第一原発で汚染水の浄化装置を提供し、汚染水に追いつめられた東京電力を救う「救世主」として、日本では有名になった。

しかし、その素顔は世界各地で原発建設を進める大企業だ。しかも、フランス政府が後押しする国策企業でもある。

サルコジ大統領は2010年12月にインドを訪れ、マンモハン・シン首相との首脳会談で、シャイダフール原発の建設受注に合意した。福島原発事故直後には、サルコジ大統領とともにアレバ社幹部が来日し、汚染除去装置などの提供を申し出たのも、同じ「原発ビジネス外交」だ。

インド紙によると、1基あたりの工費は35億ユーロ(約3850億円)。第1期工事は、165万キロワットの欧州型軽水炉を2基建設する予定で、6基すべてが完成すれば「世界最大の原発」になる。アレバは60年間の運用期間にわたり、必要な核燃料を提供する。

12億の人口を抱えながら、多くのエネルギーを輸入原油に頼っているインドは原子力に積極的だ。

米口英仏中に遅れて、1974年に最初の核実験を実施。核不拡散条約(NPT)には非加盟のため、主要国はインドに対して核燃料や原発関連技術の提供を禁じてきたが、08年に米国から原子力開発の協力を得ることに合意した。インドの巨大市場を取り込むためだった。

さらに、原子力供給国グループ(46力国加盟)もインドの「特別扱い」を決定し、インド向け原発の「禁輸解除」第1号が、アレバによるシャイダフール原発建設だった。

現在、インド国内には6ヵ所に計約20基の原子炉がある。今後、2030年ごろにかけて、軽水炉だけでも25~30基の新設が検討されている(地図参照)。発電容量は現在478万キロワット(全電力の3%)だが、30年ごろには13倍の6300万キロワット(同9%)に増やす方針だ。

…次章に続く。


2011/8/11…この間、思いがけず大笑いさせられた記事。

2011年08月11日 11時35分13秒 | 日記

週刊現代8月20、27日号より

…前略。 文中黒字化は私。

江夏「なんで?」 つて、みんなに聞いてみたいわ。

江本 いままで3勝してるけど、9回を投げ抜いてとった勝ち星というわけじゃない。5~6回だったら、ひょっとしたらいまの村田兆治でも投げられるかもわからん(笑)。ただ、営業戦略という意味も含めて、梨田監督や球団の使い方はうまい。だって別に絶対必要な選手じゃないんだから。

江夏 あくまでも営業用の使い方だもんな。

江本 勝ち星というのは実力で勝ったものと、ラッキーでついたものがある。アンラッキーで負けになることもある。それがわからず勝ち星だけを基準にしたら失敗する。マエケン(前田健太・広島)とか、活躍した翌年に苦しむのは、みんなそれ。

江夏 いまの時代、2年、3年続く人というのが少ないよね。よかった次の年は普通の選手になってしまう。やっぱり3~4年、それなりの数字を残さないと。それで一流。5年結果を残して超一流というのが野球界にあるわけだから。江本 僕は一応8年やりました(笑)。

…後略。


大機小機 キャッシュ・イズ・キング…日経新聞8月11日17面より

2011年08月11日 10時55分11秒 | 日記
パナソニックの創業者、松下幸之助さんの大切な教えの一つに「経営はお金だ」という考え方がある。一時的に投資などで減ることはあっても、最終的にお金がたまっていかない経営はどこかおかしいというものである。

こういうエピソードを聞いたことがある。決算を締めた翌日、幸之助さんが突然、大金庫がある財務部の部屋に入ってきて「私のカネを見せてくれ」と言った。

財務部長は金庫を開けて銀行預金や手形、現金などの有り高を冷や汗をかきながら説明したそうだ。翌期からは決算が締まると利益よりまず「お金」の残高の報告をしたという。

経営学のテキストなどでは 「経営とは将来キャッシュフロー(現金収支)の創出である」と定義されている。キャッシュフロー経営とは結局、幸之助さんのいう「お金が大事」の経営に他ならない。

2008年のりーマン・ショツク以降、企業経営の価値観は「キャツシュ・イズ・キング」に大きく変化してきた。お金を生み出す事業を育てるには現状を常に改革し、ビジネスモデルを効果あるものに変革していく必要がある。

その戦略の根本にあるのが、貸借対照表(バランスシート=BS)を軸にした経営である。経営革新は損益計算書(PL)からは生まれてこない。PLから生まれるのは改善にすぎず、抜本的に企業体質を変化させるには、トップが主導しBSの構造を変えていくことが不可欠である。

たとえば、棚卸し資産を劇的に削減しようと目指すとき、単に月末の在庫残高を少なくするだけでは無理である。

生産工程での最初のインプットから最終商品のアウトプットまで、全ての部門で合理化、効率化を進め、リードタイムを全体で縮める必要がある。

消費者に届くまでの流通在庫や物流への取り組みも忘れてはならない。そうした過程で抜本的な経営革新は生まれてくるものである。

ずっと営業や技術をやってきた人が海外の現地法人に経営者として出向する機会も増えている。グローバル経営での人材育成に欠かせないステップである。そうした経験をして帰国した人たちが一様に言うのは、やはりバランスシートが理解できないと経営はできないという点である。

いかなる事業、いかなる地域においても、経営理念とともにバランスシート中心の経営は、いつの時代も普遍の要諦である。     

(五月)

昨夜「報道ステーション」を見ていて思ったのだが… 

2011年08月11日 10時34分39秒 | 日記
先般、週刊文春か何かでテレビのいわゆる長寿番組について、もういらない何千人に聞きました、というような特集があったが、その中にこの「報道ステーション」も入っていたのだった。

コメントとしては、今の世の中、本当の事を知りたいという流れにある中で、ジャーナリストでもない者と、自ら取材なぞ全くしていない出向論説委員。
こんな者もういらない、とコメントされていた訳である。

芥川は昨夜、全くその通りだと思った。それは小沢一郎が148人の国会議員を集めて講演をしたと…。
『責任を持ってやるべき事をやれば政治の信頼は取り戻せる』と語る小沢一郎の映像が流れていた。


これに対しての古館のコメントは「また派閥政治というのもねぇ…」などと隣の論説委員に言うものであった。

彼らは決して反省をしない人間達なんだと芥川は確信した。
古館に限らず、日本のこういうワイドショー的ニュース番組の有りようは、もはや「百害あって一利なし」である。

2011/8/11…Hさんへ。昨日の結果も私の本望であり本懐でした。

2011年08月11日 10時21分32秒 | 日記

gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。
8月10日のアクセス数  閲覧数:5,111PV 訪問者数:674IP
順位: 881位 / 1,618,497ブログ中 (前日比↑)

一方昨日のアメーバは 閲覧数:689 訪問者数:485

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昨日の結果も私の本望であり本懐でした。


2011/8/11…Hさんへ。一昨日の結果も私の本望であり本懐でした。

2011年08月11日 10時06分32秒 | 日記

gooにおける一昨日のアクセス数は、以下の数字でした。
8月9日のアクセス数  閲覧数:4,150PV 訪問者数:648IP
一方一昨日のアメーバは 閲覧数:631 訪問者数:447

gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。


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一昨日の結果も私の本望であり本懐でした。


今朝の芥川の音楽は♪Queen Jane Approximately♪by Bob Dylan

2011年08月11日 09時33分05秒 | 日記
When your mother sends back all your invitations
And your father to your sister he explains
That you're tired of yourself and all of your creations
Won't you come see me, Queen Jane ?
Won't you come see me, Queen Jane ?

Now when all of the flower ladies want back what they have lent you
And the smell of their roses does not remain
And all of your children start to resent you
Won't you come see me, Queen Jane ?
Won't you come see me, Queen Jane ?

Now when all the clowns that you have commissioned
Have died in battle or in vain
And you're sick of all this repetition
Won't you come see me, Queen Jane ?
Won't you come see me, Queen Jane ?

When all of your advisers heave their plastic
At your feet to convince you of your pain
Trying to prove that your conclusions should be more drastic
Won't you come see me, Queen Jane ?
Won't you come see me, Queen Jane ?

Now when all of the bandits that you turned your other cheek to
All lay down their bandanas and complain
And you want somebody you don't have to speak to
Won't you come see me, Queen Jane ?
Won't you come see me, Queen Jane ?

2011/8/11…昨日、私が歌っていた盆歌は、super・カモ音頭(ロンド)だった。

2011年08月11日 09時32分53秒 | 日記

誤解を恐れずに言おう。
日本が、日本にしかない莫大な個人資産を生かして、すなわち運用して、東証に参加している内外の全ての証券会社、すべてをカモる形で、世界中のすべてをカモる形で勝ち続けるのである。
不要、無用の20年超で失った、伸びるべきであったGDP約450兆円、増やす必要のなかった国債増加額約450兆円。
この900兆円を、これから数年内のうちにカモって、カモって取り返すのである。
それは全く持って不可能な事ではない。
日本はまとめてカモる事ができる国だ。
その事に気づくべし。
♪あーこりゃこりゃ。盆の16日。
さぁー、どうした、どうした。♪