文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

中国の原発③…朝日新聞8月6日11面より

2011年08月06日 15時36分20秒 | 日記
「原発大躍進」に警鐘を鳴らす老科学者 何祚麻さん

…前章からの続き。

-政府の構想に異を唱えて、圧力をかけられませんか。

「私は中央政府に反対しているんじゃない。そこに意見を出している人々に反対しているんだ。原発の急拡大を決めた数年前から言い始めたが政府からの圧力はないよ」

ー共産党や政府系研究機関といった「体制内」での議論だからこそ、許されるのでしょうね。

「ムラの人からは『おまえは科学者ではない、NGO(非政府組織)だ』と言われている。私は組織じゃないから『NG』かい、と言い返しているよ。でも、事故後は共感してくれる人が増えたと信じている」 

ー何先生は大学で物理学を専攻し、卒業後は原子力爆弾の研究にも一時、携わりましたね。

「私か物理学を学び始めたのは1947年。中国共産党の地下党にも参加していた。その2年前に私たちが戦ってなかなか打ち破れない相手だった日本が、米国が落とした二つの原爆であっけなくポツダム宣言を受諾し、敗戦を受け入れた。

このことは中国という国にとって実に大きな出来事だったんだ。私だけでなく、あれをきっかけに『核を学ぼう、原爆が必要だ』と考えた若者は多かった。それで専攻を化学から物理に変えた。その後、原爆から離れ、理論物理学に転じた」

-中国の核は、軍事利用から始まり、電力へ広げました。

「毛沢東や周恩来が当時、中国の発展には原子力兵器が必要だと判断した。原子力は当時も今もとても政治的なものだ」

-原発を抑制した分、何で補っていけばよいと思いますか。

「中国でも、太陽光や風力や水力による発電だ。風力はすでに装備は世界一。送電網の問題などを解決しながら使える電力量を高めていけばいい。

太陽光はとりわけ余地が大きい。世界の半分の設備を製造しているが、輸出ばかり。コストの問題から国内では普及していない。政府は普及を促すよう財政的な支援をすべきだ。太陽光はいま、火力や原発の2倍ぐらいかかるが、規模が拡大すればコストも下がる」

「日本はこの分野で高い技術力を持っている。太陽光の普及に日中で、ぜひ協力して取り組みたいと思っている」


▼何祚麻(ホーツオシウ)さん 
27年生まれ。中国科学院理論物理研究所研究員。清華大物理学部卒。北京大教授や全国政治協商会議委員も務めた。


 取材を終えて

何先生は、64年前から中国共産党員。大学時代の恩師だった銭三強氏は、フランスでキュリー夫妻の娘夫妻に師事、中国の原爆実験を成功に導いた立役者の一人だ。

だからこそ 「原発大躍進」に大きな声で異を唱えられるのだろう。「老同志」は巧みに間接的な批判の形をとりながら、発展を急ぐ政府に苦言を呈しているように感じた。 

(吉岡桂子)

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中国の原発②…朝日新聞8月6日11面より

2011年08月06日 15時31分07秒 | 日記
原爆と日本の敗戦原子力政策の起点いつも政治的だ
「原発大躍進」に警鐘を鳴らす老科学者 何祚麻さん


…前章からの続き。

―安全基準を上げれば、太陽光や風力など自然エネルギーより安くてクリーンと言われてきた原発の建設や発電のコストが上がりますね。

「そうだ。それにどんなに安全基準を引き上げても事故の確率はゼロにはならない。他の電力源に比べて、原発はいったん事故が起きた時に環境を破壊する威力が桁違いだ。被害を受けた人の健康問題、彼らに支払う賠償金まで加えると、本当に安いと言えるのかどうか。それに、廃棄物処理に伴う環境への負荷も大きい。

燃料となるウラン確保の問題もある。後々の世代の負担は重い。目を覚まして冷静にそろばんをはじいてみるべきだ。とりわけ、日本の人々は実感しているのではないか」 

-日本では、原発政策や実施を担ってきた関係者が限られていたことから、「原子カムラ」と呼ばれ、批判されています。

「ムラね、なるほど。中国はムラよりもっと狭い範囲だろう。原発を含むエネルギー問題自体が、国家経済の建設に関わる非常に敏感な問題だ。エネルギー政策を担当する国家発展改革委員会の力も強い。
原発の議論は容易ではない。だが、人々の生活に直結するこんなに大きな問題を、ちっちゃなサークル内だけで決めてしまうのはよくない」

-事故の5日後温家宝首相が副首相らを集めた国務院常務会議を開き、新たな原発の審査の一時凍結を決め、稼働中や建設中のものについても一斉検査を始めました。

「良い判断だった。ただ、検査の基準はどうなのか、誰が検査をしているのか。原発を造りたい立場の人々が出向いて検査をして『問題なし』と言ったとしても、『そうですか』というわけにはいかない」

ー今夏に検査が終わり、年末には新規審査を再開する見通しなどと、新聞で報じられ始めました。

「フクシマ・ショツク」が冷めてきたのでしょうか。関係者や業界には再開に向けて強い希望がある。しかし、そんなにすんなりいくだろうか。

先ほど指摘した安全やコストの問題にきちんと回答できないまま、温首相がゴーサインを出すとは思えない。経済発展に伴って生まれた負の問題に非常に敏感な首相だ。しばらく時間をかけるんじゃないか、と期待している」 

ー具体的にはどんな見直しが考えられますか。

「安全基準を高めたり、人材を育てて確保するために建設のスピードを落としたりすることに加えて、立地の選択が重要になる」

-今は沿岸部だけですが、内陸にも数十の計画があるようですね。

「内陸は、本当にやめるべきだ。中国は大河はあるが、水がない。夏は干ばつがしばしば起こり、人々の飲み水や工業用水が足りない。それなのに、大量の冷却水を必要とする原発を上流に造るかね。

しかも、事故があったらさらに水が必要だし、事故処理で使った水が流れてくる地域に住んでいる人々の飲み水はいったいどうするんだい」

…以下続く。
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中国の原発①…朝日新聞8月6日11面より

2011年08月06日 15時23分33秒 | 日記
急拡大に断固反対中国も地震国だ「ムラ」で決めるな
「原発大躍進」に警鐘を鳴らす老科学者 何祚麻さん


文中黒字化、*は芥川。

原子力発電といかに向き合うか。苦悩する日本の隣で、中国は毎年6基以上のペースで増設する計画を持つ。軍事利用から始まった「核」の歴史もあり、国のエネルギー政策に異論を唱えることが難しい国情の中で、「原発大躍進」に警鐘を鳴らす老科学者がいる。

中国科学院理論物理研究所研究員の何祚麻さんはなぜ、発言を続けるのか。

-東京電力福島第一原子力発電所の事故前、中国には原発を2030年までに2億キロワット(200基相当)、50年までに4億キロワット(400基相当)まで増やす構想がありました。35年には08年の3倍になる電力需要を満たすためとはいえ、考えられないスピードです。

「まず、私の立場をはっきりさせておこう。中国で原発を全部やめてしまえ、とは言っていない。必要なエネルギーを満たせないからだ。でも、このような計画には断固として反対する。中国が1958年に始めた『大躍進』を知っているかね

*芥川は今、NHKBSで周恩来の特集を見ているのだが、この大躍進というのは、どれほどとんでもない物であったかは、この番組を見た方は鮮明に知ったはずだ。(以下本文に戻る)

-短期間で米英経済を追い越す目的で、毛沢東主席が始めた農工業の急速な発展計画ですね。数千万の餓死者が出たと言われています。

「急拡大には落とし穴がつきものだ。浙江省温州で起きた高速鉄道の事故も、まだ原因は分からないとはいえ、一気に路線網を増やした無理が背景にある。原発の『大躍進』は、さらに深刻な結果をもたらす」 

-中国の原発計画はどのように作られていくのですか。

「例えば、『中国エネルギー中長期(2030、2050)発展戦略研究』は政府自身が書いたものではない。政府が正式に認めているのは10年後に約70基、計7千万キロワットまで。その先は政府の依頼を内々に受けて、原発会社や政府系の研究所のエンジニアが中心となって執筆した。

原発を推進したい人が書いて、政策の流れを作っていく。データを持っているからね。4億キロワットというのは、ここから出てきたんだ。ほら、書いてあるだろう。『発展は第一に必要な任務だ。争論せず、前を向いて走ろう。ごたごたするな』と。でも今、必要なのはむしろ、立ち止まって議論することだ」

-「フクシマ」の事故のニュースを聞いた時、何を思いましたか。

「最初はどの程度の事故なのか、よく分からなかった。中国では、塩が放射能に効くとデマが広がり、買い占めパニックが起きた。原発の知識がない人が多いからね。

そのうち日本が処理に手間取る様子に、次第に大変な事故だと分かってきた。この事故は中国に強い警鐘を鳴らしてくれた。我々はそこから教訓を読み取る使命があると思った」

-教訓とは?

 「まず安全確保。日本の専門家は地震やそれに伴う津波の準備を怠けていたわけじゃない。想定を超えていたんだ。ただ、事故は常に想定を超えていく。中国だって地震国だ。ほかの災害だってある。

原発を狙うテロだってあるかもしれない。安全基準をどこまで高めるか、中国政府も『フクシマ』後、見直す必要性を感じている。問題は、何をどこまで高めるか。十分な議論が必要だ」

以下続く。
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武装勢力首脳と比大統領が会談 …朝日新聞8月6日9面より

2011年08月06日 13時46分37秒 | 日記
極秘に来日 

フィリピンのアキノ大統領が4日、極秘に来日し、反政府武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)のムラド議長と会談した、と同国外務省が5日明らかにした。

同省によると、アキノ氏はムラド議長と4日夜、成田空港に近いホテルで約2時間、話し合った。
ミンダナオ島での自治を求めるMILFとフィリピン政府は、昨年6月のアキノ政権発足以来、和平に向けた交渉を本格化。トップ同士の初会談で進展にはずみがつく可能性もある。

(マニラ=四倉幹木)

起訴から1ヵ月李登輝氏が講演 台北市内会合…朝日新聞8月6日9面より  

李登輝・元台湾総統(88)が5日、台北市日本工商会の会合に招かれ、約1時間にわたり講演した。公金横領などの罪で起訴されているが動じる様子はなく、意気軒高ぶりを見せた。

「台湾の直面する危機」と題した講演では、対中融和策を進める馬英九総統を批判。「中国市場だけを相手にしてはいけない」「指導者が座標軸を打ち立てなくては状況追認に終始する」と、台湾の主体性を重視する持論を述べた。

李氏は総統在任中に機密費を流用したとして6月30日に起訴された。馬総統は事件への介入を全面否定したが、馬批判を強める李氏への報復との受け止めが根強い。一時は起訴への反発から馬総統の支持率が落ちた。

(台北=村上太輝夫)
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シリア弾圧死 「2千人以上」 …朝日新聞8月6日9面より

2011年08月06日 13時36分57秒 | 日記
シリア弾圧死「2千人以上」 米国務長官 

クリントン米国務長官は4日、シリアのアサド政権の弾圧による反体制派の死者が「2千人以上にのぼる」との見方を示し、「責任はシリア政府にある」と述べた。

「アサド大統領は国民を統治する正当性を失った」と改めて批判した。
(ワシントン=望月洋嗣) 

「ロシアや中国アサド守った」 米の国連大使が非難 

米国のライス国連大使は4日、シリアのアサド政権による反体制派弾圧をめぐり、国連安全保障理事会が非難する議長声明を出すのに5ヵ月かかった理由について、

「ロシアと中国のような国々がアサド(大統領)を守り、安保理がまとまって声明を出すことを不可能にしていた」と述べ、中ロを名指しで非難した。

米CNNテレビのインタビューで答えた。安保理筋によると、シリア情勢をめぐる安保理の非公開の協議では、シリアと関係の深いロシアを筆頭に、中国、インド、ブラジル、南アフリカが非難・制裁決議や非難声明を採択することに反対してきたという。
(ニューヨーク=春日芳晃)
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タイ初の女性首相…朝日新聞8月6日9面より

2011年08月06日 13時25分57秒 | 日記
インラック・シナワット氏(44歳) 

「まずは経済問題だ」

就任後に取り組む最初の課題は何かと問われ、そう答えた。
5月にタイ貢献党の首相候補に指名されるまで、兄のタクシン元首相が築いた一族企業の通信会社の経営に携わり、政治経験はゼロ。兄の傀儡との批判はついて回る。

総選挙の勝利後の記者会見で、「あなたは兄の操り人形か?」と質問されると、語気を強めて答えた。「私は経営者として生きてきました。リーダーシップなしには不可能なことです」。ビジネス経験を前面に打ち出す。

ただ、政治経験の不足を自覚している分、努力を欠かさない。国中を回った総選挙後も休まず、朝から晩まで党本部で政策立案チームと議論。睡眠不足から体調を心配されるほどだ。

次期首相として各国の大使らと面会する際は、それぞれの国との課題と外交政策をよどみなく話す。「選挙前より自信をつけているし相当勉強している」(外交筋)と評判だ。

地元紙は中学、高校の恩師の言葉として「物静かで礼儀正しかった」と伝える。米国大学院で行政学修士号を取得。

タクシン一族の携帯電話会社社長の夫との間に9歳の一人息子がいる。3人で取材を受けた後、「子どもが堂々と受け答えしたのがうれしかった」と笑みを見せた。(バンコク=古田大輔)
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サイバー攻撃に備えよ 経産省本腰 狙われる原発・鉄道・工場…朝日8/6,5面より

2011年08月06日 13時10分07秒 | 日記
技術の国際標準づくりに参画

経済産業省は5日、工場や発電所などの産業用システムへのサイバー攻撃を防ぐ技術の国際標準づくりに乗り出すことを決めた。省内に設けた「サイバーセキュリティと経済研究会」
(委員長・村井純慶応大教授)が同日、検討結果を報告書にまとめた。

サイバー攻撃は近年、国や企業だけでなく、原発や鉄道の信号管理システム、自動車工場などの動作を制御するシステムも対象になってきた。産業設備やインフラを輸出する日本にとっても、サイバー攻撃への対応は、相手先の信頼を得るうえで重要になっている。

研究会は、日本国内での攻撃への対応を求めたほか、不正侵入を監視ずる技術の国際標準化づくりや、こういった技術を認証する機関の整備を2、3年以内に進めるよう提言した。

経産省は来月にも外部の専門家を加えた検討組織を立ち上げる。
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求められる時代の歌…日経新聞8月6日36面より

2011年08月06日 12時11分30秒 | 日記
*以下は芥川。

戦争を肌で知る作家・詩人の声を聞き、ある共通点に気がついた。どの人も現在の日本に、大きな不安や暗さを感じている。あの時代より暗いと感じるのは、なぜなのか。

1950年代から80年代まで、日本人は右肩上がりの時代を生きてきた。しかし、バブル崩壊からりーマンーショックヘと至る時代の閉塞感は、一通りではない。この大震災は、その果てに起きた。戦中戦後を生きてきた方々の憂慮のわけは、そこにある。

財政の破綻、原発事故対策の遅れ・・・。嘆くべき材料を数え上げたらきりがない。ただし、日本人は政治・経済・科学技術の方策だけで混乱を乗り切ったわけではない。

かつて焼跡には「リンゴの唄」が流れていた。歌ったのは、並木路子さん。母を東京大空襲で、父と兄も戦争で亡くした。並木さんの歌声は、敗戦に沈む人々の胸に、染みわたるように響いた。

「青い山脈」(西條八十作詞、服部良一作曲)もまた、そんな歌の一つ。石坂洋次郎の小説を原作にした映画の主題歌だ。

「古い上衣よ さようなら/さみしい夢よさようなら」。暗い戦争の記憶を振り払うようなこの歌は、戦後を生きる人々を、どれだけ鼓舞したことだろう。

太宰治、坂口安吾の小説や評論、木下恵介、黒沢明の映画……。人々に感銘を与えた敗戦後の傑作は数多い。この連載に登場願った方々の作品もまた、戦後のそれぞれの時代を照らす光となった。

不安が絶えない今だからこそ、人々が心を寄せる「時代の歌」がいる。文化・芸術の力が今ほど問われている時はない。

(編集委員 宮川匡司)

*それこそが、芥川の「文明のターンテーブル」が本として世に出る事なのである。(呵々大笑)
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戦後66年は砂上の楼閣② 野坂昭如…日経新聞8月6日36面より

2011年08月06日 12時05分12秒 | 日記
8・15からの眼差し 震災5ヶ月

…前章からの続き。

空襲と震災のもたらした光景は、はっきり違うとぼくは思う。今回、被災地以外の者は地震の怖さをわが事として受け止めた。一方で買い溜め行為もみられたが、被災地への関心は高く、善意も集まった。

今はどうか、多くの人にとって、気になりつつも眺める対象でしかないのではないか。福島の原発事故に関心が移ったせいもあるが、復旧もままならぬ被災地と、何事もなかったかのように日常を送る地域。光と影の差は甚しい。

焼跡のスタートはゼロから始められた。それに高度経済成長が伴った。この度はゼロに戻すことから始めなければならない。経済は疲弊している。ここにいつ収まるともつかない放射能汚染が加わる。

戦後六十六年を経て、かえりみれば被災地だけじゃない、都会もまた紙一重で明日は焼跡じゃないか。文明に囲まれ、物質的豊かさの中で暮らし、飽食の時代とやらを過ごす。しかしすべて砂上の楼閣。ただ今の暮らし、電気がなければお手上げ。

原子力推進派のいう電力不足は脅しの一種だが、仮に三日も停電すれば、日本はガタガタ。この電力システムはお上先導のもと進められたとはいえ、世間もまた、便利が一番と受け入れてきた。

四季の移ろいやさしい列島に住みながら食べ物は外国任せ。海の向こうが不作に陥れば、あるいは損得の駆け引きによって輸出取り止めとなればたちまち飢えに苛まれる。つまり他国の胸三寸で、日本は生かされも殺されもする。

昭和二十年八月十五日は敗戦の日。今や単なる区切りにもなっていない。戦争を思い出すのは夏だけ。それさえあやふや。忘却は人間の力でもある。しかし嫌なことは忘れ、戦争を引きずるな。平和、豊かさ、モノの時代とやらに明け暮れるうち、大事なものをどこかに置き、長生きこそ良しとしてきた。

平和を唱えていれば生きていける。その平和な国で、自殺者は増え、食いものは危っかしい。空気は汚染され文化伝統は薄れるばかり。豊かさと引き換えに失ったものは大きい。

この度の震災は国難に違いない。今こそ、日本人一人一人が立ち止まり、考える時である。(寄稿)
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戦後66年は砂上の楼閣① 野坂昭如…日経新聞8月6日36面より

2011年08月06日 11時55分09秒 | 日記
8・15からの眼差し 震災5ヶ月

野坂昭如氏(80)は、敗戦の現実を忘れずに、執筆活動を続けてきた。
「焼跡闇市派」の作家が受け止めた震災と敗戦をつづってもらった。
    
三月十一日を境に、何もかも失い、寒空の下ただ震えるしかなかった被災者たち。
地震は昨日までのあたり前を断絶し、日常は非日常となった。日本列島に住まう者すべて自然の脅威を前に圧倒された。

次々映し出される惨状は想像を超えて、我々はうちひしがれ、人間という生きものの無力さをつくづく思い知らされた。まもなく五ヵ月が経つ。

ひたすら呆然と過ごすしかなかった被災者は、少しずつ日常を取り戻し、自分の足で立ち上がろうとしている。一方で、国への不信感、怒りは日に日に募る。いつしかいかんともし難い諦観、虚無感と結びつき、被災者の心に横たわっている。

これはなかなか拭えない。国の態度は踏み出しかけた被災者の足を引っ張っている。

この度の震災で傷ついた風景が、六十六年前の焼跡に例えられ、再びの国難だと言われる。国難には違いないが、震災と空襲の風景は異なる。ぼくは昭和二十年、神戸で焼け出された。この時の焼野原を見ている。

あらゆる死体も眼にした。爆弾攻撃のあと、瓦疎か連なり、破壊された家並みがあったにしろ、空襲のあとは、ほとんど目の届く限り、一面の焼野原だった。海から山までで、残った建物は小学校の校舎くらい。立っているものは焼け焦げた電柱、その上に、どこまでも青空が広かっていた。

いまだ、被災地を覆う瓦礫の海などなかった。焼野原となって数日後、ちらほらバラック建てがつくられ、材料は焼けたトタン板、焼け残った材木、これらを何とか組み立て雨露を凌ぐ。

まったく影のない焼跡の上で、食うもの、着るものすべてない。だが、人々はある意味、晴れやかな表情で、てきぱき過ごしていたように思う。戦争に敗けたということは、つまり空襲が終ったということ。もう空襲の恐れはない。原子爆弾も落とされない。

語弊かがあるかもしれないが、昭和二十年の焼跡は、いっそあっけらかんと明るい印象だった。この度は違う。先が見えず、立ち尽くすしかない。ため息すら出なかっただろうと思う。

戦中、戦後、しばらくすべての日本人の置かれた状況は似ていた。地域・職業により、多少の格差はあったにしろ、戦争という非常時のもとで、誰もがいつ死んでもおかしくない状態だった。

隣組を単位として、防空訓練を行い、どの家も防空カーテンを用意、灯火管制に備える。贅沢は敵。質素倹約こそ美徳。生活用品は配給制度の下におかれた。

「一億一心」「進め一億火の玉だ」などのスローガンが飛び交い、つまり、死を前にして、すべての日本人が平等だったのだ。

親戚、縁者、知人との間で焼け出されたらお互い面倒をみる。避難先のとり決めがされていた。平成の世は、毛布一枚。水とパンで過ごす被災者を、飲み食いしながらテレビで眺める。時代の違いといってしまえばそれまでだが、この状態は海の向こうの戦争を眺めるのに似て、つまり他人事。

空襲で焼け出された人たちは、すぐ握り飯にありつけた。罹災証明書も間をおかず手にし、これがあれば汽車の切符が買え、特配も貰えた。この点だけでいえば、大日本帝国の方が今のお上よりマシ。

…以下続く。
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大ガス 10万平方メートル商業開発…日経新聞8月6日31面より

2011年08月06日 11時32分30秒 | 日記
京セラドーム 隣接地区 イオン系など誘致

大阪ガスは5日、大阪市西区の京セラドームの隣接地区で施設面積10万平方メートル超の商業開発に着
手すると発表した。

ガスエ場跡地の2地区・4万1000平方メートルで2013年度にイオン系のショッピングセンターと別の商業施設を誘致し、大ガス最大のショールームも設ける。

市内最大級の商業開発で梅田、難波など都市中心部の施設とも競合しそうだ。
開発地区はガスエ場跡地で、07年まで商業施設「Pa・dou」や大ガスの研修センターなどがあった。

大ガスやイオンは再開発の機会をうかがうなか、阪神なんば線の開通などで広域集客のメドが付いたと判断した。施設の詳細や投資規模は今後、詰める。

大ガスが新設するショールームは約1万平方メートルと同社最大。家庭用の給湯器や燃料電池、業務用厨房を展示する。食品や住居関連企業と組むイベント拠点も備える計画。
同社の主力ショールーム「ディリパ」11力所のうち、商圏が重複する場合は統廃合を検討する。
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アジアを駆ける 日本で現地幹部育成…日経新聞8月6日31面より

2011年08月06日 10時59分22秒 | 日記
生産効率向上へ意識改革

南西から吹く季節風(モンスーン)の影響で、6~10月は雨期になるラオス。首都ビエンチャンの8月の降水量は334・6ミリメートル。6月の大阪の降水量に比べて2倍近くに上る。

この時期、ワイシャツ大手の山喜(大阪市)がビエンチャン郊外に持つ製造拠点、ラオ山喜の大森英宏工場長は朝から雨が降ると空を眺めて 「今日は何人休むのか」と表情を曇らせる。

 雨降ると欠勤も 

ラオスは後発途上国とはいっても農業国で食うに困らない土地柄。あくせく働く必要がなく、大雨が降ると欠勤する者も少なくない。従業員の定着率も悪く「離職率の高さが一番の悩み」 
(大森工場長)。

同工場の従業員は300人強で、退職と補充で毎月5~10%が入れ替わる。
「仕事に慣れ、戦力になってきたなと思ったら辞めてしまう。これでは品質の安定につながらない」と大森工場長。

お祭り好きの国民性に配慮して2~3ヵ月に1度は工場内にある食堂でパーティーを開くなど、定着率向上に向けたこまやかな配慮も欠かせない。

停電も日常茶飯事だ。国を挙げて発電事業を強化し「東南アジアのバッテリー」を目指すラオスだが、経済発展にインフラ整備が追いつかない。

後発途上国では安い労働力が魅力だが、インフラが整っていなかったり、従業員の意識改善に手間取ったりもする。難題を乗り越える忍耐と工夫が必要だ。

ラオ山喜には新たな光も差している。日本での研修などが成果を示し、ラオス人社員のなかから幹部候補生か育ち始めた。

その一人が班長のスックサワン・キッティサ氏、入社6年目の27歳。昨年、長崎にある工場で研修を受けた。「日本の工場は整理整頓が行き届いていて驚いた」と同氏。「他の従業員を指導するのは難しいけれど、仕事は楽しい」と屈託なく笑う。

山喜が日本企業で初めてラオスに進出したのは2005年。当時はまだラオスに関心を示す日本企業はほとんどなかったが、近年はタイ、ベトナムに続く成長国としてミャンマーやカンボジアとともに注目を集める。

関西では7月に大阪市の外郭団体、大阪国際経済振興センターが中小企業経営者を対象とした視察団をラオスに派遣した。
ラオスには関西に縁の深い産業もある。代表的な伝統工芸の絹織物業だ。

 京都で技術指導 

織物業者らでっくるラオス手工芸協会(LHA)では9月に京都で開かれる展示会に向けた準備に余念がない。LHAは日本貿易振興機構(ジェトロ)の協力で「ラオスの心」という意味の「チャイ・ラオ」ブランドを立ち上げ、昨年夏には視察団が京都を訪れ、技術指導を受けた。

チンダ・ポンマシットLHA会長が経営する工房を訪れると、若い女性たちが織機を使い手作業で絹を織っていた。「ラオスの農村では農閑期に機織りをする風習がある」と同会長。京都の展示会ではよりすぐりの製品を出展する計画で 「織物ではアジアの他の国には負けない。日本の人たちに気に入ってもらえる製品をお見せできると思う」と自信をのぞかせる。

最先端の産業分野にとどまらず日用品や伝統産業でもアジアと関西は結びつきを強めている。関西の未来を考える時、広く深くアジアを見る必要がある。
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2011/8/6…大機小機 復興にはまずデフレ脱出を…日経新聞8月6日17面より

2011年08月06日 10時25分00秒 | 日記

先週、政府は5年間で事業規模を少なくとも19兆円程度とする復興基本方針を決定した。だが原子力発電所の災害対策いかんで今後復興費用が大幅に膨らみかねないうえ、財源も不透明だ。

政府は復興債の償還財源として10兆円規模の復興増税を実施したい考えだが、ここで増税を断行すれば、デフレが一段と深刻化する可能性もあるのではないか。

復興計画は絵に描いた餅となり、日本経済は衰亡の道を歩むことになりかねない。
復興計画を遂行するには、まず足元のデフレ要因を取り除き、増税に必ずしも頼らずとも済む財源確保が必要だ。

過去20年、我が国はバブル崩壊と国際金融危機で膨大なデフレ要因を抱え込み、いまだデフレから脱出できていない。全国の土地資産は半値になり1270兆円を失った。

東証時価総額の減少300兆円、金融機関の融資削減48O兆円、国際商品価格の高騰による交易条件悪化160兆円と比べるまでもなく、地価下落が最大のデフレ要因だ。

日本不動産鑑定士協会の調査によると、今年1月現在の東京の不動産価格(集合住宅の単位面積当たり価格)はニューヨークやパリの半値で、アジア主要8都市平均の8割以下だ。かつての割高感は完全に消え、国際的にも割安な水準に放置されている。

デフレの元凶である不動産価格を1日も早く正常化させることこそ、デフレ脱出の鍵だ。円高阻止も課題だ。日銀は4日、円売り・ドル買い介入と同時に「資産買い入れ等基金」の10兆円増額を決めた。

だがこれだけでは力不足だ。今回の円高の背景には、ドル安と同時に中国の強力な人民元政策がある。昨年6月の管理変動相場制復帰以来、人民元は対ドルで6%上昇する一方、対円では7%下落、実効為替レートの安定が図られている。

円高の流れを止めるには、中国通貨当局とも十分協議の上で、より強力なデフレ対策を打ち出す必要がある。この際、基金をさらに広げ、積極的に資産買い取りを実施してもよいのではないか。

資産価格の下落に歯止めがかかれば、企業は設備投資を再開し、家計の財布のひもも緩んで経済の歯車が回り始め、デフレから脱出し円高も収まるはずだ。

政府が保有する130兆円の土地や37兆円の株式などの資産売却も進み、財源確保も容易になるだろう。政府は増税を急ぐ前に、もっと知恵を絞ってはどうだろうか。    
(富民)

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苦悩するアメリカ 超大国揺らぐ足元…日経新聞8月5日8面より

2011年08月06日 10時09分24秒 | 日記
戦争に不況 進む保守化

世界を震憾(しんかん)させた2001年9月の米同時テロから間もなく丸10年。2度のバブル崩壊やテロとの戦いで米経済は疲弊、超大国の地位は大きく揺らいだ。

米国民は初の黒人大統領を誕生させるなど変革を模索するが、国家再生への道筋は見えず、最上級の格付けを誇る米国債も一時は債務不履行(デフォルト)の瀬戸際に追い込まれた。復活への道は開けるのかー―。苦悩する米国の姿を追った。

人口200人ほどの小さな集落を毎年15万人もの人が訪れる。東部ペンシルベニア州シャンクスビル。国際テロ組織アルカイダが同時テロでハイジャックした旅客機4機のうち、1機が墜落した場所だ。

乗客がテロリストに立ち向かわなければ、ホワイトハウスに突っ込んでいたとされる。
  
 迫る中国の影 

「自分が助かろうとしたんだろうが、結果として国を救ったんだ」。車を7時間ほど走らせて来たというスミスさん夫妻は、じっと黙とうした。

アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の射殺で、アフガニスタンやイラクで続いた戦いは終わりが近づいたのではないか。現場そばに住み、墜落を目撃したアニタ・ミラーさんに聞くと首を横に振った。

「冷戦は敵がはっきりしていた。今は誰と何のために戦っているのかが分からない」。勝敗が判然
としない戦いは米国民の心をいら立たせる。

テロとの戦いの長期化で米国の兵力は疲弊し、財政難で戦線の拡大も難しくなった。オバマ政権は10年2月に公表した4年ごとの国防戦略見直し (QDR)で、2つの大きな戦争に備えるとの作戦計画を見直すと決定。

当時のゲーツ国防長官は「二正面戦略は時代遅れだ」と言い切ったが、背景に苦しい台所事情かおることは否めない。

この10年は米国の世界の中での地位低下が鮮明になった。国内総生産(GDP)は01年に世界の32・1%を占めたが、今年は22・2%にまで下がった。代わって世界経済の舞台に躍り出たのが中国
などの新興国。

ピュー・リサーチ・センターが米国民1千人を対象に3~4月に実施した世論調査で、「中国は米国にとって代わるか」との問いに 「そうなる」(46%)が「ならない」(45%)を初めて上回った。

国民の不安やいら立ちに追い打ちをかけるのが、金融危機後に長引く景気低迷だ。かつて米国を支えてきた中間層は、我が身を守るのに精いっぱい。

それを象徴するのが、09年に始まった保守派の草の根運動「茶会党」(ティーパーティー)。支持者の大半は増税を懸念する中高年の白人だ。

利己主義の色彩

「だから何もしないでください!」。茶会党のりーダーの一人、ジェニー・べス・マーティンさんは今年初め、共和党を率いるベイナー下院議長に会った際、こう叫んだそうだ。「だって『何をしてほしいんだ』と聞くのよ。公共事業の陳情じゃないんだから」

貧困層やヒスパニック(中南米系)の不法移民のために使う税金は払わない。政府に頼らない自助への希求は米建国の精神につながるが、先鋭化する主張は利己主義的な色彩を強める。

昨年のギャラップ世論調査によると、米国民の40%が自らを「保守」とみており、「リベラル」は21%にとどまる。保守化の動きは銃規制撤廃や孤立的な外交政策へと加速度を高めている。

2日に決着した債務上限引き上げ問題を巡っては、茶会党系議員らが共和党指導部を突き上げ、緊迫する世界の金融市場をよそに事態を最後まで混迷させた。

世界を不安定にする危うさをはらみながら、米国をかたくなな内向き志向が覆う。

(ワシントン支局長 大石格)
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2011/8/6…私は吉本隆明とは全く無縁で来て、これからも無縁であろうと思っているのだが、

2011年08月06日 08時59分55秒 | 日記

今、何気なく、読んだ、これは良いと思った。
それでも、私が、彼とは無縁で居続ける事は変わらないと思う。
何故かって、彼と僕は無縁で良いんだ、これからも、彼の著作を読む事はないだろうとも思う。
その理由の一端は、後で。

日経8/5、44面から。
発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。

詩人で批評家の吉本隆明氏(86)は戦時中、軍国主義少年だった。
その体験を自らに問い、戦後、独自の思想体系を築いた。
戦後思想の巨人に、今回の震災体験を聞いた。
     ◇
ー3月11日は、どうしていたか。
  
「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の後は、不気味なほど、静かたった」 

--戦中と比べると。
  
「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」

原発完璧な安全装置を 

--復興への道は。
  
「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大だけを追求せず、小さな形で緻密に組織化された産業の復興をめざすべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」 

--事故によって原発廃絶論がでているが。
  
原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」 

--明るさは戻るか。

「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」


*私が、彼と無縁でいるのは、この短い記事の冒頭にさへ書かれる様な「戦後思想の巨人」等と言う形容が、我慢ならないのだ。
私は、彼を巨人等と思っていない。
或いは、こういう言われ方をしていること、そのものに、ウン臭さを感じて来たのである。

立花隆だって「知の巨人」なんだから、読者の方なら、私の言わんとする所は分かるはず。

もし、本当に、彼が巨人だったならば、こんな今は無かったはずだし、この記事で、彼が東工大出だと初めて知った。

私が、彼に言いたい事は…
今は、この文章にも在る様に、本当の、御爺ちゃんに成られているわけだから、彼には全く関係が無い事ではあるが…
東工大の後輩の、この史上最低の「下品」を、先輩なら、何とかしろよ、ということ位なのだ。

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