文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

2018年05月09日 11時08分07秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来たのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました

2018年05月09日 11時06分44秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来たのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

2018年05月09日 11時05分35秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

2018年05月09日 11時04分13秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

2018年05月09日 11時03分06秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。国際人になれるわけでもありません。

2018年05月09日 11時02分10秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています

2018年05月09日 11時00分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません

2018年05月09日 10時59分54秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、二十世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

2018年05月09日 10時58分53秒 | 日記

以下は前章の続きである。

グロ-バル教育は周回遅れ

まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。 

藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。

すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。

躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。

中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。 

この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。

いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、二十世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。

彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。

しかし金融以外の経済はまったく駄目。

翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。

国際人になれるわけでもありません。

アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。 

さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。

小学校では英語より国語、国語、国語なのです。

反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。

日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。

-まったく余計なお節介。 

藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。

ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。

多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。

それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。

ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。

ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。

OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。

理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。 

にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。

経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。

ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。

次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。 

わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。

なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。

電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。 

子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。

そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。

経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。

この稿続く。


卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。

2018年05月09日 10時50分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。

他国を圧倒する日本の型

-日本の指導者やエリートが誇りを失いはしめたきっかけは、どの時代にあるのでしょうか。 

藤原 本を正せば、明治時代です。

札幌農学校を出てアメリカのジョンズ・ホプキンス大学、さらにドイツに留学した新渡戸稲造が、明治29(1906)年に旧制一高(第一等学校)の校長に就任すると、西洋的教養を身に付け々せようとしました。

当時、一高などで学んでいた明治20年代生まれのエリートから、武士道精神や道徳、礼節、惻隠など「日本人の型」が徐々に忘れられていったことが問題でしょう。

武者小路実篤や志賀直哉、芥川龍之介などの作家も、「型を忘れたがゆえに他の型に圧倒されてしまった」ような気がします。 

-志賀直哉は「日本語廃止論」を訴えましたね。 

藤原 母語の徹底なくして教育はありませんし、真の国際人も育ちません。

幕末維新の遣欧米使節団や天正遣欧少年使節が世界で尊敬の念を浴びたのは、英語が上手だったからではありません。

海外の地に下り立った瞬間、道徳や礼節など堂々たる「日本人の型」を身に付けていたことが相手に即座に伝わったからです。 

西洋社会において、道徳は専ら教会が教えるものです。

嘘をついて悪事を働いた者は死後に煉獄へ落とされる、という「恐怖」が道徳の根幹をなしている。

しかし日本社会において、道徳はあくまでも家庭の躾として学ぶもの。

罪と罰という面倒な論理ではなく、シンプルに「卑怯なことをしてはならない」。

卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。

この稿続く。


海外の地に下り立った瞬間、道徳や礼節など堂々たる「日本人の型」を身に付けていたことが相手に即座に伝わったからです

2018年05月09日 10時48分29秒 | 日記

以下は前章の続きである。

他国を圧倒する日本の型

-日本の指導者やエリートが誇りを失いはしめたきっかけは、どの時代にあるのでしょうか。 

藤原 本を正せば、明治時代です。

札幌農学校を出てアメリカのジョンズ・ホプキンス大学、さらにドイツに留学した新渡戸稲造が、明治29(1906)年に旧制一高(第一等学校)の校長に就任すると、西洋的教養を身に付け々せようとしました。

当時、一高などで学んでいた明治20年代生まれのエリートから、武士道精神や道徳、礼節、惻隠など「日本人の型」が徐々に忘れられていったことが問題でしょう。

武者小路実篤や志賀直哉、芥川龍之介などの作家も、「型を忘れたがゆえに他の型に圧倒されてしまった」ような気がします。 

-志賀直哉は「日本語廃止論」を訴えましたね。 

藤原 母語の徹底なくして教育はありませんし、真の国際人も育ちません。

幕末維新の遣欧米使節団や天正遣欧少年使節が世界で尊敬の念を浴びたのは、英語が上手だったからではありません。

海外の地に下り立った瞬間、道徳や礼節など堂々たる「日本人の型」を身に付けていたことが相手に即座に伝わったからです。 

西洋社会において、道徳は専ら教会が教えるものです。

嘘をついて悪事を働いた者は死後に煉獄へ落とされる、という「恐怖」が道徳の根幹をなしている。

しかし日本社会において、道徳はあくまでも家庭の躾として学ぶもの。

罪と罰という面倒な論理ではなく、シンプルに「卑怯なことをしてはならない」。

卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。

この稿続く。


日本の指導者やエリートが誇りを失いはしめたきっかけは、どの時代にあるのでしょうか。 

2018年05月09日 10時11分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。

他国を圧倒する日本の型

-日本の指導者やエリートが誇りを失いはしめたきっかけは、どの時代にあるのでしょうか。 

藤原 本を正せば、明治時代です。

札幌農学校を出てアメリカのジョンズ・ホプキンス大学、さらにドイツに留学した新渡戸稲造が、明治29(1906)年に旧制一高(第一等学校)の校長に就任すると、西洋的教養を身に付け々せようとしました。

当時、一高などで学んでいた明治20年代生まれのエリートから、武士道精神や道徳、礼節、惻隠など「日本人の型」が徐々に忘れられていったことが問題でしょう。

武者小路実篤や志賀直哉、芥川龍之介などの作家も、「型を忘れたがゆえに他の型に圧倒されてしまった」ような気がします。 

-志賀直哉は「日本語廃止論」を訴えましたね。 

藤原 母語の徹底なくして教育はありませんし、真の国際人も育ちません。

幕末維新の遣欧米使節団や天正遣欧少年使節が世界で尊敬の念を浴びたのは、英語が上手だったからではありません。

海外の地に下り立った瞬間、道徳や礼節など堂々たる「日本人の型」を身に付けていたことが相手に即座に伝わったからです。 

西洋社会において、道徳は専ら教会が教えるものです。

嘘をついて悪事を働いた者は死後に煉獄へ落とされる、という「恐怖」が道徳の根幹をなしている。

しかし日本社会において、道徳はあくまでも家庭の躾として学ぶもの。

罪と罰という面倒な論理ではなく、シンプルに「卑怯なことをしてはならない」。

卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。

この稿続く。


アメリカ占領軍による「戦前の日本は悪だった」という洗脳により、エリートだけではなく日本人一般に至るまで「誇り」を失ってしまった

2018年05月09日 10時00分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。 

-ロシアのプーチン大統領も、日本がいくら謙虚で友好的な姿勢を貫こうと、北方領土を返す気は微塵も見えませんね。 

藤原 さらに大正時代のマルクス主義の浸透や、昭和におけるナチズムの浸透も、日本人の謙虚さや自信のなさが招いた悲劇でしょう。 

ヒトラーは著書『わが闘争(Mein Kampf)』のなかで、日本に文化などというものはなく、ヨーロッパの科学技術を模倣・装飾したものにすぎない、として以下のように記しました。

「特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ」(角川文庫・上巻)。 

ヒトラーが日本を侮蔑したこれらの箇所は、戦前の『わが闘争』翻訳版から削除されました。

第二次世界大戦当時、日本とドイツは同盟国です。

にもかかわらず、同盟相手であるドイツのヒトラーの日本に対する侮蔑を割愛して見なかったことにしてしまった。

同盟を結んでから、ヒトラーは日本を褒めたたえました。 

しかし、同盟国を欺くのは「世界の常識」です。

第二次世界大戦時のアメリカの同盟国イギリスもそう。

たとえば敵国ドイツの暗号「エニグマ」を数学者アラン・チューリングたちが解読したにもかかわらず、イギリスは解読の事実をアメリカに伝えませんでした。

それどころかイギリスは、戦後30年間近くも、占領したドイツから奪ったエニグマ暗号機を英連邦の国々に「解読不能の暗号」として使わせ、それらの暗号通信をこっそり読んでいたのです。

現在、日本の情報活動はアメリカ頼りです。

同盟国アメリカの暗号を盗み読むことが最も大切なのに、呑気なものです。 

-また先の大戦に関して、ソ連のコミンテルン(共産主義インターナショナル)の工作が日本とアメリカの政権内に及んでいたことが今日、知られていますね。 

藤原 幕末以来、日本の主敵はロシアでした。

スターリンは第二次世界大戦時、ドイツとの戦いに兵力を傾けたかったけれども、ソ連・満洲国境付近には日本軍がいた。

そこでソ連は毛沢東を焚き付けて日本を中国との戦いに深入りさせ、ソ連に侵攻してこないようにしました。 

問題はソ連の陰謀に気付かず、挑発に乗ってしまった日本の指導者の大局観のなさ。

北進政策を翻してラオス、ベトナム、カンボジアと南進した結果、アメリカの逆鱗に触れて日米戦争が始まりました。

スターリンを助けたい社会主義者ルーズベルト大統領は、日本と戦争になれば日独伊三国同盟によりドイツとも戦争になると考え、日本に最初の一発を撃たすことに全力を傾けたのです。

最後通牒となったハル・ノートをつくったのも、政権内に浸潤していたソ連のエージェントでした。 

コミンテルンの世界的陰謀を、日本は視野に入れていませんでした。

日本人の視野は、島国状態が長く続いたためか、狭小になりがちです。

現在でも歴史学者などはコミンテルンの活動を無視したまま、大東亜戦争を考察しているようです。 

さらに戦後、アメリカ占領軍による「戦前の日本は悪だった」という洗脳により、エリートだけではなく日本人一般に至るまで「誇り」を失ってしまった。

そこから「外来の文化はすべて日本より優れたもの」という恐ろしい錯誤が生まれ、小泉=竹中政権以来の新自由主義、グローバリズムによる構造改革、IT・英語教育礼賛論に至る流れができたのです。

この稿続く。


現在でも歴史学者などはコミンテルンの活動を無視したまま、大東亜戦争を考察しているようです。 

2018年05月09日 09時59分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。 

-ロシアのプーチン大統領も、日本がいくら謙虚で友好的な姿勢を貫こうと、北方領土を返す気は微塵も見えませんね。 

藤原 さらに大正時代のマルクス主義の浸透や、昭和におけるナチズムの浸透も、日本人の謙虚さや自信のなさが招いた悲劇でしょう。 

ヒトラーは著書『わが闘争(Mein Kampf)』のなかで、日本に文化などというものはなく、ヨーロッパの科学技術を模倣・装飾したものにすぎない、として以下のように記しました。

「特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ」(角川文庫・上巻)。 

ヒトラーが日本を侮蔑したこれらの箇所は、戦前の『わが闘争』翻訳版から削除されました。

第二次世界大戦当時、日本とドイツは同盟国です。

にもかかわらず、同盟相手であるドイツのヒトラーの日本に対する侮蔑を割愛して見なかったことにしてしまった。

同盟を結んでから、ヒトラーは日本を褒めたたえました。 

しかし、同盟国を欺くのは「世界の常識」です。

第二次世界大戦時のアメリカの同盟国イギリスもそう。

たとえば敵国ドイツの暗号「エニグマ」を数学者アラン・チューリングたちが解読したにもかかわらず、イギリスは解読の事実をアメリカに伝えませんでした。

それどころかイギリスは、戦後30年間近くも、占領したドイツから奪ったエニグマ暗号機を英連邦の国々に「解読不能の暗号」として使わせ、それらの暗号通信をこっそり読んでいたのです。

現在、日本の情報活動はアメリカ頼りです。

同盟国アメリカの暗号を盗み読むことが最も大切なのに、呑気なものです。 

-また先の大戦に関して、ソ連のコミンテルン(共産主義インターナショナル)の工作が日本とアメリカの政権内に及んでいたことが今日、知られていますね。 

藤原 幕末以来、日本の主敵はロシアでした。

スターリンは第二次世界大戦時、ドイツとの戦いに兵力を傾けたかったけれども、ソ連・満洲国境付近には日本軍がいた。

そこでソ連は毛沢東を焚き付けて日本を中国との戦いに深入りさせ、ソ連に侵攻してこないようにしました。 

問題はソ連の陰謀に気付かず、挑発に乗ってしまった日本の指導者の大局観のなさ。

北進政策を翻してラオス、ベトナム、カンボジアと南進した結果、アメリカの逆鱗に触れて日米戦争が始まりました。

スターリンを助けたい社会主義者ルーズベルト大統領は、日本と戦争になれば日独伊三国同盟によりドイツとも戦争になると考え、日本に最初の一発を撃たすことに全力を傾けたのです。

最後通牒となったハル・ノートをつくったのも、政権内に浸潤していたソ連のエージェントでした。 

コミンテルンの世界的陰謀を、日本は視野に入れていませんでした。

日本人の視野は、島国状態が長く続いたためか、狭小になりがちです。

現在でも歴史学者などはコミンテルンの活動を無視したまま、大東亜戦争を考察しているようです。 

さらに戦後、アメリカ占領軍による「戦前の日本は悪だった」という洗脳により、エリートだけではなく日本人一般に至るまで「誇り」を失ってしまった。

そこから「外来の文化はすべて日本より優れたもの」という恐ろしい錯誤が生まれ、小泉=竹中政権以来の新自由主義、グローバリズムによる構造改革、IT・英語教育礼賛論に至る流れができたのです。

この稿続く。


最後通牒となったハル・ノートをつくったのも、政権内に浸潤していたソ連のエージェントでした。

2018年05月09日 09時58分41秒 | 日記

以下は前章の続きである。 

-ロシアのプーチン大統領も、日本がいくら謙虚で友好的な姿勢を貫こうと、北方領土を返す気は微塵も見えませんね。 

藤原 さらに大正時代のマルクス主義の浸透や、昭和におけるナチズムの浸透も、日本人の謙虚さや自信のなさが招いた悲劇でしょう。 

ヒトラーは著書『わが闘争(Mein Kampf)』のなかで、日本に文化などというものはなく、ヨーロッパの科学技術を模倣・装飾したものにすぎない、として以下のように記しました。

「特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ」(角川文庫・上巻)。 

ヒトラーが日本を侮蔑したこれらの箇所は、戦前の『わが闘争』翻訳版から削除されました。

第二次世界大戦当時、日本とドイツは同盟国です。

にもかかわらず、同盟相手であるドイツのヒトラーの日本に対する侮蔑を割愛して見なかったことにしてしまった。

同盟を結んでから、ヒトラーは日本を褒めたたえました。 

しかし、同盟国を欺くのは「世界の常識」です。

第二次世界大戦時のアメリカの同盟国イギリスもそう。

たとえば敵国ドイツの暗号「エニグマ」を数学者アラン・チューリングたちが解読したにもかかわらず、イギリスは解読の事実をアメリカに伝えませんでした。

それどころかイギリスは、戦後30年間近くも、占領したドイツから奪ったエニグマ暗号機を英連邦の国々に「解読不能の暗号」として使わせ、それらの暗号通信をこっそり読んでいたのです。

現在、日本の情報活動はアメリカ頼りです。

同盟国アメリカの暗号を盗み読むことが最も大切なのに、呑気なものです。 

-また先の大戦に関して、ソ連のコミンテルン(共産主義インターナショナル)の工作が日本とアメリカの政権内に及んでいたことが今日、知られていますね。 

藤原 幕末以来、日本の主敵はロシアでした。

スターリンは第二次世界大戦時、ドイツとの戦いに兵力を傾けたかったけれども、ソ連・満洲国境付近には日本軍がいた。

そこでソ連は毛沢東を焚き付けて日本を中国との戦いに深入りさせ、ソ連に侵攻してこないようにしました。 

問題はソ連の陰謀に気付かず、挑発に乗ってしまった日本の指導者の大局観のなさ。

北進政策を翻してラオス、ベトナム、カンボジアと南進した結果、アメリカの逆鱗に触れて日米戦争が始まりました。

スターリンを助けたい社会主義者ルーズベルト大統領は、日本と戦争になれば日独伊三国同盟によりドイツとも戦争になると考え、日本に最初の一発を撃たすことに全力を傾けたのです。

最後通牒となったハル・ノートをつくったのも、政権内に浸潤していたソ連のエージェントでした。 

コミンテルンの世界的陰謀を、日本は視野に入れていませんでした。

日本人の視野は、島国状態が長く続いたためか、狭小になりがちです。

現在でも歴史学者などはコミンテルンの活動を無視したまま、大東亜戦争を考察しているようです。 

さらに戦後、アメリカ占領軍による「戦前の日本は悪だった」という洗脳により、エリートだけではなく日本人一般に至るまで「誇り」を失ってしまった。

そこから「外来の文化はすべて日本より優れたもの」という恐ろしい錯誤が生まれ、小泉=竹中政権以来の新自由主義、グローバリズムによる構造改革、IT・英語教育礼賛論に至る流れができたのです。

この稿続く。