文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです

2020年08月17日 15時36分10秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。

2020年08月17日 15時34分42秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。

2020年08月17日 15時33分07秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります…ポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました

2020年08月17日 15時27分45秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした

2020年08月17日 15時24分16秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています

2020年08月17日 15時23分25秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした

2020年08月17日 15時22分03秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


Social sanctions should fall in other countries, but not in Japan. Instead,

2020年08月17日 15時15分47秒 | 全般

The following is an article I found in the course of my search.
It is from https://ironna.jp/article/825.
It is the truth that not only the people of Japan but also people around the world, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
Ikuhiko Hata and Tsutomu Nishioka, 'Asahi's misreporting is defamation of Japan.'
The Sankei Shimbun, January 3, 2015
The year 2014 marked a significant turning point in the "comfort women" issue, with the verification of the Kono Statement by the government and the resignation of the president of the Asahi Shimbun. 
Is there any progress in the peninsula situation or the abduction of Japanese people by North Korea this year? 
Ikuhiko Hata (82), a contemporary historian and winner of the 30th Sound Argument Grand Prize, and Nishioka Tsutomu (58), a professor at Tokyo Christian University, discuss the situation peninsula and the abduction of Japanese nationals by North Korea. 
The two men, who continue to appeal for the truth of history, shared their views. 
(Moderator: Mr. Masatoshi Ohno, Deputy Director of the Sound Argument  Research Office)
-- On December 10 last year, Takashi Uemura, a former reporter for the Asahi Shimbun, published a memoir in the "Bungei Shunju" on the "comfort women" issue, which included a rebuttal to Dr. Nishioka. Some media outlets also interviewed him. Will the comfort women issue take a new turn?

Nishioka: In the latest February issue of the monthly Sound Argument magazine, I gave a full-throated rebuttal to Mr. Uemura. He claims that he didn't fabricate any fictionalized accounts in his memoirs. Still, he arbitrarily added a fictitious history in which the former comfort women themselves were brought in as The Women's Volunteer Corps, which she never mentioned.
And I also criticized him for failing to write a real history of 'As a result of poverty, she was sold to cathouse to become a Kisaeng and taken to a comfort station by cathouse's foster father,' which she repeatedly told to the world so that it was a fabrication.

Hata: On December 22, the report of an independent committee commissioned by Asahi was released.  I paid attention to it because of the uproar over Uemura's hiring as a lecturer at Hokusei Gakuen University. Still, I was disappointed when it ended up being a shallow plunge, saying it was "easy and careless" but "not unnatural."
It is a tape recording the testimony of a former comfort woman who was the source of the "scoop." Still, I heard that the Seoul bureau chief at the time knew the existence and told Uemura. Hence, he traveled to Seoul and listened to the tape and wrote an article, but why did the bureau chief go out of his way to invite Mr. Uemura from the Osaka Social Affairs Division?
It is incomprehensible.

Nishioka: At the time, the Asahi Shimbun had a view of things differently at its headquarters in Tokyo and Osaka, and the Osaka edition had a special feature titled "Women's Pacific War," in which it presented a strong conviction that 'the Japanese were evil before the war.'
Many articles did not appear in the Tokyo edition. 
The Seoul bureau chief, who would be under the jurisdiction of the Tokyo Foreign News Department, may have tried to have the articles written in Osaka.

Hata: Nevertheless, the doubtfulness of writing an article based on a tape that was unclear as to who blew it in is still there.
The representative of Korean The Women's Volunteer Corps let him listen to the tape, but he returned home without meeting the former comfort women themselves.  If he stayed there for three more days, he could attend a press conference with Kim Hak-sun, who came forward.
I think that would have made it a complete scoop.
Some Asahi alumni doubt whether or not the tape recording ever existed. The report of the independent committee was generally harsh in its tone of voice. Still, I was more than a little disappointed that it seemed to follow the Asahi's August report on the facts and did not uncover any new facts or provide any new insight into the nature of the comfort women issue. The Yoshida testimony (see note 1) has been thoroughly discussed, and I don't think it will become a new point of contention in the future.

Nishioka: Why did the Asahi Shimbun publish a verification article last August? The blatant anti-Japanese diplomacy of the Park Geun-hye administration and the campaign for comfort women by Koreans living abroad in the United States and elsewhere had previously led to the Uemura article and Yoshida Seiji's first testimony, which were transmitted as 'sex slaves, 200,000.' The Japanese public began to wonder if it was strange, and upon investigation, realized that the Asahi had misreported the story.
I think this is the result of the growing debate that the misinformation of more than 20 years ago is responsible for the gradual damage to Japan's reputation around the world.

Hata: I agree with you. The Asahi's influence on public opinion is rapidly beginning to cool down, and there is a growing tendency to criticize it more strongly for its stance on the comfort women issue. Even in other areas, the Asahi's divergence from public opinion has been noticeable. I think the company realized that it needed to change its direction somehow.

Nishioka: The way the verification is done is also in the form of a 'To the Reader', which is a way of answering the reader's questions.
Twenty-three years ago, Dr. Hata went to Jeju Island and first raised the issue that Yoshida's claims were fabricated, but this is not an attitude of answering Dr. Hata.
It's a way of saying, 'We will answer what we are falsely charged,' although the criticism is growing, right? 
As an organization of speech, they should respond to criticism by saying, 'We'll answer that Nishioka paper.
The Uemura memoir does not answer the Nishioka paper either.
 -Last year, the government verified the Kono Statement (see note 2). Will revealing the truth about history open up the future of Japan-Korea relations?
Nishioka: I think the most significant influence on Japan-Korea relations was Prime Minister Miyazawa Kiichi's apology to President Roh Tae-woo during his visit to South Korea in January 1992. Since 1951, when negotiations for the normalization of diplomatic relations between Japan and South Korea began, the comfort women issue had never been addressed as a diplomatic issue. If there was a real problem, it should have been treated when the Japan-Korea Basic Treaty was signed in 1965, but it wasn't here either. Later, in the 1980s, Yoshida wrote a book and went to Korea to apologize. In 1991, former comfort women filed a lawsuit with a lawyer specializing in post-war compensation in Japan, and Asahi continued to report the story in real-time. Until then, the Korean media had not treated the comfort women issue very well, but after Asahi's big campaign in 1991, it began to receive a lot of attention.

Hata: On January 11, 1992, Asahi used this as a backdrop to write a Great Campaign Article, "Evidence of Military Involvement Discovered," "Forced Removal and Comfort Women Under the Name of The Women's Volunteer Corps," and "The Majority of the Comfort Women are Korean Women," in a trick-like manner, and the following day's editorial argued that they should apologize and compensate for their actions.
I call this the "Big Bang," but the comfort women issue unfolded according to the Asahi Shimbun plot.

NISHIOKA: The Ministry of Foreign Affairs gave a further boost to the issue by focusing on an apology first. The comfort women's issue became a diplomatic issue along with the Asahi reports. In the current review of the Kono Statement, the ministry says it considered apologizing as early as December 1991. The facts about the forced rendition of women, as Mr. Yoshida has testified, are not known, and an apology should not be made before the actual situation is investigated. Why apologize diplomatically here? An excuse should be made after examining the case.

Hata: I think more than half of the blame for the comfort women issue became such a big problem lies with Japan. Korea has been passive. Starting with Mr. Yoshida, some lawyers went to various parts of Asia to find former comfort women and brought them to the court for compensation. Some lawyers called for the UN Human Rights Commission (now the UN Human Rights Council) to change the term "comfort women" to "sex slaves" and made it happen.
I can't help but wonder why there are Japanese people who are so passionate about trying to kill their own country. Social sanctions should fall in other countries, but not in Japan. Instead, the media would lift them.
 
Nishioka: It looks like things started with the Asahi's verification of the comfort women issue last August, but that's actually not the case. The Sankei Shimbun exposed the fact that an interview with 16 former comfort women, which was believed to be the basis for the Kono state, was a bullshit investigation without any supporting research, after obtaining records from the time.
Furthermore, the Sankei Shimbun has obtained and published in full a phantom refutation of the Coomaraswamy Report (see note 3), which the Ministry of Foreign Affairs once submitted to the UN and then abruptly withdrew.
The Sankei Shimbun and the monthly Sound Argument are the big scoops.
The release of government documents that were considered top-secret and the release of new facts raised the discussion level. I think this was the background of the rapid development of the comfort women report. If you want to say something in the newsroom, it is necessary to find new facts or propose a new way of looking at things. I hope that this kind of constructive discussion will continue in the New Year.


It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.

2020年08月17日 15時13分05秒 | 全般

The following is an article I found in the course of my search.
It is from https://ironna.jp/article/825.
It is the truth that not only the people of Japan but also people around the world, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
Ikuhiko Hata and Tsutomu Nishioka, 'Asahi's misreporting is defamation of Japan.'
The Sankei Shimbun, January 3, 2015
The year 2014 marked a significant turning point in the "comfort women" issue, with the verification of the Kono Statement by the government and the resignation of the president of the Asahi Shimbun. 
Is there any progress in the peninsula situation or the abduction of Japanese people by North Korea this year? 
Ikuhiko Hata (82), a contemporary historian and winner of the 30th Sound Argument Grand Prize, and Nishioka Tsutomu (58), a professor at Tokyo Christian University, discuss the situation peninsula and the abduction of Japanese nationals by North Korea. 
The two men, who continue to appeal for the truth of history, shared their views. 
(Moderator: Mr. Masatoshi Ohno, Deputy Director of the Sound Argument  Research Office)
-- On December 10 last year, Takashi Uemura, a former reporter for the Asahi Shimbun, published a memoir in the "Bungei Shunju" on the "comfort women" issue, which included a rebuttal to Dr. Nishioka. Some media outlets also interviewed him. Will the comfort women issue take a new turn?

Nishioka: In the latest February issue of the monthly Sound Argument magazine, I gave a full-throated rebuttal to Mr. Uemura. He claims that he didn't fabricate any fictionalized accounts in his memoirs. Still, he arbitrarily added a fictitious history in which the former comfort women themselves were brought in as The Women's Volunteer Corps, which she never mentioned.
And I also criticized him for failing to write a real history of 'As a result of poverty, she was sold to cathouse to become a Kisaeng and taken to a comfort station by cathouse's foster father,' which she repeatedly told to the world so that it was a fabrication.

Hata: On December 22, the report of an independent committee commissioned by Asahi was released.  I paid attention to it because of the uproar over Uemura's hiring as a lecturer at Hokusei Gakuen University. Still, I was disappointed when it ended up being a shallow plunge, saying it was "easy and careless" but "not unnatural."
It is a tape recording the testimony of a former comfort woman who was the source of the "scoop." Still, I heard that the Seoul bureau chief at the time knew the existence and told Uemura. Hence, he traveled to Seoul and listened to the tape and wrote an article, but why did the bureau chief go out of his way to invite Mr. Uemura from the Osaka Social Affairs Division?
It is incomprehensible.

Nishioka: At the time, the Asahi Shimbun had a view of things differently at its headquarters in Tokyo and Osaka, and the Osaka edition had a special feature titled "Women's Pacific War," in which it presented a strong conviction that 'the Japanese were evil before the war.'
Many articles did not appear in the Tokyo edition. 
The Seoul bureau chief, who would be under the jurisdiction of the Tokyo Foreign News Department, may have tried to have the articles written in Osaka.

Hata: Nevertheless, the doubtfulness of writing an article based on a tape that was unclear as to who blew it in is still there.
The representative of Korean The Women's Volunteer Corps let him listen to the tape, but he returned home without meeting the former comfort women themselves.  If he stayed there for three more days, he could attend a press conference with Kim Hak-sun, who came forward.
I think that would have made it a complete scoop.
Some Asahi alumni doubt whether or not the tape recording ever existed. The report of the independent committee was generally harsh in its tone of voice. Still, I was more than a little disappointed that it seemed to follow the Asahi's August report on the facts and did not uncover any new facts or provide any new insight into the nature of the comfort women issue. The Yoshida testimony (see note 1) has been thoroughly discussed, and I don't think it will become a new point of contention in the future.

Nishioka: Why did the Asahi Shimbun publish a verification article last August? The blatant anti-Japanese diplomacy of the Park Geun-hye administration and the campaign for comfort women by Koreans living abroad in the United States and elsewhere had previously led to the Uemura article and Yoshida Seiji's first testimony, which were transmitted as 'sex slaves, 200,000.' The Japanese public began to wonder if it was strange, and upon investigation, realized that the Asahi had misreported the story.
I think this is the result of the growing debate that the misinformation of more than 20 years ago is responsible for the gradual damage to Japan's reputation around the world.

Hata: I agree with you. The Asahi's influence on public opinion is rapidly beginning to cool down, and there is a growing tendency to criticize it more strongly for its stance on the comfort women issue. Even in other areas, the Asahi's divergence from public opinion has been noticeable. I think the company realized that it needed to change its direction somehow.

Nishioka: The way the verification is done is also in the form of a 'To the Reader', which is a way of answering the reader's questions.
Twenty-three years ago, Dr. Hata went to Jeju Island and first raised the issue that Yoshida's claims were fabricated, but this is not an attitude of answering Dr. Hata.
It's a way of saying, 'We will answer what we are falsely charged,' although the criticism is growing, right? 
As an organization of speech, they should respond to criticism by saying, 'We'll answer that Nishioka paper.
The Uemura memoir does not answer the Nishioka paper either.
 -Last year, the government verified the Kono Statement (see note 2). Will revealing the truth about history open up the future of Japan-Korea relations?
Nishioka: I think the most significant influence on Japan-Korea relations was Prime Minister Miyazawa Kiichi's apology to President Roh Tae-woo during his visit to South Korea in January 1992. Since 1951, when negotiations for the normalization of diplomatic relations between Japan and South Korea began, the comfort women issue had never been addressed as a diplomatic issue. If there was a real problem, it should have been treated when the Japan-Korea Basic Treaty was signed in 1965, but it wasn't here either. Later, in the 1980s, Yoshida wrote a book and went to Korea to apologize. In 1991, former comfort women filed a lawsuit with a lawyer specializing in post-war compensation in Japan, and Asahi continued to report the story in real-time. Until then, the Korean media had not treated the comfort women issue very well, but after Asahi's big campaign in 1991, it began to receive a lot of attention.

Hata: On January 11, 1992, Asahi used this as a backdrop to write a Great Campaign Article, "Evidence of Military Involvement Discovered," "Forced Removal and Comfort Women Under the Name of The Women's Volunteer Corps," and "The Majority of the Comfort Women are Korean Women," in a trick-like manner, and the following day's editorial argued that they should apologize and compensate for their actions.
I call this the "Big Bang," but the comfort women issue unfolded according to the Asahi Shimbun plot.

NISHIOKA: The Ministry of Foreign Affairs gave a further boost to the issue by focusing on an apology first. The comfort women's issue became a diplomatic issue along with the Asahi reports. In the current review of the Kono Statement, the ministry says it considered apologizing as early as December 1991. The facts about the forced rendition of women, as Mr. Yoshida has testified, are not known, and an apology should not be made before the actual situation is investigated. Why apologize diplomatically here? An excuse should be made after examining the case.

Hata: I think more than half of the blame for the comfort women issue became such a big problem lies with Japan. Korea has been passive. Starting with Mr. Yoshida, some lawyers went to various parts of Asia to find former comfort women and brought them to the court for compensation. Some lawyers called for the UN Human Rights Commission (now the UN Human Rights Council) to change the term "comfort women" to "sex slaves" and made it happen.
I can't help but wonder why there are Japanese people who are so passionate about trying to kill their own country. Social sanctions should fall in other countries, but not in Japan. Instead, the media would lift them.
 
Nishioka: It looks like things started with the Asahi's verification of the comfort women issue last August, but that's actually not the case. The Sankei Shimbun exposed the fact that an interview with 16 former comfort women, which was believed to be the basis for the Kono state, was a bullshit investigation without any supporting research, after obtaining records from the time.
Furthermore, the Sankei Shimbun has obtained and published in full a phantom refutation of the Coomaraswamy Report (see note 3), which the Ministry of Foreign Affairs once submitted to the UN and then abruptly withdrew.
The Sankei Shimbun and the monthly Sound Argument are the big scoops.
The release of government documents that were considered top-secret and the release of new facts raised the discussion level. I think this was the background of the rapid development of the comfort women report. If you want to say something in the newsroom, it is necessary to find new facts or propose a new way of looking at things. I hope that this kind of constructive discussion will continue in the New Year.


Some Asahi alumni doubt whether or not the tape recording ever existed.

2020年08月17日 15時11分16秒 | 全般

The following is an article I found in the course of my search.
It is from https://ironna.jp/article/825.
It is the truth that not only the people of Japan but also people around the world, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
Ikuhiko Hata and Tsutomu Nishioka, 'Asahi's misreporting is defamation of Japan.'
The Sankei Shimbun, January 3, 2015
The year 2014 marked a significant turning point in the "comfort women" issue, with the verification of the Kono Statement by the government and the resignation of the president of the Asahi Shimbun. 
Is there any progress in the peninsula situation or the abduction of Japanese people by North Korea this year? 
Ikuhiko Hata (82), a contemporary historian and winner of the 30th Sound Argument Grand Prize, and Nishioka Tsutomu (58), a professor at Tokyo Christian University, discuss the situation peninsula and the abduction of Japanese nationals by North Korea. 
The two men, who continue to appeal for the truth of history, shared their views. 
(Moderator: Mr. Masatoshi Ohno, Deputy Director of the Sound Argument  Research Office)
-- On December 10 last year, Takashi Uemura, a former reporter for the Asahi Shimbun, published a memoir in the "Bungei Shunju" on the "comfort women" issue, which included a rebuttal to Dr. Nishioka. Some media outlets also interviewed him. Will the comfort women issue take a new turn?

Nishioka: In the latest February issue of the monthly Sound Argument magazine, I gave a full-throated rebuttal to Mr. Uemura. He claims that he didn't fabricate any fictionalized accounts in his memoirs. Still, he arbitrarily added a fictitious history in which the former comfort women themselves were brought in as The Women's Volunteer Corps, which she never mentioned.
And I also criticized him for failing to write a real history of 'As a result of poverty, she was sold to cathouse to become a Kisaeng and taken to a comfort station by cathouse's foster father,' which she repeatedly told to the world so that it was a fabrication.

Hata: On December 22, the report of an independent committee commissioned by Asahi was released.  I paid attention to it because of the uproar over Uemura's hiring as a lecturer at Hokusei Gakuen University. Still, I was disappointed when it ended up being a shallow plunge, saying it was "easy and careless" but "not unnatural."
It is a tape recording the testimony of a former comfort woman who was the source of the "scoop." Still, I heard that the Seoul bureau chief at the time knew the existence and told Uemura. Hence, he traveled to Seoul and listened to the tape and wrote an article, but why did the bureau chief go out of his way to invite Mr. Uemura from the Osaka Social Affairs Division?
It is incomprehensible.

Nishioka: At the time, the Asahi Shimbun had a view of things differently at its headquarters in Tokyo and Osaka, and the Osaka edition had a special feature titled "Women's Pacific War," in which it presented a strong conviction that 'the Japanese were evil before the war.'
Many articles did not appear in the Tokyo edition. 
The Seoul bureau chief, who would be under the jurisdiction of the Tokyo Foreign News Department, may have tried to have the articles written in Osaka.

Hata: Nevertheless, the doubtfulness of writing an article based on a tape that was unclear as to who blew it in is still there.
The representative of Korean The Women's Volunteer Corps let him listen to the tape, but he returned home without meeting the former comfort women themselves.  If he stayed there for three more days, he could attend a press conference with Kim Hak-sun, who came forward.
I think that would have made it a complete scoop.
Some Asahi alumni doubt whether or not the tape recording ever existed. The report of the independent committee was generally harsh in its tone of voice. Still, I was more than a little disappointed that it seemed to follow the Asahi's August report on the facts and did not uncover any new facts or provide any new insight into the nature of the comfort women issue. The Yoshida testimony (see note 1) has been thoroughly discussed, and I don't think it will become a new point of contention in the future.

Nishioka: Why did the Asahi Shimbun publish a verification article last August? The blatant anti-Japanese diplomacy of the Park Geun-hye administration and the campaign for comfort women by Koreans living abroad in the United States and elsewhere had previously led to the Uemura article and Yoshida Seiji's first testimony, which were transmitted as 'sex slaves, 200,000.' The Japanese public began to wonder if it was strange, and upon investigation, realized that the Asahi had misreported the story.
I think this is the result of the growing debate that the misinformation of more than 20 years ago is responsible for the gradual damage to Japan's reputation around the world.

Hata: I agree with you. The Asahi's influence on public opinion is rapidly beginning to cool down, and there is a growing tendency to criticize it more strongly for its stance on the comfort women issue. Even in other areas, the Asahi's divergence from public opinion has been noticeable. I think the company realized that it needed to change its direction somehow.

Nishioka: The way the verification is done is also in the form of a 'To the Reader', which is a way of answering the reader's questions.
Twenty-three years ago, Dr. Hata went to Jeju Island and first raised the issue that Yoshida's claims were fabricated, but this is not an attitude of answering Dr. Hata.
It's a way of saying, 'We will answer what we are falsely charged,' although the criticism is growing, right? 
As an organization of speech, they should respond to criticism by saying, 'We'll answer that Nishioka paper.
The Uemura memoir does not answer the Nishioka paper either.
 -Last year, the government verified the Kono Statement (see note 2). Will revealing the truth about history open up the future of Japan-Korea relations?
Nishioka: I think the most significant influence on Japan-Korea relations was Prime Minister Miyazawa Kiichi's apology to President Roh Tae-woo during his visit to South Korea in January 1992. Since 1951, when negotiations for the normalization of diplomatic relations between Japan and South Korea began, the comfort women issue had never been addressed as a diplomatic issue. If there was a real problem, it should have been treated when the Japan-Korea Basic Treaty was signed in 1965, but it wasn't here either. Later, in the 1980s, Yoshida wrote a book and went to Korea to apologize. In 1991, former comfort women filed a lawsuit with a lawyer specializing in post-war compensation in Japan, and Asahi continued to report the story in real-time. Until then, the Korean media had not treated the comfort women issue very well, but after Asahi's big campaign in 1991, it began to receive a lot of attention.

Hata: On January 11, 1992, Asahi used this as a backdrop to write a Great Campaign Article, "Evidence of Military Involvement Discovered," "Forced Removal and Comfort Women Under the Name of The Women's Volunteer Corps," and "The Majority of the Comfort Women are Korean Women," in a trick-like manner, and the following day's editorial argued that they should apologize and compensate for their actions.
I call this the "Big Bang," but the comfort women issue unfolded according to the Asahi Shimbun plot.

NISHIOKA: The Ministry of Foreign Affairs gave a further boost to the issue by focusing on an apology first. The comfort women's issue became a diplomatic issue along with the Asahi reports. In the current review of the Kono Statement, the ministry says it considered apologizing as early as December 1991. The facts about the forced rendition of women, as Mr. Yoshida has testified, are not known, and an apology should not be made before the actual situation is investigated. Why apologize diplomatically here? An excuse should be made after examining the case.

Hata: I think more than half of the blame for the comfort women issue became such a big problem lies with Japan. Korea has been passive. Starting with Mr. Yoshida, some lawyers went to various parts of Asia to find former comfort women and brought them to the court for compensation. Some lawyers called for the UN Human Rights Commission (now the UN Human Rights Council) to change the term "comfort women" to "sex slaves" and made it happen.
I can't help but wonder why there are Japanese people who are so passionate about trying to kill their own country. Social sanctions should fall in other countries, but not in Japan. Instead, the media would lift them.
 
Nishioka: It looks like things started with the Asahi's verification of the comfort women issue last August, but that's actually not the case. The Sankei Shimbun exposed the fact that an interview with 16 former comfort women, which was believed to be the basis for the Kono state, was a bullshit investigation without any supporting research, after obtaining records from the time.
Furthermore, the Sankei Shimbun has obtained and published in full a phantom refutation of the Coomaraswamy Report (see note 3), which the Ministry of Foreign Affairs once submitted to the UN and then abruptly withdrew.
The Sankei Shimbun and the monthly Sound Argument are the big scoops.
The release of government documents that were considered top-secret and the release of new facts raised the discussion level. I think this was the background of the rapid development of the comfort women report. If you want to say something in the newsroom, it is necessary to find new facts or propose a new way of looking at things. I hope that this kind of constructive discussion will continue in the New Year.


It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.

2020年08月17日 13時04分39秒 | 全般

The following is an article I found in the course of my search.
It is from https://ironna.jp/article/825.
It is the truth that not only the people of Japan but also people around the world, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
Ikuhiko Hata and Tsutomu Nishioka, 'Asahi's misreporting is defamation of Japan.'
The Sankei Shimbun, January 3, 2015
The year 2014 marked a significant turning point in the "comfort women" issue, with the verification of the Kono Statement by the government and the resignation of the president of the Asahi Shimbun. 
Is there any progress in the peninsula situation or the abduction of Japanese people by North Korea this year? 
Ikuhiko Hata (82), a contemporary historian and winner of the 30th Sound Argument Grand Prize, and Nishioka Tsutomu (58), a professor at Tokyo Christian University, discuss the situation peninsula and the abduction of Japanese nationals by North Korea. 
The two men, who continue to appeal for the truth of history, shared their views. 
(Moderator: Mr. Masatoshi Ohno, Deputy Director of the Sound Argument  Research Office)
-- On December 10 last year, Takashi Uemura, a former reporter for the Asahi Shimbun, published a memoir in the "Bungei Shunju" on the "comfort women" issue, which included a rebuttal to Dr. Nishioka. Some media outlets also interviewed him. Will the comfort women issue take a new turn?

Nishioka: In the latest February issue of the monthly Sound Argument magazine, I gave a full-throated rebuttal to Mr. Uemura. He claims that he didn't fabricate any fictionalized accounts in his memoirs. Still, he arbitrarily added a fictitious history in which the former comfort women themselves were brought in as The Women's Volunteer Corps, which she never mentioned.
And I also criticized him for failing to write a real history of 'As a result of poverty, she was sold to cathouse to become a Kisaeng and taken to a comfort station by cathouse's foster father,' which she repeatedly told to the world so that it was a fabrication.

Hata: On December 22, the report of an independent committee commissioned by Asahi was released.  I paid attention to it because of the uproar over Uemura's hiring as a lecturer at Hokusei Gakuen University. Still, I was disappointed when it ended up being a shallow plunge, saying it was "easy and careless" but "not unnatural."
It is a tape recording the testimony of a former comfort woman who was the source of the "scoop." Still, I heard that the Seoul bureau chief at the time knew the existence and told Uemura. Hence, he traveled to Seoul and listened to the tape and wrote an article, but why did the bureau chief go out of his way to invite Mr. Uemura from the Osaka Social Affairs Division?
It is incomprehensible.

Nishioka: At the time, the Asahi Shimbun had a view of things differently at its headquarters in Tokyo and Osaka, and the Osaka edition had a special feature titled "Women's Pacific War," in which it presented a strong conviction that 'the Japanese were evil before the war.'
Many articles did not appear in the Tokyo edition. 
The Seoul bureau chief, who would be under the jurisdiction of the Tokyo Foreign News Department, may have tried to have the articles written in Osaka.

Hata: Nevertheless, the doubtfulness of writing an article based on a tape that was unclear as to who blew it in is still there.
The representative of Korean The Women's Volunteer Corps let him listen to the tape, but he returned home without meeting the former comfort women themselves.  If he stayed there for three more days, he could attend a press conference with Kim Hak-sun, who came forward.
I think that would have made it a complete scoop.
Some Asahi alumni doubt whether or not the tape recording ever existed. The report of the independent committee was generally harsh in its tone of voice. Still, I was more than a little disappointed that it seemed to follow the Asahi's August report on the facts and did not uncover any new facts or provide any new insight into the nature of the comfort women issue. The Yoshida testimony (see note 1) has been thoroughly discussed, and I don't think it will become a new point of contention in the future.

Nishioka: Why did the Asahi Shimbun publish a verification article last August? The blatant anti-Japanese diplomacy of the Park Geun-hye administration and the campaign for comfort women by Koreans living abroad in the United States and elsewhere had previously led to the Uemura article and Yoshida Seiji's first testimony, which were transmitted as 'sex slaves, 200,000.' The Japanese public began to wonder if it was strange, and upon investigation, realized that the Asahi had misreported the story.
I think this is the result of the growing debate that the misinformation of more than 20 years ago is responsible for the gradual damage to Japan's reputation around the world.

Hata: I agree with you. The Asahi's influence on public opinion is rapidly beginning to cool down, and there is a growing tendency to criticize it more strongly for its stance on the comfort women issue. Even in other areas, the Asahi's divergence from public opinion has been noticeable. I think the company realized that it needed to change its direction somehow.

Nishioka: The way the verification is done is also in the form of a 'To the Reader', which is a way of answering the reader's questions.
Twenty-three years ago, Dr. Hata went to Jeju Island and first raised the issue that Yoshida's claims were fabricated, but this is not an attitude of answering Dr. Hata.
It's a way of saying, 'We will answer what we are falsely charged,' although the criticism is growing, right? 
As an organization of speech, they should respond to criticism by saying, 'We'll answer that Nishioka paper.
The Uemura memoir does not answer the Nishioka paper either.
This article continues.

 


吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです

2020年08月17日 10時05分00秒 | 全般

先週、NHKBS1で報道していたコロナに関した特集番組を、ながら見していた。
エマニュエル・トッドが出演していたから、時々、耳を傾けていた。
彼がNHKの報道部を支配している人間達の思惑通りの事を話すわけもないからである。
司会していたのは鎌倉千秋…私がこの人物を知ったのは彼女が上海万博関係の番組の総合司会を務めていた時。
トッド出演の前夜は女性が出演していた。私は音を消して画面だけ、ながら見していたのだが、鎌倉千秋のハイヒールの高さは、かつて見た事がない高さだった。
さて、トッドの会の時である。
トッドは簡単に言えば、「グローバリズムとはインチキだったのだ。一握りの人間達が大儲けを為すための仕組み、それを利用し肥大・増長したのが中国…」等、至極当然の事を言った。
番組の最後に鎌倉は妙なコメントをした。
そもそも、NHKの職員が、コメントを入れる事自体がおかしい。
何事か言いたいなら、NHKの職員を辞して政治家にでもなればいい)NHKの職員だった安住の様な人間が増えるのなら願い下げだが。評論家で飯を食うとか、道は幾らでもあるだろう。
鎌倉千秋とCCPの関係は健全か?
気になって検索してみれば、津田大介や中野晃一等を重用していたクローズアップ現代+のメインキャスターだった。

以下は、検索の流れで発見した記事である。
https://ironna.jp/article/825から
秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」
『産経新聞』 2015年1月3日
政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利)
――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか

西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。

秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。

西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。

 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。

 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。

 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。

 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。

 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか

 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。*黒い雨訴訟などというのも、この日本の戦後補償の専門弁護士が暗躍しているのだろう*それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。

 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。

 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。

 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。

 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。


追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている

2020年08月17日 10時04分25秒 | 全般

先週、NHKBS1で報道していたコロナに関した特集番組を、ながら見していた。
エマニュエル・トッドが出演していたから、時々、耳を傾けていた。
彼がNHKの報道部を支配している人間達の思惑通りの事を話すわけもないからである。
司会していたのは鎌倉千秋…私がこの人物を知ったのは彼女が上海万博関係の番組の総合司会を務めていた時。
トッド出演の前夜は女性が出演していた。私は音を消して画面だけ、ながら見していたのだが、鎌倉千秋のハイヒールの高さは、かつて見た事がない高さだった。
さて、トッドの会の時である。
トッドは簡単に言えば、「グローバリズムとはインチキだったのだ。一握りの人間達が大儲けを為すための仕組み、それを利用し肥大・増長したのが中国…」等、至極当然の事を言った。
番組の最後に鎌倉は妙なコメントをした。
そもそも、NHKの職員が、コメントを入れる事自体がおかしい。
何事か言いたいなら、NHKの職員を辞して政治家にでもなればいい)NHKの職員だった安住の様な人間が増えるのなら願い下げだが。評論家で飯を食うとか、道は幾らでもあるだろう。
鎌倉千秋とCCPの関係は健全か?
気になって検索してみれば、津田大介や中野晃一等を重用していたクローズアップ現代+のメインキャスターだった。

以下は、検索の流れで発見した記事である。
https://ironna.jp/article/825から
秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」
『産経新聞』 2015年1月3日
政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利)
――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか

西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。

秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。

西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。

 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。

 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。

 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。

 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。

 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか

 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。*黒い雨訴訟などというのも、この日本の戦後補償の専門弁護士が暗躍しているのだろう*それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。

 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。

 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。

 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。

 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。


翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました

2020年08月17日 10時02分50秒 | 全般

先週、NHKBS1で報道していたコロナに関した特集番組を、ながら見していた。
エマニュエル・トッドが出演していたから、時々、耳を傾けていた。
彼がNHKの報道部を支配している人間達の思惑通りの事を話すわけもないからである。
司会していたのは鎌倉千秋…私がこの人物を知ったのは彼女が上海万博関係の番組の総合司会を務めていた時。
トッド出演の前夜は女性が出演していた。私は音を消して画面だけ、ながら見していたのだが、鎌倉千秋のハイヒールの高さは、かつて見た事がない高さだった。
さて、トッドの会の時である。
トッドは簡単に言えば、「グローバリズムとはインチキだったのだ。一握りの人間達が大儲けを為すための仕組み、それを利用し肥大・増長したのが中国…」等、至極当然の事を言った。
番組の最後に鎌倉は妙なコメントをした。
そもそも、NHKの職員が、コメントを入れる事自体がおかしい。
何事か言いたいなら、NHKの職員を辞して政治家にでもなればいい)NHKの職員だった安住の様な人間が増えるのなら願い下げだが。評論家で飯を食うとか、道は幾らでもあるだろう。
鎌倉千秋とCCPの関係は健全か?
気になって検索してみれば、津田大介や中野晃一等を重用していたクローズアップ現代+のメインキャスターだった。

以下は、検索の流れで発見した記事である。
https://ironna.jp/article/825から
秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」
『産経新聞』 2015年1月3日
政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利)
――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか

西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。

秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。

西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。

 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。

 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。

 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。

 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。

 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか

 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。*黒い雨訴訟などというのも、この日本の戦後補償の専門弁護士が暗躍しているのだろう*それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。

 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。

 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。

 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。

 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。


それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き

2020年08月17日 10時01分19秒 | 全般

先週、NHKBS1で報道していたコロナに関した特集番組を、ながら見していた。
エマニュエル・トッドが出演していたから、時々、耳を傾けていた。
彼がNHKの報道部を支配している人間達の思惑通りの事を話すわけもないからである。
司会していたのは鎌倉千秋…私がこの人物を知ったのは彼女が上海万博関係の番組の総合司会を務めていた時。
トッド出演の前夜は女性が出演していた。私は音を消して画面だけ、ながら見していたのだが、鎌倉千秋のハイヒールの高さは、かつて見た事がない高さだった。
さて、トッドの会の時である。
トッドは簡単に言えば、「グローバリズムとはインチキだったのだ。一握りの人間達が大儲けを為すための仕組み、それを利用し肥大・増長したのが中国…」等、至極当然の事を言った。
番組の最後に鎌倉は妙なコメントをした。
そもそも、NHKの職員が、コメントを入れる事自体がおかしい。
何事か言いたいなら、NHKの職員を辞して政治家にでもなればいい)NHKの職員だった安住の様な人間が増えるのなら願い下げだが。評論家で飯を食うとか、道は幾らでもあるだろう。
鎌倉千秋とCCPの関係は健全か?
気になって検索してみれば、津田大介や中野晃一等を重用していたクローズアップ現代+のメインキャスターだった。

以下は、検索の流れで発見した記事である。
https://ironna.jp/article/825から
秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」
『産経新聞』 2015年1月3日
政府による「河野談話」の検証や朝日新聞社長の辞任など「慰安婦問題」が大きな転換点を迎えた平成26年。明けて本年、半島情勢や北朝鮮による日本人拉致事件で進展はあるのか。第30回正論大賞受賞者の現代史家、秦郁彦氏(82)と東京基督教大教授、西岡力氏(58)が対談。歴史の真実を訴え続ける2人が見解を述べた。(司会・構成 正論調査室次長 大野正利)
――「慰安婦問題」をめぐって昨年12月10日、朝日新聞元記者の植村隆氏が「文芸春秋」に手記を発表、西岡先生への反論も含まれていました。一部メディアの取材にも応じています。慰安婦問題は新たな展開を迎えるのでしょうか

西岡 私は月刊「正論」の最新号(2月号)で植村氏に全面的に反論しました。彼は手記で捏造(ねつぞう)記事を書いていないと主張しますが、元慰安婦本人が一度も話していない「女子挺身(ていしん)隊として連行」という架空の履歴を勝手に付け加えたこと、彼女が繰り返し話していた「貧困の結果、妓生(キーセン)になるために置き屋に売られ、置き屋の養父に慰安所に連れて行かれた」という本当の履歴を書かなかったことが捏造だと批判しました。

秦 12月22日に朝日が委嘱した第三者委員会の報告書が出ました。植村氏の北星学園大講師雇いどめをめぐって騒動になっていたので注目していましたが、「安易かつ不用意」ではあるが「不自然はない」と浅い突っ込みに終わったのでがっかりしました。“スクープ”の元になった元慰安婦の証言を録音したテープですが、当時のソウル支局長が存在を知り、植村氏に伝えたのでソウルに出張してテープを聴いて記事にしたとしているが、支局長はなぜわざわざ大阪社会部から植村氏を呼んだのでしょうか。不可解ですよね。

西岡 朝日の中で当時、東京と大阪の両本社で温度差があり、大阪は「女たちの太平洋戦争」という特集企画で「戦前の日本人は本当に悪かった」など強い信念で展開していたが、東京版には掲載されない記事も多かった。東京外信部の管轄になるソウル支局長は大阪に書かせようとしたのではないでしょうか。

 秦 それにしても誰が吹き込んだのかはっきりしないテープを元に記事を書いたことで、いかがわしさは残りますよね。韓国挺身隊問題対策協議会の代表からテープを聴かせてもらったということですが、元慰安婦本人と会わずに帰国している。あと3日間、現地に残ったら、名乗り出た金学順さんの会見に出ることもできた。そうすれば完全なスクープになったと思うのですが。朝日OBのなかにはテープ録音なるものが実在したのか、疑う人もいます。第三者委員会の報告は全般的に厳しい論調ですが、事実関係については8月の朝日による検証をなぞった感じで、新事実の発掘はなく、慰安婦問題の本質に迫る新たな認識も示されず、少なからず失望しました。吉田証言(注(1))は洗いざらい論じ尽くされ、今後は新たな論点にはならないと思います。

 西岡 朝日はなぜ、昨年8月に検証記事を出したのか。朴槿恵政権の露骨な反日外交と、以前から米国などでの在外韓国人による慰安婦キャンペーンで植村記事や吉田清治氏の最初の証言そのまま、「セックス・スレイブ(性奴隷)、20万人」として発信されていた。一般の日本国民は「おかしいのでは」と思い始め、調べると朝日が誤報したのではと気付いた。20年以上前の誤報が世界中でじわじわと日本の名誉を傷つけてきた責任は重い、という議論が高まった結果と思います。

 秦 同感ですね。朝日の世論への影響力が急速に冷め始め、むしろ慰安婦問題に対するスタンスを強く批判する風潮が高まってきた。朝日はそれ以外でも世論との乖離(かいり)が目立ってきた。なんとか少し方角を変えないと困ると意識したのではないですかね。

 西岡 検証のやり方も「読者の皆さんへ」という形で、あくまで読者の疑問に答えますという姿勢です。23年前に秦先生が済州島に行かれ、吉田氏の主張が捏造だということを最初に問題提起されたわけですが、秦先生に答えるという姿勢ではない。批判が高まっているが、「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられていることにお答えします」というやり方ですよね。言論機関である以上、批判に対して「あの西岡論文に答える」と応じるべきだと思います。植村手記も西岡論文に答えてません。

 ――昨年、政府は河野談話(注(2))の検証を行いました。歴史の真実を明らかにすることで、日韓関係の将来は開けてくるのでしょうか

 西岡 日韓関係に大きな影響を与えたのは1992年1月、訪韓した宮沢喜一首相の盧泰愚大統領への謝罪だと思います。日韓国交正常化交渉が始まった1951年以降、慰安婦問題が外交問題として取り上げられたことはなかった。本当に問題があるなら65年の日韓基本条約締結の際に取り上げられるべきですがここでもなかった。その後、80年代になって吉田氏が本を書いて韓国まで謝りに行き、さらに91年に日本の戦後補償の専門弁護士が付いて元慰安婦たちが裁判を起こし、朝日がリアルタイムで報道し続けた。*黒い雨訴訟などというのも、この日本の戦後補償の専門弁護士が暗躍しているのだろう*それまで韓国のマスコミは慰安婦問題の扱いは小さかったのに、91年の朝日の大キャンペーンを境に大きく扱われるようになった。

 秦 それを背景にして朝日は92年1月11日にトリックめいた手法で「軍関与の証拠を発見」「女子挺身隊の名目で強制連行して慰安婦に」「慰安婦の大多数は朝鮮人女性」と大キャンペーン記事を書き、翌日の社説は「謝罪して補償すべきだ」と主張しました。私はこれを「ビッグバン」と呼んでいるのですが、実際に慰安婦問題は朝日の筋書き通りに展開しました。

 西岡 追い打ちをかけたのが外務省のまず謝罪ありきという姿勢で、朝日報道とセットで慰安婦問題が外交問題になってしまった。今回の河野談話の検証でも91年12月の段階で謝罪することを検討したとしている。吉田氏が証言したような強制連行について事実関係が分かっておらず、実態を調べる前に謝ってはいけない。ここでなぜ外交的に謝るのか。謝罪は調べてからすべきものです。

 秦 慰安婦問題がこんな大問題になってしまった責任の半分以上は日本にあると思いますね。韓国は受け身なんですよ、吉田氏にはじまり、アジア各地に出かけて元慰安婦を探し出し、補償裁判に持ち込んだ弁護士、国連人権委員会(現理事会)で慰安婦を性奴隷と呼びかえるべきだと訴え、実現させた弁護士も。僕はなぜそういう自国を貶(おとし)めるようなことに熱中する日本人がいるのか、不思議でならない。他国なら社会的制裁が下るはずなんだけど、日本はそうではない。むしろメディアは持ち上げてしまう。

 西岡 慰安婦問題については昨年8月の朝日の検証から物事が始まったように見えますが、実はそうではない。河野談話の根拠だとされていた元慰安婦16人の聞き取り調査が裏付け調査のないでたらめな調査だったことを当時の記録を入手して暴露し、さらに外務省が一度国連に提出して突然取り下げたクマラスワミ報告(注(3))に対する幻の反論文書を入手して全文公開したことなど、産経新聞と月刊「正論」のスクープは大きい。極秘とされていた政府文書を公開し、新しいファクトを出したことが議論の水準を上げることになった。慰安婦報道の急展開にはこうした背景があったと思います。報道現場で何か言いたいのであれば、新しいファクトを見いだすとか、新しいものの見方を提案することが絶対に必要です。新年はこうした建設的な議論が進むことを期待したいですね。