文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

いわれなき批判を浴びているのは、朝日ではなく日本人です。慰安婦像が世界中に建ち、非難決議があちこちの議会で取りざたされている。ここにどう朝日が回答するのか、と思ったら逆に開き直ってしまった

2020年08月17日 16時03分42秒 | 全般

山ほど根拠がある批判を「いわれなき批判」とは…

阿比留 今話題に出た杉浦さんは一面で次のように書いています。
《一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています》
いわれなきどころか、根拠も理由も十分過ぎるくらいにあるわけです。にも関わらず自分達が被害者のように書いている。それから、吉田清治氏をめぐる記事は取り消すと書いていますが、それは中面に小さく書いているだけで一面には何も書いていない。見出しもありません。はじめからごまかしたい意図がありありだと読み取れます。

門田 いわれなき批判を浴びているのは、朝日ではなく日本人です。慰安婦像が世界中に建ち、非難決議があちこちの議会で取りざたされている。ここにどう朝日が回答するのか、と思ったら逆に開き直ってしまった。

櫻井 「いわれなき批判」とは、よくそこまで仰るのね、という思いです。これは正に朝日新聞が捏造した問題です。まず強制連行という点と、全く異なる挺身隊と慰安婦を結びつけた点です。挺身隊の女性を強制連行したということが世界中に衝撃を与えているわけで、朝日はその旗振り役だったわけです。

 「挺身隊=慰安婦」の実態を想像してみると、これは凄まじいことです。挺身隊とは小学校卒業のだいたい十二歳ぐらいから二十四、五歳ぐらいの女性たちの勤労奉仕隊です。小学校を卒業したか、しないかぐらいの少女から二十代前半のうら若き女性たちを日本軍が強制的に連行し、「従軍慰安婦」にしたというのですから、こんなことを書けば、韓国の世論が怒り狂うのは目に見えている。それを書いたわけです。韓国人が怒らないほうがおかしいし、怒るのは当たり前です。その結果、本来ならもっと良い関係を維持できていたかもしれない日韓関係が深刻な形で傷つけられた。そういう意味でも、朝日は韓国人にも謝らなければいけないのです。

阿比留 慰安婦と挺身隊の混同を朝日は認めましたが、それは無理がなかった、当時は研究が乏しかったなどと書いています。しかし、それはおかしい。自分の父母か祖父母にでも「挺身隊って何だったの?」って聞けばすぐにわかるような話です。

門田 常識に属することですからね、女子挺身隊なんてこれはもう常識レベルですから。
阿比留 研究なんて大上段に振りかざして言うような話ではない。そのことをここで指摘しておきたいです。
「身売り」の情報を一体どう評価したのか。
櫻井 植村氏の記事について特集記事は「記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」「裏付け取材が不十分だった点は反省します」とあります。しかしこれは裏付け取材が不十分で済まされる次元の話ではありません。
 植村氏が九一年八月十一日の紙面で報じた記事では女性の名前は伏せられていました。しかし、3日後の14日にソウルで彼女は「金学順」という実名を出して記者会見に臨んでいます。そこで彼女は「私は40円で親から売られた」「三年後の17歳の時に義父から売られた」と明かしています。彼女は日本政府を相手取った訴訟をその後起こしていますが、その訴状にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。こういう記述を植村記者は見ているはずです。特集記事ではいろいろと書いているけれども、「親から売られた」とある重要な情報を彼はどう評価したのでしょう。

裁判が提訴されたあとの九一年十二月二十五日にも植村氏は金氏のインタビュー記事を大きく報じています。その記事でも「貧しさゆえに売られた」などとは植村氏は書いていないのです。前後の状況をよく見れば、植村氏が意図的に金氏が身売りされたという情報を落としたと断定しても間違いないだろうと思います。挺身隊の件もそうです。挺身隊が慰安婦と何の関係もないという重要な情報を彼は報道しなかった。そういわざるを得ないのです。
阿比留 それに関連して一言。今回の朝日の特集では、植村氏の聴いたテープには「キーセンに売られた」という話はなかった、となっています。これが仮に本当だったとしても九一年八月の植村氏の記事は「挺身隊の名で戦場に連行された」となっているのです。では植村氏はテープで「挺身隊の名で戦場に連行された」と聞いたのでしょうか。恐らくそうは聞いてないはずです。やはり創作はあったと言わざるを得ない。これが捏造でなければ何なのかと思います。朝日の特集はそこを明確にしていないのです。

朝日社説でも次々と表現が変わってきた「強制連行」

門田 特集ではもともとの情報はソウル支局長だった、とありますが、なぜわざわざ大阪社会部の植村氏が海外出張までしてソウル取材となったのか。これも疑問です。国内出張とは訳が違いますからね。義母と特別の関係がなかったという話を信じろ、というのはなかなか無理がありますね。
櫻井 それは私も疑問を感じています。特ダネですよね。記者の感覚からすれば、ソウル支局長の特ダネを他の部の記者に譲るなど、およそあり得ない話だと思うのです。植村氏について特集記事では植村氏が「義母との縁戚関係を利用して特別の情報を得たことはありませんでした」とありますが、氏の書いた記事が義母の主張に有利に作用したことは確かです。そう思えば、ではなぜ彼が「親から売られた」という情報を書かなかったのか、なぜ挺身隊と結びつけた記事を書いたのか、という疑問がさらに強く浮上します。こうした点については特集では全く説明がありません。
門田 強制連行が問題の根幹だということを朝日もわかっているのでしょう。強制連行があるのか、ないのか。ここが「性奴隷=Sex Slaves」の一番の核心です。「性奴隷」という以上、女性が嫌がっているところを無理やり連れていったり、閉じ込めたり、あるいは強姦によって、意に沿わない性交渉を強いた─といったことが不可欠なはずです。強制連行がなければとても「性奴隷」などとはいえないからです。もし、そこが崩れてしまえば今度は「では朝日新聞の今までの報道は何だったのか」となってしまう。強制連行がなかった、となると、朝日新聞は本当に吹っ飛ぶと思うのです。だから、ここを必死に守ろうとして「強制性はあった」と未だに旗を降ろしていないのだと思います。

特集記事は植村氏自身やソウル支局長の生証言が少なすぎます。しかし、逆にそうしたまとめ方からは何とか事態を収束させたい、切り抜けたいという朝日の意図がにじみ出ているように思えます。

阿比留 朝日の社説をみると、平成四年頃は強制連行を自明の前提条件として取り扱ってきました。ところがだんだん強制連行が怪しくなると「強制連行はあったのだろう」という書き方に後退した。やがて「強制連行の有無は問題ではない」と書き始め、ついには強制連行という言葉自体を最近は使わなくなりました。

櫻井 強制性となりましたね。

阿比留 これは明らかに誤魔化しです。そして朝日の読者に対する愚弄でもあると思います。本当の事を伝えようとしない。国民も大きな迷惑を被っていますが本当に不誠実な対応だと思います。


吉田清治氏をめぐる記事は取り消すと書いていますが、それは中面に小さく書いているだけで一面には何も書いていない。見出しもありません。はじめからごまかしたい意図がありありだと読み取れます

2020年08月17日 16時03分02秒 | 全般

山ほど根拠がある批判を「いわれなき批判」とは…

阿比留 今話題に出た杉浦さんは一面で次のように書いています。
《一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています》
いわれなきどころか、根拠も理由も十分過ぎるくらいにあるわけです。にも関わらず自分達が被害者のように書いている。それから、吉田清治氏をめぐる記事は取り消すと書いていますが、それは中面に小さく書いているだけで一面には何も書いていない。見出しもありません。はじめからごまかしたい意図がありありだと読み取れます。

門田 いわれなき批判を浴びているのは、朝日ではなく日本人です。慰安婦像が世界中に建ち、非難決議があちこちの議会で取りざたされている。ここにどう朝日が回答するのか、と思ったら逆に開き直ってしまった。

櫻井 「いわれなき批判」とは、よくそこまで仰るのね、という思いです。これは正に朝日新聞が捏造した問題です。まず強制連行という点と、全く異なる挺身隊と慰安婦を結びつけた点です。挺身隊の女性を強制連行したということが世界中に衝撃を与えているわけで、朝日はその旗振り役だったわけです。

 「挺身隊=慰安婦」の実態を想像してみると、これは凄まじいことです。挺身隊とは小学校卒業のだいたい十二歳ぐらいから二十四、五歳ぐらいの女性たちの勤労奉仕隊です。小学校を卒業したか、しないかぐらいの少女から二十代前半のうら若き女性たちを日本軍が強制的に連行し、「従軍慰安婦」にしたというのですから、こんなことを書けば、韓国の世論が怒り狂うのは目に見えている。それを書いたわけです。韓国人が怒らないほうがおかしいし、怒るのは当たり前です。その結果、本来ならもっと良い関係を維持できていたかもしれない日韓関係が深刻な形で傷つけられた。そういう意味でも、朝日は韓国人にも謝らなければいけないのです。

阿比留 慰安婦と挺身隊の混同を朝日は認めましたが、それは無理がなかった、当時は研究が乏しかったなどと書いています。しかし、それはおかしい。自分の父母か祖父母にでも「挺身隊って何だったの?」って聞けばすぐにわかるような話です。

門田 常識に属することですからね、女子挺身隊なんてこれはもう常識レベルですから。
阿比留 研究なんて大上段に振りかざして言うような話ではない。そのことをここで指摘しておきたいです。
「身売り」の情報を一体どう評価したのか。
櫻井 植村氏の記事について特集記事は「記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」「裏付け取材が不十分だった点は反省します」とあります。しかしこれは裏付け取材が不十分で済まされる次元の話ではありません。
 植村氏が九一年八月十一日の紙面で報じた記事では女性の名前は伏せられていました。しかし、3日後の14日にソウルで彼女は「金学順」という実名を出して記者会見に臨んでいます。そこで彼女は「私は40円で親から売られた」「三年後の17歳の時に義父から売られた」と明かしています。彼女は日本政府を相手取った訴訟をその後起こしていますが、その訴状にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。こういう記述を植村記者は見ているはずです。特集記事ではいろいろと書いているけれども、「親から売られた」とある重要な情報を彼はどう評価したのでしょう。

裁判が提訴されたあとの九一年十二月二十五日にも植村氏は金氏のインタビュー記事を大きく報じています。その記事でも「貧しさゆえに売られた」などとは植村氏は書いていないのです。前後の状況をよく見れば、植村氏が意図的に金氏が身売りされたという情報を落としたと断定しても間違いないだろうと思います。挺身隊の件もそうです。挺身隊が慰安婦と何の関係もないという重要な情報を彼は報道しなかった。そういわざるを得ないのです。
阿比留 それに関連して一言。今回の朝日の特集では、植村氏の聴いたテープには「キーセンに売られた」という話はなかった、となっています。これが仮に本当だったとしても九一年八月の植村氏の記事は「挺身隊の名で戦場に連行された」となっているのです。では植村氏はテープで「挺身隊の名で戦場に連行された」と聞いたのでしょうか。恐らくそうは聞いてないはずです。やはり創作はあったと言わざるを得ない。これが捏造でなければ何なのかと思います。朝日の特集はそこを明確にしていないのです。

朝日社説でも次々と表現が変わってきた「強制連行」

門田 特集ではもともとの情報はソウル支局長だった、とありますが、なぜわざわざ大阪社会部の植村氏が海外出張までしてソウル取材となったのか。これも疑問です。国内出張とは訳が違いますからね。義母と特別の関係がなかったという話を信じろ、というのはなかなか無理がありますね。
櫻井 それは私も疑問を感じています。特ダネですよね。記者の感覚からすれば、ソウル支局長の特ダネを他の部の記者に譲るなど、およそあり得ない話だと思うのです。植村氏について特集記事では植村氏が「義母との縁戚関係を利用して特別の情報を得たことはありませんでした」とありますが、氏の書いた記事が義母の主張に有利に作用したことは確かです。そう思えば、ではなぜ彼が「親から売られた」という情報を書かなかったのか、なぜ挺身隊と結びつけた記事を書いたのか、という疑問がさらに強く浮上します。こうした点については特集では全く説明がありません。
門田 強制連行が問題の根幹だということを朝日もわかっているのでしょう。強制連行があるのか、ないのか。ここが「性奴隷=Sex Slaves」の一番の核心です。「性奴隷」という以上、女性が嫌がっているところを無理やり連れていったり、閉じ込めたり、あるいは強姦によって、意に沿わない性交渉を強いた─といったことが不可欠なはずです。強制連行がなければとても「性奴隷」などとはいえないからです。もし、そこが崩れてしまえば今度は「では朝日新聞の今までの報道は何だったのか」となってしまう。強制連行がなかった、となると、朝日新聞は本当に吹っ飛ぶと思うのです。だから、ここを必死に守ろうとして「強制性はあった」と未だに旗を降ろしていないのだと思います。

特集記事は植村氏自身やソウル支局長の生証言が少なすぎます。しかし、逆にそうしたまとめ方からは何とか事態を収束させたい、切り抜けたいという朝日の意図がにじみ出ているように思えます。

阿比留 朝日の社説をみると、平成四年頃は強制連行を自明の前提条件として取り扱ってきました。ところがだんだん強制連行が怪しくなると「強制連行はあったのだろう」という書き方に後退した。やがて「強制連行の有無は問題ではない」と書き始め、ついには強制連行という言葉自体を最近は使わなくなりました。

櫻井 強制性となりましたね。

阿比留 これは明らかに誤魔化しです。そして朝日の読者に対する愚弄でもあると思います。本当の事を伝えようとしない。国民も大きな迷惑を被っていますが本当に不誠実な対応だと思います。


杉浦さんは一面で次のように書いています。《一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています》

2020年08月17日 16時01分56秒 | 全般

山ほど根拠がある批判を「いわれなき批判」とは…

阿比留 今話題に出た杉浦さんは一面で次のように書いています。
《一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています》
いわれなきどころか、根拠も理由も十分過ぎるくらいにあるわけです。にも関わらず自分達が被害者のように書いている。それから、吉田清治氏をめぐる記事は取り消すと書いていますが、それは中面に小さく書いているだけで一面には何も書いていない。見出しもありません。はじめからごまかしたい意図がありありだと読み取れます。

門田 いわれなき批判を浴びているのは、朝日ではなく日本人です。慰安婦像が世界中に建ち、非難決議があちこちの議会で取りざたされている。ここにどう朝日が回答するのか、と思ったら逆に開き直ってしまった。

櫻井 「いわれなき批判」とは、よくそこまで仰るのね、という思いです。これは正に朝日新聞が捏造した問題です。まず強制連行という点と、全く異なる挺身隊と慰安婦を結びつけた点です。挺身隊の女性を強制連行したということが世界中に衝撃を与えているわけで、朝日はその旗振り役だったわけです。

 「挺身隊=慰安婦」の実態を想像してみると、これは凄まじいことです。挺身隊とは小学校卒業のだいたい十二歳ぐらいから二十四、五歳ぐらいの女性たちの勤労奉仕隊です。小学校を卒業したか、しないかぐらいの少女から二十代前半のうら若き女性たちを日本軍が強制的に連行し、「従軍慰安婦」にしたというのですから、こんなことを書けば、韓国の世論が怒り狂うのは目に見えている。それを書いたわけです。韓国人が怒らないほうがおかしいし、怒るのは当たり前です。その結果、本来ならもっと良い関係を維持できていたかもしれない日韓関係が深刻な形で傷つけられた。そういう意味でも、朝日は韓国人にも謝らなければいけないのです。

阿比留 慰安婦と挺身隊の混同を朝日は認めましたが、それは無理がなかった、当時は研究が乏しかったなどと書いています。しかし、それはおかしい。自分の父母か祖父母にでも「挺身隊って何だったの?」って聞けばすぐにわかるような話です。

門田 常識に属することですからね、女子挺身隊なんてこれはもう常識レベルですから。
阿比留 研究なんて大上段に振りかざして言うような話ではない。そのことをここで指摘しておきたいです。
「身売り」の情報を一体どう評価したのか。
櫻井 植村氏の記事について特集記事は「記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」「裏付け取材が不十分だった点は反省します」とあります。しかしこれは裏付け取材が不十分で済まされる次元の話ではありません。
 植村氏が九一年八月十一日の紙面で報じた記事では女性の名前は伏せられていました。しかし、3日後の14日にソウルで彼女は「金学順」という実名を出して記者会見に臨んでいます。そこで彼女は「私は40円で親から売られた」「三年後の17歳の時に義父から売られた」と明かしています。彼女は日本政府を相手取った訴訟をその後起こしていますが、その訴状にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。こういう記述を植村記者は見ているはずです。特集記事ではいろいろと書いているけれども、「親から売られた」とある重要な情報を彼はどう評価したのでしょう。

裁判が提訴されたあとの九一年十二月二十五日にも植村氏は金氏のインタビュー記事を大きく報じています。その記事でも「貧しさゆえに売られた」などとは植村氏は書いていないのです。前後の状況をよく見れば、植村氏が意図的に金氏が身売りされたという情報を落としたと断定しても間違いないだろうと思います。挺身隊の件もそうです。挺身隊が慰安婦と何の関係もないという重要な情報を彼は報道しなかった。そういわざるを得ないのです。
阿比留 それに関連して一言。今回の朝日の特集では、植村氏の聴いたテープには「キーセンに売られた」という話はなかった、となっています。これが仮に本当だったとしても九一年八月の植村氏の記事は「挺身隊の名で戦場に連行された」となっているのです。では植村氏はテープで「挺身隊の名で戦場に連行された」と聞いたのでしょうか。恐らくそうは聞いてないはずです。やはり創作はあったと言わざるを得ない。これが捏造でなければ何なのかと思います。朝日の特集はそこを明確にしていないのです。

朝日社説でも次々と表現が変わってきた「強制連行」

門田 特集ではもともとの情報はソウル支局長だった、とありますが、なぜわざわざ大阪社会部の植村氏が海外出張までしてソウル取材となったのか。これも疑問です。国内出張とは訳が違いますからね。義母と特別の関係がなかったという話を信じろ、というのはなかなか無理がありますね。
櫻井 それは私も疑問を感じています。特ダネですよね。記者の感覚からすれば、ソウル支局長の特ダネを他の部の記者に譲るなど、およそあり得ない話だと思うのです。植村氏について特集記事では植村氏が「義母との縁戚関係を利用して特別の情報を得たことはありませんでした」とありますが、氏の書いた記事が義母の主張に有利に作用したことは確かです。そう思えば、ではなぜ彼が「親から売られた」という情報を書かなかったのか、なぜ挺身隊と結びつけた記事を書いたのか、という疑問がさらに強く浮上します。こうした点については特集では全く説明がありません。
門田 強制連行が問題の根幹だということを朝日もわかっているのでしょう。強制連行があるのか、ないのか。ここが「性奴隷=Sex Slaves」の一番の核心です。「性奴隷」という以上、女性が嫌がっているところを無理やり連れていったり、閉じ込めたり、あるいは強姦によって、意に沿わない性交渉を強いた─といったことが不可欠なはずです。強制連行がなければとても「性奴隷」などとはいえないからです。もし、そこが崩れてしまえば今度は「では朝日新聞の今までの報道は何だったのか」となってしまう。強制連行がなかった、となると、朝日新聞は本当に吹っ飛ぶと思うのです。だから、ここを必死に守ろうとして「強制性はあった」と未だに旗を降ろしていないのだと思います。

特集記事は植村氏自身やソウル支局長の生証言が少なすぎます。しかし、逆にそうしたまとめ方からは何とか事態を収束させたい、切り抜けたいという朝日の意図がにじみ出ているように思えます。

阿比留 朝日の社説をみると、平成四年頃は強制連行を自明の前提条件として取り扱ってきました。ところがだんだん強制連行が怪しくなると「強制連行はあったのだろう」という書き方に後退した。やがて「強制連行の有無は問題ではない」と書き始め、ついには強制連行という言葉自体を最近は使わなくなりました。

櫻井 強制性となりましたね。

阿比留 これは明らかに誤魔化しです。そして朝日の読者に対する愚弄でもあると思います。本当の事を伝えようとしない。国民も大きな迷惑を被っていますが本当に不誠実な対応だと思います。


朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う…吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている

2020年08月17日 15時55分52秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。

2020年08月17日 15時53分38秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです

2020年08月17日 15時51分49秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えている

2020年08月17日 15時50分53秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。

2020年08月17日 15時49分39秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました

2020年08月17日 15時46分07秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです

2020年08月17日 15時45分19秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。

2020年08月17日 15時44分26秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。91年8月11日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした

2020年08月17日 15時42分20秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。

 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった

2020年08月17日 15時40分40秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


米国にもリベラリズムの勢力…ジョン・ダワーのような人物が代表的…があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた

2020年08月17日 15時39分41秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。


朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。

2020年08月17日 15時38分24秒 | 全般

慰安婦、吉田調書…消えぬ反日報道の大罪
『月刊正論』 2014年10月号
《緊急座談会》
ジャーナリスト 櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ジャーナリスト 門田隆将(かどた・りゅうしょう)
産経新聞政治部編集委員 阿比留瑠比(あびる・るい)

阿比留瑠比氏 慰安婦問題で河野談話がどのような経過で出されたのか。そしてどういう影響をもたらしたのか。これをはじめて明らかにされたのは櫻井さんでした。文藝春秋平成九年三月号で元官房副長官、石原信雄氏へインタビューし、韓国で行われた慰安婦十六人の聞き取り調査では裏付け調査などが行われずに河野談話が出されたことなどをかなり詳細に明らかにされました。当時、社会部記者だった私は上司の石川水穂元論説委員と一緒にこれを読み、石原氏の自宅に確認取材にでかけ、産経新聞でも報じました。これが私が慰安婦取材に本格的に関わる切っ掛けにもなりました。以来、17年が経ちましたが今、ようやく本当のことが明らかになりつつある。そのことにある種の感慨を覚えています。

 朝日新聞は八月五日からの二日間、それまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載しましたが、謝罪はありませんでした。また日韓関係に自らが及ぼした悪影響についても全く言及がありませんでした。非常に不十分だったといわざるを得ません。ただし、朝日新聞の正体を白日のもとに晒したとは思います。

 櫻井よしこ氏 随分長期に渡って朝日新聞をウオッチしてきたという感慨は私にもあります。私が「朝日はおかしい」と思い始めたのは七〇年代に遡ります。例えば昭和五十年四月十九日夕刊にカンボジアのポル・ポトの革命について朝日の特派員は「アジア的な優しさを持つ革命」などと書いていました。フランスなどのメディアはカンボジアから逃れてくる難民に国境でインタビューを重ね、すさまじい虐殺が行われていたことを周辺取材から明らかにしていました。つくり話であるなんてあり得ない状況のなかで朝日だけは「粛清の危険は薄い」などと書いていたわけですね。
 一九八六年にも印象に残る記事がありました。石川巌編集委員が「深海流」というコラムで「スクリーンの金正日書記」と題して朝鮮民主主義人民共和国随一のシャレものが金日成主席の子息で後継者の金正日総書記だと書いています。当時金正日総書記は四十四歳。背が小さいことをカバーするためにハイヒールを履いているとか、ダンディぶりが明白だ、などと書いていました。笑える記事の典型です。

 朝日が韓国と比較し、北朝鮮をいつもいい国だと書いてきたことは、もう誰もが知っていますが、朝日新聞は一貫して左翼リベラリズムの流れに基づく報道を繰り返してきたわけです。慰安婦報道もその流れのなかから生まれてきたといえます。米国にもリベラリズムの勢力─例えば歴史学者のマサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授のような人物が代表的ですが─があって彼らは反保守でかつ反日的な言動で知られます。こうした人々に朝日は次々と日本を貶める材料を与えてきた。日米の左翼陣営が太平洋を越えてこの何十年間、連携し続けてきた。そういう構図があります。それが私達の暮らしにどのような貢献をしたのかといえば、不幸と不名誉しかもたらさなかった。


 今回の慰安婦問題の特集記事を注意深く読みました。自己弁護ばかりで本当の意味で反省など全然していない。取り消したのは吉田清治氏の証言をめぐる記事だけでした。九一年八月十一日、「従軍慰安婦」の初めての被害証言だとして報道した、自社社員の植村隆元記者の記事などは取り消していません。最終的に朝日新聞自体に深刻な傷が及ばない形に取り繕ったといわざるを得ない。左翼陣営のリベラル人士に共通する特徴ですが、彼らは概して卑怯です。間違って済まなかったとはいわない。むしろ、済まなかったという姿勢が全く感じられないのです。

 門田隆将氏 日本と日本人を貶めてきた朝日の報道姿勢は首尾一貫して続いていると私は思っています。今、櫻井さんから朝日は取り繕ってばかりで反省などしていないという話がありましたが、私には開き直りに思えました。例えば、特集記事が掲載された朝刊一面で編集担当の杉浦信之氏は「慰安婦問題の本質、直視を」と題して「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」などと述べています。慰安婦もそうですが、あの時代、さまざまな事情で身を売らなければならなかった薄幸な女性達が数多くいた。そのことは誰もが認めており、私も含めて誰もが胸を痛める話です。それは歴史の事実としてあるわけで争点でも何でもなかった。ところが、朝日は「それが問題の本質だ」というふうに今、すり替えているわけです。

 そうではなく、「従軍慰安婦」の本質的な問題とは、「強制連行」にあるわけです。朝日新聞が、この女性達は日本軍と日本の官憲によって強制連行されたと報じたことによってこの問題が作り上げられたのです。無理やり連れて行かれたのなら「拉致」であり、慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まぬ性交渉を強いられたのなら「強姦」ということです。日本が世界中で拉致、監禁、強姦をした国などと言われなき非難を浴びている根源がここにあります。それが朝日新聞の報道によってもたらされたことが問題の本質なのです。そこを反省するのかと思ったら、そうではなくて、問題をすり替えてきたのです。

 朝日にとって今一番悩ましいのはそうした日本や日本人を貶めてきた報道姿勢が満天下にバレかかっていることだろうと思う。そこで自称・山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治氏をめぐる記事だけ撤回して何とか批判をかわそうとしている。それが今回の特集記事なのだろうと思います。
この稿続く。