文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです

2020年08月18日 14時54分30秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」…狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろう

2020年08月18日 14時53分40秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい…朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが

2020年08月18日 14時52分37秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。

2020年08月18日 14時49分32秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されている…朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくない

2020年08月18日 14時47分06秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている

2020年08月18日 14時43分21秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 
 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね…そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い

2020年08月18日 14時41分10秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 
 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

朝日は、まったく説明しようとしない…高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、

2020年08月18日 14時38分17秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 
 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。

2020年08月18日 14時35分36秒 | 全般

「権力の監視役」への自己陶酔目立つ朝日記者

 櫻井 実は、朝日の慰安婦の二日に渡る記事が出る前に、国家基本問題研究所ではすべての全国紙に慰安婦、河野談話作成のプロセスの検証が不十分だという意見広告を出しました。いくつかのポイントを書いたのですが、その中で強制連行という間違った情報が独り歩きして、宮澤さんは九二年の一月の訪韓で八回謝った。朝日の誤報でこれが始まったと書いた。すると朝日新聞から広告代理店を通じて二つ質問が来ました。「宮澤が八回謝ったという確証はあるのか。資料はあるのか」というのが一つ。もう一つは「朝日の誤報と言うけれど、誤報の資料を示してほしい」という内容でした。

第一点については、朝日新聞の「時々刻々」というコラムで八回と朝日が報道しているんですね。ですから「おたくの記事ですよ」と回答しました。第二点は、これはもう山ほど証拠があるわけですから、その証拠を出しました。すると、それ以降、梨のつぶてになってしまいました。

 
 いろんなところで朝日は批判され、それが今回の慰安婦報道の検証につながったと思うのですが─広告をめぐるやりとりもそうでしたが─朝日は、まったく説明しようとしないのです。高飛車で、被害者の立場に自分たちを置く。この新聞に反省を求めることは、とても難しいのではないか。反省させる唯一の道は、読者が朝日を見限ってしまうことではないか。みんなが朝日と訣別するのがよいのではないかと思います。
 
 門田 朝日の記者と話すと、俺たちが権力を監視しなければいけないという、そういう意味の話をよくしますね。権力を監視する。これは確かにジャーナリズムの役割の一つでもあるので、それはそれで構わないのですが、朝日の場合、そういう自分に自己陶酔しているというか、酔っているような記者が非常に多い気がします。例えば彼らは民主党政権のときは権力を監視するどころか、もうべったりでしたし、結果的には日本と日本人を貶めることばかりやっていながら、自分の頭の中では、俺たちは権力と対峙している、監視していると頭の中を都合よく塗り替えている。そんな興味深い記者たちが多いですね。

自分達の責任と向き合っていない朝日

 櫻井 もうひとつ今回の特集記事で見逃せないことがあります。例えば朝日が報道して広げていった吉田清治の証言は国連のクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議の基本資料として引用されているのです。にもかかわらず、朝日には国際社会に日本の汚辱を広げたという自覚がまったくないのではないか。自分たちに重大な責任があるというような姿勢は見えませんね。
 
 今米国では国務省のサキ報道官が記者会見の席上、日本の慰安婦問題について言及し、日本を非難する出来事も起きています。議会の調査局は議会のために資料を用意し、その資料に基づいて下院が決議をするわけです。この議会調査局がまとめた基礎資料には、二〇万人強制連行、性奴隷、大部分を殺した、といったどこの国のいつの時代の話かと思うようなことが書かれています。議会調査局が偏見を持って集めたのではありません。彼らはありとあらゆる資料を集めて、それをまとめて議員に渡すわけです。それらの大本に朝日新聞の偏った、間違った報道が含まれている。ところが当の朝日は国際社会の対日批判と自分たちの報道は無関係であるかのように振る舞っている。阿比留さんがおっしゃったように、英文で全然発信していないのも、自分達の責任と向き合っていないからではないでしょうか。この問題は女性の権利侵害の問題だとすり替えてしまっています。
 
 私は朝日の今回の検証を、まず全文、間違いのないように英語や中国語、ハングルに訳し、海外に発信しないとおかしい。朝日は自ら国際社会に自社記事の間違いを発表すべきですが、それだけでは不十分です。ここは政府も情報発信に大いに力を入れなければならない局面です。
 
 阿比留 朝日の体質についてもう一言だけ。卑怯だという指摘に私も同感ですが、同時に現場クラスの記者を見ていると、基本的に彼らは慰安婦問題について不勉強で何もわかっていないといわざるを得ません。象徴的な出来事は第一次安倍政権のとき、慰安婦問題が大きな政治問題となって当時の安倍首相が「広義の強制性はともかく、狭義の強制性はなかった」という趣旨の発言をしたことがありました。これはもともと、朝日新聞が展開してきた論議や中央大学の吉見義明教授の主張などをわざと逆手にとって発言したものでした。ところが塩崎恭久官房長官の記者会見の場で朝日新聞の記者が質問に立ち怒ったような大声で「総理は狭義だの広義だの言っていますけど、意味がわかりません」と質問しはじめたのです。でも狭義だの広義だの言い出したのはあんたたちだろうと。
 
 櫻井 そもそも彼らがつくり出した区分けですね。
 
 阿比留 そう。ですから客観的に勉強した結果、自分が正しいと思うのではなく、アプリオリに自分たちは正義で正しいという前提から、ものを申すという感じです。
 
 門田 日韓関係が破壊され、将来的に大きな禍根を残したことは明らかですが、私は日中関係でも朝日の責任は大きいと思う。私は昭和六十年八月以前の日中関係と、それ以降の日中関係は、まったく異なったものになったと思っています。八五年の八月に何があったのか。戦後政治の総決算を掲げた当時の中曽根首相の靖国公式参拝を阻止すべく、朝日は大キャンペーンを張りました。そして、ついに人民日報が「靖国問題について日本の動きを注視している」という記事を出すのです。さらに八月十四日に正式にスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」といいだした。
 
 戦後ずっと続いてきた靖国神社への参拝が、あそこから問題にされ始めたのです。つまり、靖国問題が〝外交カード〟になった瞬間です。朝日新聞の「ご注進報道」によってそれ以降も、どんどん、この問題が大きくなってくるわけです。朝日の報道で外交関係が悪化したり、禍根がもたらされたのは日韓関係だけでなく、日中関係にもいえると思うのです。
 
 阿比留 南京事件にしてもこれを大きな騒ぎにしたのも朝日でした。本多勝一さんの『中国の旅』をはじめ、プロパガンダをずっと繰り返してきましたからね。おもしろいことに、朝日は靖国については後に狂ったように批判していますが、確か昭和二十六年十月の朝日の記事には、GHQで日本に来て米国に帰る青年がずうっと靖国参拝を続けており「自分は米国に帰るけれども、日本の友人に参拝をお願いして、御霊へ祈りを」といった話を大きく記事に取り上げています。朝日は初めから反靖国だったわけじゃないのです。途中からやっぱり何らかの意図があったのでしょう。
 
 門田 材料にできると思ったのではないでしょうか。
 
 櫻井 いわゆるA級戦犯合祀を念頭にしたのですね。日本の外交で反日的なところは中国と朝鮮半島です。この中国と朝鮮半島に反日の種を蒔いたのは朝日です。朝日新聞が本当に諸悪の根源になっています。
 
 門田 多くの中国人は決して反日ではなくて、やさしいのです。やさしくて人がよくて、私が経験している八〇年代の中国人は、非常に日本人のことが好きでやさしい存在だった。けれども、それが今、どんどん変わってきている。朝日新聞はそういう人たちの味方ではなく、必ず共産党独裁政権の味方なのです。
 
 櫻井 門田さんの御指摘はすごく大切だと私も思います。中国にはいろんな人たちがいます。日本をきちんと理解していて、人間的にも素晴らしい方がいるのです。実は国基研で日本研究賞を出しているのですが、初年度の今年、その特別賞に東工大の劉岸偉さんを選びました。この人は魯迅の実弟の周作人の研究をしている学者です。彼に記念講演をお願いしましたさい、彼は「日本研究をした中国人で日本を悪く言う人はいません」と語ったのです。これは日本を知っている人たちは、日本のよさをきちんと理解することができるということでしょう。ほんとに大事なことを言ってくださったと思います。本当に日本をきちんと見ている人たちは、日本を嫌いになるはずがないし、なっていないのです。
 
 朝日新聞に反日的な意識を掻き立てられた中国人ではなく、中国の底辺に必ずいる誠実で、事実を事実として見ることができる人たち、今の共産党支配におかしいと思って異を唱えている民主化のリーダーの人たち、民主化に傾いている若い世代たちとの交流をしっかりとやっていかなければいけないと思いますね。
 
 門田 真の日中友好というのは朝日新聞〝廃刊〟から始まるということですね。
 

They don't want their mistakes to be known as much as possible.

2020年08月18日 14時33分10秒 | 全般

Comfort women, the Yoshida Report...the cardinal sin of anti-Japanese reporting that has not gone away
Sound Argument Monthly, October 2014
URGENT DISCUSSION
Journalist Yoshiko Sakurai
Journalist Kadota Ryusho
Rui Abiru, Editor, Sankei Shimbun Political Science Department
It is true that not only the people of Japan but also people worldwide, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
An enormous amount of well-founded criticism is "unfounded criticism"...
Abiru: Mr. Sugiura, who has just come up for discussion, wrote the following on his front page.
'There have been unfounded criticism in some circles and on the Internet that the comfort women issue is a fabrication by the Asahi Shimbun.'
There is more than enough evidence and reason to believe that it is unfounded. Nevertheless, the Asahi wrote as if they were the victims. And they wrote that they were going to retract the article about Mr. Yoshida Seiji, but they wrote it in small print on the inside page and nothing on the front page. There is no headline. It seems to me that they wanted to cover up the story from the beginning.
Kadota: It is not Asahi that is receiving unfounded criticism, but the Japanese. Statues of comfort women have been erected around the world, and condemnation resolutions are being discussed in parliaments all over the world.
I wondered how the Asahi Shimbun would answer here, but on the contrary, it became defiant.
Sakurai: 'Unfounded criticism' means that I am surprised that you insist so much. 
It is precisely the problem that the Asahi Shimbun fabricated, first of all, being moved forcibly and secondly, linking the Women's Volunteer Corps and the comfort women, which are two very different things. The Women's Volunteer Corps women were moved forcibly is shocking to the world, and the Asahi Shimbun was the flag bearer.
Imagine the reality of 'Volunteer Corps = Comfort Women,' which is a tremendous thing.
The Japanese military forcibly took girls who may or may not have graduated from elementary school to young women in their early 20s and turned them into " military comfort women," according to the Asahi newspaper.
Writing this kind of thing would enrage South Korean public opinion.
It would be strange for the Koreans not to be angry, and it's natural for them to be angry. Between Japan and South Korea, which could have been better, it was severely damaged.  In that sense, Asahi needs to apologize to the Korean people as well.
Abiru: Asahi admitted to conflating comfort women and Volunteer Corps, but wrote that this was unreasonable and that there was little research. But that's not right.
You could ask your parents or grandparents, "What was the Volunteer Corps?" It's the kind of thing you can easily find out if you ask.
Kadota: It's common sense, you know because it is already at the level of a common reason for the female volunteer corps.
How on earth did they evaluate the information in "selling oneself for prostitutes"?
Sakurai: The feature article on Uemura's report says, 'We have discovered that there was a factual error in one part of the article,' and 'We regret the lack of corroborative reporting. 
However, this is not the kind of story that can be put to rest with insufficient reporting.
In Uemura's August 11, 1991, article, the woman's name was withheld. But three days later, in Seoul on August 14, she gave her real name, Kim Hak-sun
, at a press conference, where she reveals, "My parents sold me for ¥40." "I was sold by my stepfather three years later. When I was 17," she said.
She later filed a lawsuit against the Japanese government, and in her complaint, she clearly states that she was sold to Kisaeng because of her poverty.  It is the kind of statement that the Uemura reporter must have seen. I wonder how he would have assessed this critical piece of information that she was sold by her parents, even though he wrote a lot about it in his feature article.
On December 25, 1991, after the lawsuit was filed, Uemura wrote a widely reported interview with Kim.
In that article, Uemura did not write that she was sold out because of her poverty.
Looking closely at the context, I think it's safe to say that Uemura intentionally dropped the information that Kim was sold out.
The same is true of the Volunteer Corps.
He did not report the critical information that the Volunteer Corps had nothing to do with the comfort women.
That's how it has to be said.
Abiru: I'd like to say a word about this. In the Asahi special report, it is stated that there was no mention of "being sold to Kisaeng" in the tape that Mr. Uemura heard.  Even if this were true, Uemura's article in August 1991 states that he was "taken to the battlefield in the name of the volunteer corps." 
So, did Mr. Uemura hear on the tape that she was taken to the battlefield in the name of the volunteer corps? 
Probably not. 
I would have to say that there was a fabrication, after all. If this is not a fabrication, I don't know what it is. Asahi's feature article does not make that clear.
The expression "being moved forcibly" has been changed one after another in the Asahi editorial.
Kadota: In the particular feature, it is mentioned that the Seoul Bureau Chief initially provided the information, but I wonder why did Mr. Uemura of the Osaka Social Affairs Department take the trouble to travel overseas to cover the story in Seoul? It's different from a domestic business trip. It's unreasonable to expect us to believe that he didn't have a special relationship with his mother-in-law.
Sakurai: I have my doubts about that, too. It's an exclusive news story, isn't it? From a journalist's point of view, it's unthinkable for a reporter to hand over the Seoul Bureau Chief's exclusive story to another reporter. The feature article about Mr. Uemura says that he "did not use his relationship with his mother-in-law to obtain any special information." Still, the article he wrote was favorable to his mother-in-law's claims. With that in mind, the question of why he didn't write the information about being "sold by his parents" and why he wrote the article linking it to Volunteer Corps comes up even more strongly.  There is no explanation of these points in the feature article.
Kadota: I think Asahi understands that being moved forcibly is the root of the problem. Is there being moved forcibly or not? It is the crux of Sex Slaves. As long as they are called "sex slaves," they must be forced to take a woman where she doesn't want to go, or confine her, or force her to have sex with someone she doesn't like by rape.
Without 'being moved forcibly,' it would not be 'sex slave' at all.
If that collapses, it will be 'What was the Asahi Shimbun's coverage so far?'
If there was no being moved forcibly, then I think the Asahi Shimbun would disappear.
So I think they're still trying desperately to defend this place and even haven't lowered the flag that there was a compulsion to do so.
The feature article does not include much in the way of live testimony from Mr. Uemura himself or the Seoul Bureau Chief. On the other hand, this kind of summary reflects Asahi's intention to settle the situation somehow and get through it.
Abiru: Looking at the Asahi editorial, around 1992, the article treated "being moved forcibly" as a specific premise. However, as being moved forcibly became more and more suspicious, the editorial regressed to 'being moved forcibly must have existed.' Eventually, they began to write that 'being moved forcibly' didn't matter, and finally, the term 'being moved forcibly' itself is no longer used these days.
Sakurai: It became coercion.
Abiru: This was a misrepresentation. I also think it is a taunt of Asahi's readers. They don't try to tell the truth. It has dramatically inconvenienced the people of Japan, but I think it's a genuinely insincere response.
The Fatal Logical Fallacy of the Verified Article on the Asahi Comfort Women Report
Sakurai: So that's precisely what Asahi's 'lowly skill' is.
The Asahi's verification article on the comfort women is also very cunning.
Let's take a look at the article on the front page of the morning edition of January 11, 1992, titled "Material showing military involvement in comfort stations.
In the verification, Asahi stressed that it was not intended to make a political issue out of the article by reporting it just before "Prime Minister Kiichi Miyazawa's visit to South Korea." However, the timing was right before the visit. I still remember it. The headline on the front page was a big, black one: "Military Involvement Materials Found.
Abiru: There were six headlines on the front page.
Kadota: That was quite a sight.
Abiru: Normally, you don't get articles that big.
Sakurai: However, when I read the "military involvement" article carefully, I found that it was about things like making people aware of hygiene and cracking down on bad businesses.
Abiru: As Mr. Nishioka Tsutomu often says, it was "benevolent involvement.
Sakurai: Mr. Ikuhiko Hata also said, "This is good involvement. Without this kind of commitment, the comfort station could not have been managed. However, when we look at the actual paper, the way it's written seems to overlap with the image of that involvement in the forced removals.
Abiru: That's right. On the bottom of the front page of that day, it says, "Military comfort women, mostly Korean women, said to number between 80,000 and 200,000...were forcibly taken away in the name of the Women's Volunteer Corps. There are three or four errors in the short, little-ten-line manuscript.
Sakurai: But the verification says that the government was aware of the existence of the documents before Asahi's report, so it wasn't the first time Asahi informed the government that the military was involved, and therefore the Japanese government knew that such documents existed, so it's not Asahi's fault that Mr. Miyazawa went to South Korea and apologized eight times for being upset about it.
It is a really cunning way to get away with it.
Abiru: The documents from the Cabinet's Foreign Policy Council at the time say that the Asahi report caused an uproar that it was as if someone had stirred up a hornet's nest.
Perhaps some people in the government grasped such documents as a matter of course.
But there is no doubt that the way the Asahi article wrote caused a great deal of commotion.
Sakurai: About Mr. Yoshida Seiji, who claimed to have done the "Forced Removal on Jeju Island," Asahi wrote that they could not corroborate his testimony in Jeju Island and said that they had no proof that Yoshida was false.
The Asahi Shimbun says, "That's why we marked it as unverifiable.
But the fact that none of the locals say "that happened" about Yoshida Seiji's testimony is proof that Yoshida Seiji's testimony is not true.
It may not have said, "What Yoshida Seiji said is a lie," but it said that there was no such thing as "a woman was taken, or a truck came and snatched 200 people by force.
That means that what Yoshida Seiji wrote did not exist, so it is false.
But here again, Asahi made a very painful excuse: "There was no proof that Yoshida Seiji's testimony was false at that time.
On the other hand, they have now concluded that the testimony is false, and they are retracting the article. So when did the Asahi determine that it was fake? 
If it wasn't this August 5, how many years ago was it, how many decades ago was it, and what were they doing in the meantime?
There is no mention of it at all, and I have no idea.
Abiru: What's more, what's cunning about this article is that they wrote at least 16 articles and said they were going to rescind them, but which articles exactly are they canceling? There's almost no mention of which articles they're taking down. What kind of reporting have they done? What do they rescind, and what do they leave out? So they're secretly taking back articles in a way that the current readers don't understand.
Sakurai: They don't want their mistakes to be known as much as possible. I can see how they want to hide it as much as possible.
Kadota: One of the characteristics of the Asahi Shimbun is that they do their best to write about things that can be said to be the fault of Japan alone, but when it comes to the case of the 122 comfort women who filed a lawsuit against the South Korean government on June 25 against the U.S. military, for example - and I think this is a huge deal - they didn't do much about it.
There have been comforting women in various countries' militaries throughout history. In fact, they have existed in all ages and places, even to the point that the Crusaders were accompanied by a unit of prostitutes in the old days. The Asahi Shimbun has been reporting on this, leading its readers to believe that it is unique to Japan and that only Japan is to blame.
Abiru: However, in this feature article, Asahi has made a fatal logical error. What is it? They have written in their editorials that even if similar cases had occurred in other countries, Japan would not be allowed to get away with it just because other countries had not apologized. But this time, in the column titled "What about the reports in other newspapers?" they went out of their way to list all the reports in other newspapers, trying to say, "It's not just us.
Kadota: But in this special edition, they say, "It's not just me," don't they?
Abiru: That's right. It's like saying in an editorial that "the theory of 'It's not just me' is incomprehensible," but then saying, "It's not just me" when it comes to their own mistakes.

 


The Asahi's verification article on the comfort women is also very cunning.

2020年08月18日 14時31分19秒 | 全般

Comfort women, the Yoshida Report...the cardinal sin of anti-Japanese reporting that has not gone away
Sound Argument Monthly, October 2014
URGENT DISCUSSION
Journalist Yoshiko Sakurai
Journalist Kadota Ryusho
Rui Abiru, Editor, Sankei Shimbun Political Science Department
It is true that not only the people of Japan but also people worldwide, especially those involved in the UN, need to know.
It is a truth that Hillary Clinton especially needs to know.
An enormous amount of well-founded criticism is "unfounded criticism"...
Abiru: Mr. Sugiura, who has just come up for discussion, wrote the following on his front page.
'There have been unfounded criticism in some circles and on the Internet that the comfort women issue is a fabrication by the Asahi Shimbun.'
There is more than enough evidence and reason to believe that it is unfounded. Nevertheless, the Asahi wrote as if they were the victims. And they wrote that they were going to retract the article about Mr. Yoshida Seiji, but they wrote it in small print on the inside page and nothing on the front page. There is no headline. It seems to me that they wanted to cover up the story from the beginning.
Kadota: It is not Asahi that is receiving unfounded criticism, but the Japanese. Statues of comfort women have been erected around the world, and condemnation resolutions are being discussed in parliaments all over the world.
I wondered how the Asahi Shimbun would answer here, but on the contrary, it became defiant.
Sakurai: 'Unfounded criticism' means that I am surprised that you insist so much. 
It is precisely the problem that the Asahi Shimbun fabricated, first of all, being moved forcibly and secondly, linking the Women's Volunteer Corps and the comfort women, which are two very different things. The Women's Volunteer Corps women were moved forcibly is shocking to the world, and the Asahi Shimbun was the flag bearer.
Imagine the reality of 'Volunteer Corps = Comfort Women,' which is a tremendous thing.
The Japanese military forcibly took girls who may or may not have graduated from elementary school to young women in their early 20s and turned them into " military comfort women," according to the Asahi newspaper.
Writing this kind of thing would enrage South Korean public opinion.
It would be strange for the Koreans not to be angry, and it's natural for them to be angry. Between Japan and South Korea, which could have been better, it was severely damaged.  In that sense, Asahi needs to apologize to the Korean people as well.
Abiru: Asahi admitted to conflating comfort women and Volunteer Corps, but wrote that this was unreasonable and that there was little research. But that's not right.
You could ask your parents or grandparents, "What was the Volunteer Corps?" It's the kind of thing you can easily find out if you ask.
Kadota: It's common sense, you know because it is already at the level of a common reason for the female volunteer corps.
How on earth did they evaluate the information in "selling oneself for prostitutes"?
Sakurai: The feature article on Uemura's report says, 'We have discovered that there was a factual error in one part of the article,' and 'We regret the lack of corroborative reporting. 
However, this is not the kind of story that can be put to rest with insufficient reporting.
In Uemura's August 11, 1991, article, the woman's name was withheld. But three days later, in Seoul on August 14, she gave her real name, Kim Hak-sun
, at a press conference, where she reveals, "My parents sold me for ¥40." "I was sold by my stepfather three years later. When I was 17," she said.
She later filed a lawsuit against the Japanese government, and in her complaint, she clearly states that she was sold to Kisaeng because of her poverty.  It is the kind of statement that the Uemura reporter must have seen. I wonder how he would have assessed this critical piece of information that she was sold by her parents, even though he wrote a lot about it in his feature article.
On December 25, 1991, after the lawsuit was filed, Uemura wrote a widely reported interview with Kim.
In that article, Uemura did not write that she was sold out because of her poverty.
Looking closely at the context, I think it's safe to say that Uemura intentionally dropped the information that Kim was sold out.
The same is true of the Volunteer Corps.
He did not report the critical information that the Volunteer Corps had nothing to do with the comfort women.
That's how it has to be said.
Abiru: I'd like to say a word about this. In the Asahi special report, it is stated that there was no mention of "being sold to Kisaeng" in the tape that Mr. Uemura heard.  Even if this were true, Uemura's article in August 1991 states that he was "taken to the battlefield in the name of the volunteer corps." 
So, did Mr. Uemura hear on the tape that she was taken to the battlefield in the name of the volunteer corps? 
Probably not. 
I would have to say that there was a fabrication, after all. If this is not a fabrication, I don't know what it is. Asahi's feature article does not make that clear.
The expression "being moved forcibly" has been changed one after another in the Asahi editorial.
Kadota: In the particular feature, it is mentioned that the Seoul Bureau Chief initially provided the information, but I wonder why did Mr. Uemura of the Osaka Social Affairs Department take the trouble to travel overseas to cover the story in Seoul? It's different from a domestic business trip. It's unreasonable to expect us to believe that he didn't have a special relationship with his mother-in-law.
Sakurai: I have my doubts about that, too. It's an exclusive news story, isn't it? From a journalist's point of view, it's unthinkable for a reporter to hand over the Seoul Bureau Chief's exclusive story to another reporter. The feature article about Mr. Uemura says that he "did not use his relationship with his mother-in-law to obtain any special information." Still, the article he wrote was favorable to his mother-in-law's claims. With that in mind, the question of why he didn't write the information about being "sold by his parents" and why he wrote the article linking it to Volunteer Corps comes up even more strongly.  There is no explanation of these points in the feature article.
Kadota: I think Asahi understands that being moved forcibly is the root of the problem. Is there being moved forcibly or not? It is the crux of Sex Slaves. As long as they are called "sex slaves," they must be forced to take a woman where she doesn't want to go, or confine her, or force her to have sex with someone she doesn't like by rape.
Without 'being moved forcibly,' it would not be 'sex slave' at all.
If that collapses, it will be 'What was the Asahi Shimbun's coverage so far?'
If there was no being moved forcibly, then I think the Asahi Shimbun would disappear.
So I think they're still trying desperately to defend this place and even haven't lowered the flag that there was a compulsion to do so.
The feature article does not include much in the way of live testimony from Mr. Uemura himself or the Seoul Bureau Chief. On the other hand, this kind of summary reflects Asahi's intention to settle the situation somehow and get through it.
Abiru: Looking at the Asahi editorial, around 1992, the article treated "being moved forcibly" as a specific premise. However, as being moved forcibly became more and more suspicious, the editorial regressed to 'being moved forcibly must have existed.' Eventually, they began to write that 'being moved forcibly' didn't matter, and finally, the term 'being moved forcibly' itself is no longer used these days.
Sakurai: It became coercion.
Abiru: This was a misrepresentation. I also think it is a taunt of Asahi's readers. They don't try to tell the truth. It has dramatically inconvenienced the people of Japan, but I think it's a genuinely insincere response.
The Fatal Logical Fallacy of the Verified Article on the Asahi Comfort Women Report
Sakurai: So that's precisely what Asahi's 'lowly skill' is.
The Asahi's verification article on the comfort women is also very cunning.
Let's take a look at the article on the front page of the morning edition of January 11, 1992, titled "Material showing military involvement in comfort stations.
In the verification, Asahi stressed that it was not intended to make a political issue out of the article by reporting it just before "Prime Minister Kiichi Miyazawa's visit to South Korea." However, the timing was right before the visit. I still remember it. The headline on the front page was a big, black one: "Military Involvement Materials Found.
Abiru: There were six headlines on the front page.
Kadota: That was quite a sight.
Abiru: Normally, you don't get articles that big.
Sakurai: However, when I read the "military involvement" article carefully, I found that it was about things like making people aware of hygiene and cracking down on bad businesses.
Abiru: As Mr. Nishioka Tsutomu often says, it was "benevolent involvement.
Sakurai: Mr. Ikuhiko Hata also said, "This is good involvement. Without this kind of commitment, the comfort station could not have been managed. However, when we look at the actual paper, the way it's written seems to overlap with the image of that involvement in the forced removals.
Abiru: That's right. On the bottom of the front page of that day, it says, "Military comfort women, mostly Korean women, said to number between 80,000 and 200,000...were forcibly taken away in the name of the Women's Volunteer Corps. There are three or four errors in the short, little-ten-line manuscript.
Sakurai: But the verification says that the government was aware of the existence of the documents before Asahi's report, so it wasn't the first time Asahi informed the government that the military was involved, and therefore the Japanese government knew that such documents existed, so it's not Asahi's fault that Mr. Miyazawa went to South Korea and apologized eight times for being upset about it.
It is a really cunning way to get away with it.
Abiru: The documents from the Cabinet's Foreign Policy Council at the time say that the Asahi report caused an uproar that it was as if someone had stirred up a hornet's nest.
Perhaps some people in the government grasped such documents as a matter of course.
But there is no doubt that the way the Asahi article wrote caused a great deal of commotion.
Sakurai: About Mr. Yoshida Seiji, who claimed to have done the "Forced Removal on Jeju Island," Asahi wrote that they could not corroborate his testimony in Jeju Island and said that they had no proof that Yoshida was false.
The Asahi Shimbun says, "That's why we marked it as unverifiable.
But the fact that none of the locals say "that happened" about Yoshida Seiji's testimony is proof that Yoshida Seiji's testimony is not true.
It may not have said, "What Yoshida Seiji said is a lie," but it said that there was no such thing as "a woman was taken, or a truck came and snatched 200 people by force.
That means that what Yoshida Seiji wrote did not exist, so it is false.
But here again, Asahi made a very painful excuse: "There was no proof that Yoshida Seiji's testimony was false at that time.
On the other hand, they have now concluded that the testimony is false, and they are retracting the article. So when did the Asahi determine that it was fake? 
If it wasn't this August 5, how many years ago was it, how many decades ago was it, and what were they doing in the meantime?
There is no mention of it at all, and I have no idea.
Abiru: What's more, what's cunning about this article is that they wrote at least 16 articles and said they were going to rescind them, but which articles exactly are they canceling? There's almost no mention of which articles they're taking down. What kind of reporting have they done? What do they rescind, and what do they leave out? So they're secretly taking back articles in a way that the current readers don't understand.
Sakurai: They don't want their mistakes to be known as much as possible. I can see how they want to hide it as much as possible.
Kadota: One of the characteristics of the Asahi Shimbun is that they do their best to write about things that can be said to be the fault of Japan alone, but when it comes to the case of the 122 comfort women who filed a lawsuit against the South Korean government on June 25 against the U.S. military, for example - and I think this is a huge deal - they didn't do much about it.
There have been comforting women in various countries' militaries throughout history. In fact, they have existed in all ages and places, even to the point that the Crusaders were accompanied by a unit of prostitutes in the old days. The Asahi Shimbun has been reporting on this, leading its readers to believe that it is unique to Japan and that only Japan is to blame.
Abiru: However, in this feature article, Asahi has made a fatal logical error. What is it? They have written in their editorials that even if similar cases had occurred in other countries, Japan would not be allowed to get away with it just because other countries had not apologized. But this time, in the column titled "What about the reports in other newspapers?" they went out of their way to list all the reports in other newspapers, trying to say, "It's not just us.
Kadota: But in this special edition, they say, "It's not just me," don't they?
Abiru: That's right. It's like saying in an editorial that "the theory of 'It's not just me' is incomprehensible," but then saying, "It's not just me" when it comes to their own mistakes.

 


loppujen lopuksi tapahtui keksintö. Jos tämä ei ole valmistus, en tiedä mikä se on

2020年08月18日 14時23分50秒 | 全般

Mukavuusnaiset, Yoshidan raportti ... japanilaisten vastaisten raporttien kardinaali synti, joka ei ole poistunut
Ääniargumentti kuukausittain, lokakuu 2014
Kiireellinen keskustelu
Toimittaja Yoshiko Sakurai
Toimittaja Kadota Ryusho
Rui Abiru, päätoimittaja, Sankei Shimbun -politiikan laitos
On totta, että ei vain japanilaisten, vaan myös kaikkien maailman kansalaisten, etenkin YK: n jäsenten, on tiedettävä.
On totta, että Hillary Clintonin on erityisesti tiedettävä.
Valtava määrä perusteltua kritiikkiä on "perusteetonta kritiikkiä" ...
Abiru: Äskettäin keskusteluun käynyt herra Sugiura kirjoitti seuraavan etusivulleen.
"Joissakin piireissä ja Internetissä on kritisoitu perusteettomasti sitä, että naisten antama mukavuus on Asahi Shimbunin keksintö."
On enemmän kuin tarpeeksi näyttöä ja syytä uskoa sen olevan perusteeton. Siitä huolimatta Asahi kirjoitti ikään kuin he olisivat uhreja. Ja he kirjoittivat aikovansa vetää pois artikkelin herra Yoshida Seijistä, mutta he kirjoittivat sen pienimuotoisina sisäsivulle eikä mitään etusivulle. Ei otsikkoa. Minusta näyttää siltä, ​​että he halusivat peittää tarinan alusta alkaen.
Kadota: Asahi ei saa perusteetonta kritiikkiä, vaan japanilainen. Naisten mukavuuspatsaita on pystytetty ympäri maailmaa, ja tuomitsevista päätöslauselmista keskustellaan parlamenteissa ympäri maailmaa.
Mietin kuinka Asahi Shimbun vastaa tähän, mutta päinvastoin, siitä tuli uhkarikas.
Sakurai: 'perusteeton kritiikki' tarkoittaa sitä, että olen yllättynyt siitä, että vaadit niin paljon.
Juuri ongelma on, että Asahi Shimbun valmisti ensinnäkin liikkumista pakkosiirtämällä ja toiseksi yhdistämällä naisten vapaaehtoisjoukot ja mukavuusnaiset, jotka ovat kaksi hyvin erilaista asiaa. Naisten vapaaehtoisjoukon naiset siirrettiin väkivaltaisesti järkyttävään maailmalle, ja Asahi Shimbun oli lipunkantaja.
Kuvittele todellisuus 'Vapaaehtoisjoukot = mukavat naiset', mikä on valtava asia.
Japanin armeija vei pakkosiirtämällä tyttöjä, jotka saattoivat olla valmistuneet peruskoulusta, nuoriin naisiin 20-luvun alkupuolella ja muutti heistä "armeijan mukavuusnaisia", sanoo Asahi.
Tällaisen asian kirjoittaminen raivostaisi Etelä-Korean yleistä mielipidettä.
Olisi outoa, että korealaiset eivät olisi vihaisia, ja on luonnollista, että he ovat vihaisia. Japanin ja Etelä-Korean välillä, joka olisi voinut olla parempi, se oli vakavasti vaurioitunut. Tässä mielessä Asahin on anteeksi myös Korean kansalaisilta.
Abiru: Asahi myönsi sekoittavansa mukavuusnaisia ​​ja vapaaehtoisjoukkoja, mutta kirjoitti, että tämä oli kohtuutonta ja että tutkimusta oli vähän. Mutta se ei ole totta.
Voit kysyä vanhemmiltasi tai isovanhemmistasi: "Mikä oli vapaaehtoisjoukko?" Se on sellainen asia, jonka voit helposti löytää, jos kysyt.
Kadota: On järkevää, tiedätte, koska se on jo naispuolisten vapaaehtoisjoukkojen yhteisen syyn tasolla.
Kuinka maan päällä he arvioivat tietoja "myyessään prostituutioita"?
Sakurai: Uemuran raportin ominaisuusartikkelissa sanotaan: "Olemme huomanneet, että artikkelin yhdessä osassa oli tosiasiallinen virhe" ja "Pahoittelemme vahvistusraportoinnin puuttumista.
Tämä ei kuitenkaan ole sellainen tarina, joka voidaan levätä riittämättömän raportoinnin avulla.
Uemuran 11. elokuuta 1991 päivätyssä artikkelissa naisen nimi kiellettiin. Mutta kolme päivää myöhemmin, Soulissa 14. elokuuta, hän antoi todellisen nimensä, Kim Hak-sun
, lehdistötilaisuudessa, jossa hän paljastaa: "Vanhempani myivät minut 40 ¥: n hintaan." "Äitipuoli myi minua kolme vuotta myöhemmin. Kun olin 17-vuotias", hän sanoi.
Myöhemmin hän nosti oikeusjutun Japanin hallitusta vastaan, ja kantelussaan hän ilmoittaa selvästi, että hän myytiin Kisaengille köyhyyden vuoksi. Se on sellainen lausunto, jonka Uemura-toimittajan on pitänyt nähdä. Ihmettelen, kuinka hän olisi arvioinut tätä vanhempiensa myymää kriittistä tietoa, vaikka hän kirjoitti siitä paljon omia artikkeleitaan.
Umura kirjoitti 25. joulukuuta 1991 oikeudenkäynnin jälkeen laajalti ilmoitetun haastattelun Kimin kanssa.
Tuossa artikkelissa Uemura ei kirjoittanut, että hänet myytiin köyhyyden vuoksi.
Kun tarkastellaan tarkasti asiayhteyttä, mielestäni on turvallista sanoa, että Uemura tarkoituksella pudotti tiedot siitä, että Kim oli myyty.
Sama pätee vapaaehtoisjoukkoihin.
Hän ei ilmoittanut kriittisiä tietoja siitä, että vapaaehtoisjoukolla ei ollut mitään tekemistä mukavuusnaisten kanssa.
Näin se on sanottava.
Abiru: Haluaisin sanoa sanan tästä. Asahi-erityiskertomuksessa todetaan, että Uemuran kuulemassa nauhassa ei ollut mainintaa "myydä Kisaengille". Vaikka tämä olisi totta, Uemuran elokuussa 1991 julkaistussa artikkelissa todetaan, että hänet vietiin taistelukentälle vapaaehtoisjoukkojen nimissä.
Joten kuuliko herra Uemura nauhalta, että hänet vietiin taistelukentälle vapaaehtoisjoukon nimissä?
Luultavasti ei.

Minun on sanottava, että loppujen lopuksi tapahtui keksintö. Jos tämä ei ole valmistus, en tiedä mikä se on. Asahi-artikkeli ei tee sitä selväksi.
Ilmaisu "siirretään väkisin" on muutettu yksi toisensa jälkeen Asahi-toimituksessa.
Kadota: Erityisessä piirteessä mainitaan, että Soulin toimiston päällikkö toimitti alun perin tiedot, mutta ihmettelen, miksi Osakan sosiaaliasioiden osaston päällikkö Uemura vaikeutti matkustamista ulkomaille katsomaan tarinaa Soulissa? Se eroaa kotimaan liikematkasta. On kohtuutonta odottaa meidän uskovan, ettei hänellä ollut erityisiä suhteita äitiinsä.
Sakurai: Epäilen myös siitä. Se on ainutlaatuinen uutistarina, eikö niin? Toimittajan kannalta on mahdotonta ajatella, että toimittaja luovuttaisi Soulin toimiston päällikön yksinoikeuden toiselle toimittajalle. Mr. Uemuraa käsittelevä artikkeli sanoo, että hän "ei käyttänyt suhteitaan anoppiinsa saadakseen mitään erityistä tietoa". Silti hänen kirjoittamansa artikkeli suosi äitinsä väitteitä. Tätä silmällä pitäen kysymys, miksi hän ei kirjoittanut tietoja "vanhempiensa myymistä" ja miksi hän kirjoitti artikkelin, joka linkitti sen vapaaehtoisjoukkoihin, nousee entistä voimakkaammin esiin. Ominaisuusartikkelissa ei ole selitystä näistä kohdista.
Kadota: Luulen, että Asahi ymmärtää, että pakkosiirto on ongelman syy. Siirtyykö sitä väkisin vai ei? Se on seksiorjien ydin. Niin kauan kuin heitä kutsutaan "seksiorjiksi", heidät on pakotettava ottamaan nainen sinne, missä hän ei halua mennä, tai rajoitettava hänet, tai pakotettava hänet harrastamaan seksiä sellaisen kanssa, joka ei pidä raiskauksesta.
Ilman 'liikuttamista väkisin' se ei olisi ollenkaan 'seksiorja'.
Jos tämä romahtaa, siitä tulee 'Mikä oli Asahi Shimbunin kattavuus toistaiseksi?'
Jos ketään ei siirretä väkisin, niin Asahi Shimbun mielestäni katoaisi.
Joten luulen, että he yrittävät edelleen epätoivoisesti puolustaa tätä paikkaa eivätkä ole edes laskeneet lippua, että pakko on niin.
Ominaisuusartikkeli ei sisällä paljoakaan todistuksista, jotka ovat herra Uemura itse tai Soulin toimiston päällikkö. Toisaalta tällainen yhteenveto kuvastaa Asahin aikomusta ratkaista tilanne jollain tavalla ja saada se läpi.
Abiru: Tarkasteltaessa Asahi-toimitusta vuoden 1992 ympäristössä artikkeli käsitti "pakkosiirtämisen" erityiseksi lähtökohdaksi. Kuitenkin kun pakkosiirto muuttui yhä epäilyttävämmäksi, toimitukselle takaisinotettiin, että 'pakkosiirtämisen on täytynyt olla olemassa. Lopulta he alkoivat kirjoittaa, että 'pakkosiirtämisellä' ei ollut merkitystä, ja lopulta itse termiä 'pakkosiirtoon' ei enää käytetä nykyään.
Sakurai: Siitä tuli pakko.
Abiru: Tämä oli harhaanjohtava esitys. Mielestäni se on myös Asahin lukijoiden kiusallista. He eivät yritä kertoa totuutta. Se on aiheuttanut dramaattisesti Japanin kansalaisille haittaa, mutta mielestäni se on aivan väärä vastaus.
Tämä artikkeli jatkuu.


Rốt cuộc là có sự bịa đặt. Nếu đây không phải là bịa đặt, tôi không biết nó là gì

2020年08月18日 14時22分26秒 | 全般

Phụ nữ an ủi, Báo cáo của Yoshida ... tội lỗi lớn của báo cáo chống Nhật Bản vẫn chưa biến mất
Sound Argument Hàng tháng, tháng 10 năm 2014
TIỂU LUẬN URGENT
Nhà báo Yoshiko Sakurai
Nhà báo Kadota Ryusho
Rui Abiru, Biên tập viên, Phòng Khoa học Chính trị Sankei Shimbun
Đó là sự thật mà không chỉ người dân Nhật Bản mà người dân trên toàn thế giới, đặc biệt là những người có liên quan đến LHQ đều cần biết.
Đó là một sự thật mà Hillary Clinton đặc biệt cần biết.
Một lượng lớn những lời chỉ trích có cơ sở là "những lời chỉ trích vô căn cứ" ...
Abiru: Ông Sugiura, người vừa đưa ra thảo luận, đã viết những điều sau trên trang nhất của mình.
'Đã có những lời chỉ trích vô căn cứ trong một số vòng kết nối và trên Internet rằng vấn đề phụ nữ thoải mái là điều bịa đặt của tờ Asahi Shimbun.'
Có quá đủ bằng chứng và lý do để tin rằng điều đó là vô căn cứ. Tuy nhiên, Asahi đã viết như thể họ là nạn nhân. Và họ viết rằng họ sẽ rút lại bài báo về ông Yoshida Seiji, nhưng họ viết nó bằng chữ in nhỏ ở trang trong và không có gì ở trang nhất. Không có tiêu đề. Đối với tôi, dường như ngay từ đầu họ đã muốn che đậy câu chuyện.
Kadota: Không phải Asahi đang nhận những lời chỉ trích vô căn cứ, mà là người Nhật. Những bức tượng về phụ nữ thoải mái đã được dựng lên trên khắp thế giới, và các nghị quyết lên án đang được thảo luận tại các quốc hội trên toàn thế giới.
Tôi tự hỏi Asahi Shimbun sẽ trả lời như thế nào ở đây, nhưng ngược lại, nó trở nên thách thức.
Sakurai: 'Lời chỉ trích vô căn cứ' có nghĩa là tôi ngạc nhiên khi bạn nhấn mạnh nhiều như vậy.
Đó chính xác là vấn đề mà Asahi Shimbun đã đặt ra, trước hết là bị cưỡng bức di chuyển và thứ hai, liên kết Quân đoàn tình nguyện nữ và những người phụ nữ thoải mái, đó là hai thứ rất khác nhau. Những người phụ nữ của Quân đoàn Tình nguyện Nữ bị cưỡng bức đã gây sốc cho thế giới, và Asahi Shimbun là người cầm cờ.
Hãy tưởng tượng thực tế của 'Quân đoàn tình nguyện = Phụ nữ thoải mái', đó là một điều to lớn.
Theo báo Asahi, quân đội Nhật Bản đã cưỡng bức các cô gái chưa tốt nghiệp tiểu học hoặc có thể chưa tốt nghiệp tiểu học ở độ tuổi 20 và biến họ thành "những phụ nữ thoải mái trong quân đội".
Viết kiểu này sẽ khiến dư luận Hàn Quốc phẫn nộ.
Sẽ là lạ nếu người Hàn Quốc không tức giận, và họ tức giận là điều đương nhiên. Giữa Nhật Bản và Hàn Quốc, có thể tốt hơn, nó đã bị thiệt hại nghiêm trọng. Theo nghĩa đó, Asahi cũng cần phải xin lỗi người dân Hàn Quốc.
Abiru: Asahi thừa nhận đã liên kết phụ nữ thoải mái và Quân đoàn tình nguyện, nhưng viết rằng điều này là không hợp lý và có rất ít nghiên cứu. Nhưng điều đó không đúng.
Bạn có thể hỏi cha mẹ hoặc ông bà của mình, "Quân đoàn tình nguyện là gì?" Đó là thứ bạn có thể dễ dàng tìm ra nếu bạn hỏi.
Kadota: Đó là lẽ thường, bạn biết đấy bởi vì nó đã ở mức độ là một lý do phổ biến cho quân đoàn tình nguyện nữ.
Làm thế quái nào mà họ lại đánh giá thông tin trong vụ "bán thân cho gái mại dâm"?
Sakurai: Bài báo trên báo cáo của Uemura nói, 'Chúng tôi đã phát hiện ra rằng có một sai sót thực tế trong một phần của bài báo,' và 'Chúng tôi rất tiếc vì thiếu báo cáo chứng thực.
Tuy nhiên, đây không phải là loại câu chuyện có thể tạm dừng với báo cáo không đầy đủ.
Trong bài báo ngày 11 tháng 8 năm 1991 của Uemura, tên của người phụ nữ đã được giữ lại. Nhưng ba ngày sau, tại Seoul vào ngày 14 tháng 8, cô ấy đã đặt tên thật của mình là Kim Hak-sun
, tại một cuộc họp báo, nơi cô ấy tiết lộ, "Cha mẹ tôi đã bán tôi với giá ¥ 40". "Tôi bị cha dượng bán đi 3 năm sau đó. Khi tôi 17 tuổi", cô nói.
Sau đó, cô đã đệ đơn kiện chính phủ Nhật Bản, và trong đơn khiếu nại, cô nói rõ rằng cô bị bán cho Kisaeng vì nghèo. Đó là kiểu tuyên bố mà phóng viên Uemura chắc hẳn đã thấy. Tôi tự hỏi làm thế nào anh ta sẽ đánh giá thông tin quan trọng này rằng cô ấy đã được bán bởi cha mẹ cô ấy, mặc dù anh ấy đã viết rất nhiều về nó trong bài báo nổi bật của mình.
Vào ngày 25 tháng 12 năm 1991, sau khi đơn kiện được đệ trình, Uemura đã viết một cuộc phỏng vấn được báo cáo rộng rãi với Kim.
Trong bài báo đó, Uemura không viết rằng cô đã bị bán đi vì nghèo.
Xem xét kỹ bối cảnh, tôi nghĩ có thể an toàn khi nói rằng Uemura cố tình bỏ thông tin Kim bị bán độ.
Điều này cũng đúng với Quân đoàn tình nguyện.
Anh ta không báo cáo thông tin quan trọng rằng Quân đoàn tình nguyện không liên quan gì đến những người phụ nữ an nhàn.
Đó là cách nó phải được nói.
Abiru: Tôi muốn nói đôi lời về điều này. Trong báo cáo đặc biệt của Asahi, người ta nói rằng không có đề cập đến việc "bị bán cho Kisaeng" trong đoạn băng mà ông Uemura đã nghe. Ngay cả khi điều này là sự thật, bài báo của Uemura vào tháng 8 năm 1991 nói rằng ông đã "được đưa đến chiến trường dưới danh nghĩa của quân đoàn tình nguyện."
Vậy, ông Uemura có nghe thấy trên cuộn băng rằng cô ấy được đưa đến chiến trường với danh nghĩa quân tình nguyện không?
Chắc là không.

Tôi phải nói rằng có một sự bịa đặt, sau cùng. Nếu đây không phải là bịa đặt, tôi không biết nó là gì. Bài báo về tính năng của Asahi không làm rõ điều đó.
Cụm từ "bị cưỡng bức di chuyển" đã được thay đổi lần lượt trong bài xã luận của Asahi.
Kadota: Đặc biệt, có đề cập rằng ban đầu Cục trưởng Cục Seoul đã cung cấp thông tin, nhưng tôi thắc mắc tại sao ông Uemura của Cục các vấn đề xã hội Osaka lại chịu khó đi nước ngoài để đưa tin về câu chuyện ở Seoul? Nó khác với một chuyến công tác trong nước. Thật vô lý khi chúng tôi tin rằng anh ấy không có mối quan hệ đặc biệt với mẹ vợ.
Sakurai: Tôi cũng nghi ngờ về điều đó. Đó là một câu chuyện tin tức độc quyền, phải không? Theo quan điểm của một nhà báo, thật không thể tưởng tượng nổi khi một phóng viên lại giao câu chuyện độc quyền của Cục trưởng Seoul cho một phóng viên khác. Bài báo về ông Uemura nói rằng ông "không sử dụng mối quan hệ của mình với mẹ vợ để lấy bất kỳ thông tin đặc biệt nào." Dù vậy, bài báo anh viết vẫn thuận lợi cho những yêu sách của mẹ vợ. Với suy nghĩ đó, câu hỏi tại sao anh ấy không viết thông tin về việc “bị bán bởi cha mẹ mình” và tại sao anh ấy viết bài báo liên kết nó với Quân đoàn tình nguyện lại càng dấy lên mạnh mẽ. Không có giải thích về những điểm này trong bài báo tính năng.
Kadota: Tôi nghĩ Asahi hiểu rằng bị cưỡng bức di chuyển là gốc rễ của vấn đề. Có bị cưỡng bức di chuyển hay không? Đó là mấu chốt của Nô lệ tình dục. Chừng nào họ còn bị gọi là "nô lệ tình dục", thì họ phải bị cưỡng bức đưa một người phụ nữ đến nơi cô ta không muốn, hoặc nhốt cô ta, hoặc ép cô ta quan hệ tình dục với người mà cô ta không thích bằng cách cưỡng hiếp.
Nếu không bị 'cưỡng bức di chuyển', nó sẽ không phải là 'nô lệ tình dục'.
Nếu điều đó sụp đổ, nó sẽ là 'Mức độ phủ sóng của Asahi Shimbun cho đến nay là gì?'
Nếu không bị cưỡng bức di chuyển, thì tôi nghĩ Asahi Shimbun sẽ biến mất.
Vì vậy, tôi nghĩ rằng họ vẫn đang cố gắng tuyệt vọng để bảo vệ nơi này và thậm chí còn chưa hạ thấp lá cờ rằng buộc phải làm như vậy.
Bài báo này không bao gồm nhiều cách làm chứng trực tiếp từ chính ông Uemura hoặc Cục trưởng Cục Seoul. Mặt khác, loại tóm tắt này phản ánh ý định của Asahi để giải quyết tình hình bằng cách nào đó và vượt qua nó.
Abiru: Nhìn vào bài xã luận của Asahi, vào khoảng năm 1992, bài báo coi "bị cưỡng bức di chuyển" như một tiền đề cụ thể. Tuy nhiên, vì việc bị cưỡng bức di chuyển ngày càng trở nên đáng ngờ hơn, bài xã luận chuyển sang 'bị cưỡng bức di chuyển hẳn đã tồn tại.' Cuối cùng, họ bắt đầu viết rằng 'bị di chuyển cưỡng bức' không quan trọng, và cuối cùng, thuật ngữ 'bị di chuyển cưỡng bức' không còn được sử dụng ngày nay nữa.
Sakurai: Nó đã trở thành sự ép buộc.
Abiru: Đây là một sự xuyên tạc. Tôi cũng nghĩ rằng đó là một sự chế nhạo độc giả của Asahi. Họ không cố gắng nói sự thật. Nó đã gây bất tiện đáng kể cho người dân Nhật Bản, nhưng tôi nghĩ đó là một phản ứng thực sự thiếu chân thành.
Bài viết này tiếp tục.


det var tross alt en fabrikasjon. Hvis dette ikke er en fabrikasjon, vet jeg ikke hva det er

2020年08月18日 14時20分48秒 | 全般

Trøste kvinner, Yoshida-rapporten ... den kardinale synden i anti-japansk rapportering som ikke har forsvunnet
Sound Argument Monthly, oktober 2014
Presserende diskusjon
Journalist Yoshiko Sakurai
Journalist Kadota Ryusho
Rui Abiru, redaktør, Sankei Shimbun avdeling for statsvitenskap
Det er sant at ikke bare japanerne, men også mennesker over hele verden, spesielt de som er involvert i FN, trenger å vite det.
Det er en sannhet Hillary Clinton spesielt trenger å vite.
En enorm mengde velbegrunnet kritikk er "grunnløs kritikk" ...
Abiru: Herr Sugiura, som nettopp har kommet for diskusjon, skrev følgende på forsiden.
'Det har vært grunnløs kritikk i noen kretser og på internett at komforten kvinner utgir er en fabrikasjon av Asahi Shimbun.'
Det er mer enn nok bevis og grunn til å tro at det er ubegrunnet. Likevel skrev asahiene som om de var ofrene. Og de skrev at de kom til å trekke tilbake artikkelen om Mr. Yoshida Seiji, men de skrev den med liten skrift på innsiden og ingenting på forsiden. Det er ingen overskrift. Det virker som om de ønsket å dekke opp historien fra begynnelsen.
Kadota: Det er ikke Asahi som får ubegrunnet kritikk, men japanerne. Statuer av trøstekvinner er blitt reist over hele verden, og fordømmelsesresolusjoner diskuteres i parlamenter over hele verden.
Jeg lurte på hvordan Asahi Shimbun ville svare her, men tvert imot, den ble trassig.
Sakurai: 'Grunnet kritikk' betyr at jeg er overrasket over at du insisterer så mye.
Det er nettopp problemet at Asahi Shimbun fabrikkerte, for det første å bli flyttet med tvang og for det andre, og koble sammen Kvinners Frivillige Korps og trøstekvinnene, som er to veldig forskjellige ting. Kvinnenes frivillige korps kvinner ble flyttet med tvang er sjokkerende for verden, og Asahi Shimbun var flaggbæreren.
Se for deg virkeligheten til 'Volunteer Corps = Comfort Women', som er en enorm ting.
Det japanske militæret tok tvang med seg jenter som kanskje eller ikke har gått gradene fra barneskolen til unge kvinner i begynnelsen av 20-årene og gjort dem om til "militære trøstekvinner", ifølge avisen Asahi.
Å skrive denne typen ting ville verre den sørkoreanske opinionen.
Det ville være rart for koreanerne ikke å være sinte, og det er naturlig for dem å være sinte. Mellom Japan og Sør-Korea, som kunne vært bedre, ble det hardt skadet. I den forstand trenger Asahi også unnskylde det koreanske folket.
Abiru: Asahi innrømmet å ha forvirret trøstekvinner og frivillighetskorps, men skrev at dette var urimelig og at det var lite forskning. Men det stemmer ikke.
Du kan spørre foreldrene dine eller besteforeldrene: "Hva var frivillighetskorpset?" Det er den typen ting du lett kan finne ut om du spør.
Kadota: Det er sunn fornuft, vet du fordi det allerede er på nivå med en vanlig grunn for det kvinnelige frivillige korpset.
Hvordan i all verden evaluerte de informasjonen i "å selge seg selv for prostituerte"?
Sakurai: Funksjonsartikkelen i Uemuras rapport sier: 'Vi har oppdaget at det var en faktafeil i den ene delen av artikkelen,' og 'Vi beklager mangelen på bekreftende rapportering.
Dette er imidlertid ikke den typen historie som kan settes i ro med mangelfull rapportering.
I Uemuras 11. august 1991, artikkel, ble kvinnens navn tilbakeholdt. Men tre dager senere, i Seoul 14. august, ga hun sitt virkelige navn, Kim Hak-sun
, på en pressekonferanse, hvor hun avslører: "Foreldrene mine solgte meg for 40 år." "Jeg ble solgt av stefaren min tre år senere. Da jeg var 17 år," sa hun.
Hun anla senere søksmål mot den japanske regjeringen, og i klagen sin uttaler hun tydelig at hun ble solgt til Kisaeng på grunn av hennes fattigdom. Det er den slags uttalelse som Uemura-reporteren må ha sett. Jeg lurer på hvordan han ville ha vurdert denne kritiske delen av informasjonen om at hun ble solgt av foreldrene, selv om han skrev mye om det i sin artikkel.
Den 25. desember 1991, etter søksmålet, skrev Uemura et mye rapportert intervju med Kim.
I den artikkelen skrev Uemura ikke at hun var utsolgt på grunn av sin fattigdom.
Ser jeg nøye på sammenhengen, tror jeg det er trygt å si at Uemura med vilje droppet informasjonen om at Kim var utsolgt.
Det samme er frivillighetskorpset.
Han rapporterte ikke om den kritiske informasjonen om at Frivillighetskorpset ikke hadde noe med trøstekvinnene å gjøre.
Slik må det sies.
Abiru: Jeg vil gjerne si et ord om dette. I den spesielle rapporten fra Asahi uttales det at det ikke var noen omtale av "å bli solgt til Kisaeng" på båndet som Mr. Uemura hørte. Selv om dette stemmer, heter det i Uemuras artikkel i august 1991 at han ble "ført til slagmarken i frivillighetskorpsets navn."
Så, hørte Uemura på båndet at hun ble ført til slagmarken i navnet til det frivillige korpset?
Sannsynligvis ikke.

Jeg ville tross alt måtte si at det var en fabrikasjon. Hvis dette ikke er en fabrikasjon, vet jeg ikke hva det er. Asahis trekkartikkel gjør det ikke klart.
Uttrykket "å bli flyttet med makt" er blitt endret etter hverandre i Asahi-redaksjonen.
Kadota: I den spesielle funksjonen er det nevnt at sjef for Seoul Bureau først oppga informasjonen, men jeg lurer på hvorfor tok Uemura fra Osaka Social Affairs Department bryet med å reise utenlands for å dekke historien i Seoul? Det er annerledes enn en innenlands forretningsreise. Det er urimelig å forvente at vi skal tro at han ikke hadde et spesielt forhold til svigermoren.
Sakurai: Det er jeg også i tvil om. Det er en eksklusiv nyhetshistorie, ikke sant? Fra journalistens synspunkt er det utenkelig at en reporter overleverer Seoul Bureau Chiefs eksklusive historie til en annen reporter. Funksjonsartikkelen om Mr. Uemura sier at han "ikke brukte forholdet til svigermoren sin for å skaffe noen spesiell informasjon." Fortsatt var artikkelen han skrev gunstig for svigermors påstander. Med det i bakhodet kommer spørsmålet om hvorfor han ikke skrev informasjonen om å bli "solgt av foreldrene" og hvorfor han skrev artikkelen som kobler den til Volunteer Corps, enda sterkere frem. Det er ingen forklaring på disse punktene i funksjonsartikkelen.
Kadota: Jeg tror Asahi forstår at det å bevege seg med makt er roten til problemet. Blir det flyttet med makt eller ikke? Det er kjernen til sexslaver. Så lenge de kalles "sexslaver", må de tvinges til å ta en kvinne der hun ikke vil, eller begrense henne, eller tvinge henne til å ha sex med noen hun ikke liker ved voldtekt.
Uten å 'bli flyttet med makt', ville det ikke være 'sexslave' i det hele tatt.
Hvis det kollapser, vil det være 'Hva var Asahi Shimbuns dekning så langt?'
Hvis det ikke ble flyttet med tvang, tror jeg Asahi Shimbun ville forsvinne.
Så jeg tror de fortsatt prøver desperat å forsvare dette stedet og har til og med ikke senket flagget om at det var en tvang til å gjøre det.
Funksjonsartikkelen inkluderer ikke mye i veien for live vitnesbyrd fra Mr. Uemura selv eller Seoul Bureau Chief. På den annen side gjenspeiler denne typen oppsummering Asahis intensjon om å ordne situasjonen på en eller annen måte og komme gjennom den.
Abiru: Ser på Asahi-redaksjonen, rundt 1992, behandlet artikkelen "å bli flyttet med makt" som et spesifikt premiss. Men etter hvert som det ble mer og mer mistenksomt å bli flyttet med makt, måtte redaksjonen regresere til å bli flyttet med makt. Etter hvert begynte de å skrive at 'å bli flyttet med makt' ikke spilte noen rolle, og til slutt blir ikke betegnelsen 'å bli flyttet med makt' ikke lenger brukt i disse dager.
Sakurai: Det ble tvang.
Abiru: Dette var en feilaktig fremstilling. Jeg synes også det er en hån mot Asahis lesere. De prøver ikke å fortelle sannheten. Det har dramatisk vanskeliggjort folket i Japan, men jeg synes det er en genuint uoppriktig respons.
Denne artikkelen fortsetter.


der var trods alt en fabrikation. Hvis dette ikke er en fabrikation, ved jeg ikke, hvad det er

2020年08月18日 14時19分21秒 | 全般

Trøster kvinder, Yoshida-rapporten ... den kardinal synd af anti-japansk rapportering, der ikke er forsvundet
Sound Argument Monthly, oktober 2014
Presserende diskussion
Journalist Yoshiko Sakurai
Journalist Kadota Ryusho
Rui Abiru, redaktør, Sankei Shimbun Institut for Statskundskab
Det er sandt, at ikke kun Japans befolkning, men også mennesker over hele verden, især dem, der er involveret i FN, har brug for at vide det.
Det er en sandhed, som Hillary Clinton især har brug for at vide.
En enorm mængde af velbegrundet kritik er "ubegrundet kritik" ...
Abiru: Hr. Sugiura, der netop er kommet til diskussion, skrev følgende på sin forside.
"Der har været ubegrundet kritik i nogle kredse og på Internettet, at komforten, som kvindeproblematikken er, er en fabrikation af Asahi Shimbun."
Der er mere end nok beviser og grund til at tro, at det er ubegrundet. Ikke desto mindre skrev Asahierne som om de var ofrene. Og de skrev, at de ville tilbagetrække artiklen om Mr. Yoshida Seiji, men de skrev den med små bogstaver på indersiden og intet på forsiden. Der er ingen overskrift. Det ser ud til, at de ønskede at dække historien fra begyndelsen.
Kadota: Det er ikke Asahi, der modtager ubegrundet kritik, men japanerne. Statuer af trøstekvinder er blevet rejst over hele verden, og fordømmelsesresolutioner drøftes i parlamenter over hele verden.
Jeg spekulerede på, hvordan Asahi Shimbun ville svare her, men tværtimod blev den trodselig.
Sakurai: 'Ubegrundet kritik' betyder, at jeg er overrasket over, at du insisterer så meget.
Det er netop problemet, at Asahi Shimbun fabrikerede, først og fremmest, der blev flyttet med magt og for det andet, der forbinder kvindernes frivillige korps og komfortkvinder, som er to meget forskellige ting. Kvindernes frivillige korps kvinder blev flyttet med magt er chokerende for verden, og Asahi Shimbun var flagbæreren.
Forestil dig virkeligheden af ​​'Volunteer Corps = Comfort Women', som er en enorm ting.
Den japanske militær tog med magt piger, der måske eller måske ikke er uddannet fra folkeskolen til unge kvinder i begyndelsen af ​​20'erne og forvandlet dem til "militær komfortkvinder", ifølge avisen Asahi.
At skrive denne type ting ville forvirre den sydkoreanske opinion.
Det ville være underligt for koreanerne ikke at være vred, og det er naturligt for dem at være vrede. Mellem Japan og Sydkorea, som kunne have været bedre, blev det alvorligt beskadiget. I den forstand er Asahi også nødt til at undskylde det koreanske folk.
Abiru: Asahi indrømmede at have forvekslet komfortkvinder og Volunteer Corps, men skrev, at dette var urimeligt, og at der var lidt forskning. Men det er ikke rigtigt.
Du kunne spørge dine forældre eller bedsteforældre, "Hvad var frivillighedskorpset?" Det er den slags ting, du let kan finde ud af, hvis du spørger.
Kadota: Det er sund fornuft, ved du det, fordi det allerede er på niveau med en fælles grund for det kvindelige frivillige korps.
Hvordan i all verden evaluerede de informationerne i ”at sælge sig selv til prostituerede”?
Sakurai: Feature-artiklen om Uemuras rapport siger, 'Vi har opdaget, at der var en faktuel fejl i den ene del af artiklen,' og 'Vi beklager manglen på bekræftende rapportering.
Dette er dog ikke den slags historie, der kan bringes til hvile med utilstrækkelig rapportering.
I Uemuras artikel 11. august 1991, blev kvindens navn tilbageholdt. Men tre dage senere, i Seoul den 14. august, gav hun sit rigtige navn, Kim Hak-sun
, på en pressekonference, hvor hun afslører, "Mine forældre solgte mig for ¥ 40." ”Jeg blev solgt af min stedfar tre år senere. Da jeg var 17,” sagde hun.
Senere anlagde hun en retssag mod den japanske regering, og i sin klage siger hun klart, at hun blev solgt til Kisaeng på grund af sin fattigdom. Det er den slags udsagn, som Uemura-reporteren må have set. Jeg spekulerer på, hvordan han ville have vurderet dette kritiske stykke information om, at hun blev solgt af sine forældre, selvom han skrev meget om det i sin artikel.
Den 25. december 1991, efter at retssagen blev indgivet, skrev Uemura et vidt rapporteret interview med Kim.
I den artikel skrev Uemura ikke, at hun var udsolgt på grund af sin fattigdom.
Ser jeg nøje på sammenhængen, synes jeg det er sikkert at sige, at Uemura med vilje faldt informationen om, at Kim var udsolgt.
Det samme er tilfældet med Volunteer Corps.
Han rapporterede ikke de kritiske oplysninger om, at Volunteer Corps ikke havde noget at gøre med trøstekvinder.
Sådan skal det siges.
Abiru: Jeg vil gerne sige et ord om dette. I Asahi-specialrapporten hævdes det, at der ikke var nogen omtale af "at blive solgt til Kisaeng" på båndet, som Mr. Uemura hørte. Selv om dette var sandt, siger Uemuras artikel i august 1991, at han blev "ført til slagmarken i navnet på det frivillige korps."
Så hørte Mr. Uemura på båndet, at hun blev ført til slagmarken i navnet på det frivillige korps?
Sikkert ikke.

Jeg bliver nødt til at sige, at der trods alt var en fabrikation. Hvis dette ikke er en fabrikation, ved jeg ikke, hvad det er. Asahis funktionsartikel gør det ikke klart.
Udtrykket "flyttes med magt" er blevet ændret den ene efter den anden i Asahi-redaktion.
Kadota: I det særlige træk nævnes det, at chef for Seoul Bureau oprindeligt leverede informationen, men jeg spekulerer på, hvorfor har Uemura fra Osaka Social Affairs Department besværet med at rejse til udlandet for at dække historien i Seoul? Det er forskelligt fra en indenrig forretningsrejse. Det er urimeligt at forvente, at vi skal tro, at han ikke havde et specielt forhold til sin svigermor.
Sakurai: Jeg er også i tvivl om det. Det er en eksklusiv nyhed, ikke? Fra journalistens synspunkt er det ikke tænkeligt for en reporter at overdrage Seoul Bureau Chiefs eksklusive historie til en anden reporter. Feature-artiklen om Mr. Uemura siger, at han "ikke brugte sit forhold til sin svigermor til at få nogen speciel information." Den artikel, han skrev, var stadig gunstig for sin svigermors påstande. Med det i tankerne kommer spørgsmålet om, hvorfor han ikke skrev oplysningerne om at blive "solgt af sine forældre", og hvorfor han skrev artiklen, der knytter den til Volunteer Corps, endnu stærkere op. Der er ingen forklaring på disse punkter i funktionsartiklen.
Kadota: Jeg tror, ​​Asahi forstår, at det at skifte magt er roden til problemet. Flyttes der med magt eller ej? Det er kerne af sexslaver. Så længe de kaldes "sexslaver", skal de tvinges til at tage en kvinde, hvor hun ikke vil hen eller begrænse hende, eller tvinge hende til at have sex med en, hun ikke kan lide ved voldtægt.
Uden 'at blive flyttet med magt' ville det slet ikke være 'sexslave'.
Hvis dette kollapser, vil det være 'Hvad var Asahi Shimbuns dækning hidtil?'
Hvis der ikke blev flyttet med magt, tror jeg, at Asahi Shimbun ville forsvinde.
Så jeg tror, ​​de prøver stadig desperat at forsvare dette sted og har endda ikke sænket flaget, at der var en tvang til at gøre det.
Funktionsartiklen inkluderer ikke meget i vejen for live vidnesbyrd fra Mr. Uemura selv eller Seoul Bureau Chief. På den anden side afspejler denne slags resume Asahis intention om at afvikle situationen på en eller anden måde og komme igennem den.
Abiru: Ser man på Asahi-redaktion, omkring 1992, behandlede artiklen "at blive flyttet med magt" som en bestemt forudsætning. Men efterhånden som det at blive flyttet med magt blev mere og mere mistænkeligt, skal redaktionerne regressere til 'at blive flyttet med magt have eksisteret. Til sidst begyndte de at skrive, at 'at blive flyttet med magt' ikke gjorde noget, og til sidst bruges udtrykket 'at blive flyttet med magt' ikke i disse dage.
Sakurai: Det blev tvang.
Abiru: Dette var en forkert gengivelse. Jeg synes også, det er en hån mod Asahis læsere. De prøver ikke at fortælle sandheden. Det har dramatisk besværet Japans befolkning, men jeg synes, det er et ægte ubehageligt svar.
Denne artikel fortsætter.