関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

【後出し⏰三題噺】 『2001年宇宙の旅』、『ウクライナ』、『ラジオスターの悲劇』 ── この三題を紡ぐ、ひとつの実話ストーリー。

2018年08月23日 | 日記
寄席の出し物で『三題噺』というのがある。 一見ランダムな、関連性の無さそうな3つの題目を用意してもらい、3つのワードを盛り込んだ1本の小噺を即席で披露する……という、アタマの機転や創造力を競う出し物だ。

わたしは落語家の真似ができるほどフレキシブルに捏なれた話才を持ってはいないので、先に1本のストーリーを編んでおいた上で、編み込んだ毛糸の3種類を「あとから」先頭に掲げ直し、文章の流れでは あたかも『三題噺』に読める……という記事を今回、試しにUPしてみようと思う。

で、用意できた「お題」は次の三つ ──。


ではでは早速、始めよう…!

今回の記事とは別に、近いうちUPしようと決めてるテーマが、「誰もが崇める映画の名シーンに、あえて横からケチを付ける」系のネタだ。 自分には子供のころからヒネくれた神経があり、カルトな流行には率先して傾倒しても、国民的な流行りの話材には(意識して)背を向ける、無視する、という性分が見られた。

が、この齢になると、ついにはヲタ系な「持ち切り話題」にさえも水を差して面白がりたくなる。 性根が腐ってると言うか、まったく困った奴である。

てことで、いずれ貶(けな)そうと用意してるのがSF映画の金字塔、とも呼び習わされている『2001年宇宙の旅』。 特に、中盤の舞台となる宇宙船ディスカバリー号を制御するAIコンピューター『HAL(ハル)』の外観描写における <いかにも60年代作品らしいB級テイスト、安っぽさ>についてだ。

まぁ それはさておき、本作が『当時の大金を惜しみなく注ぎに注ぎ、実証にNASA、IBM関係者はじめ専門の識者らを(制作の初期段階から)動員して造られた』ことは紛れもない事実で、その「大がかり」ぶりを象徴する撮影セット写真として出回ったのが、以下の1枚。


これは、「木星往復という長期航行のため(内部回転による)疑似重力を与えられた居住空間」をリアルに再現するために建造された、観覧車状の船内セット。 撮影時には実際にハムスターの回し車のごとく回転して、下のような映像を生み出していた。
※このセットについては前述の別記事にて、いずれ改めて図解や動画を交え詳しく考察する。


この観覧車セット、具体的には「どこで」建造したのだろう??

ハリウッドと思いきや、実はそうではない。 「ウッド」は「ウッド」でも、英国はロンドン郊外のボアハムウッド。 そこは日本で言う太秦みたいな土地柄で、20世紀の初頭に初めて『エルドン・アヴェニュー・スタジオ』が開所して以来、イギリス映画制作の中核エリアを担っていた。

その一角に50年代から、アメリカ映画資本も『MGMエルストリー・スタジオ』を構えていたのだ。 なぜハリウッドが英国なんかに? と思うかもしれないが第二次大戦後、勝ったとはいえ疲弊しまくり状態の辛勝だった英国は、何かと米国の経済的バックアップを受けないと社会基盤を建て直せなかった。ハリウッド側にしてみれば、熟練した映画制作技能者が(西海岸よりは安い賃金で)集められるのが魅力だった。そんな事情で、しかも精密で正確な機械セットを組まなきゃならんのなら、アメリカ人よりイギリス人だろ、というワケで英国なのだ。 特に、東海岸生まれの堅物であるキューブリック監督の完璧主義は、この英国スタジオを選り好んだ。 何せ、のちには英国に逆移住しちまった(!?)くらいの「相性」で。 彼は先に『ロリータ(1962年)』、あとに『シャイニング(1980年)』等、何度もボアハムウッドで撮っている。



さて、『MGMエルストリー・スタジオ』自体は、1970年を以て閉鎖された。 長引く「英国病」で国内スタジオが採算ギリギリ鎬(しのぎ)を削るなか、コスパ競争に敗退したのだ。すでに50年代には、前述の開祖たる『エルドン・アヴェニュー・スタジオ』もメディア界後発組の民間テレビATV(←青森テレビじゃない。Associated TVだから無理訳すれば"協同テレビ"だ)に売り渡され、同社の本社ビルが増築されるに至った。以降1982年末まで、エルストリーにおける「不況の真っただ中のATV一強の天下」は続いた。


ところで、このATV本社ビル(現・BBCエルストリーセンター)。 今、50歳より上のSF好き世代なら、たいてい昔「見たコトがある」ハズなんだが💧・・・憶えておられないだろか? もしピンとこないなら、この玄関ロビー手前に立つ看板なら?


そう。 こいつは当時、ATV制作の人気SFドラマ『謎の円盤UFO』において、"とある映画会社"としてロケられてた。 都心から25キロの郊外に在って、ふだんロンドンっ子の目に触れないのをいいことに、ナンと自社ビルの地下に(地球をUFOの侵略から守る)秘密防衛組織の本部がある、というド安直な設定にしたのだった。


この作品や人形SF劇『サンダーバード』などで知られるジェリー・アンダーソン【2012年没、享年83】の陰には、いつも(齢は親子ほど違うが、彼とは風貌のよく似たw)強力な後ろ盾でありパトロンの姿があった。彼の映像クリエイター界におけるプロデューサー生命は、このパトロンと往時の(二人三脚で制作をサポートした)妻シルヴィアに「見放されるに至って凋落の道へと転じた」のは明らかである。

そのパトロンこそがウクライナ出身。 20世紀『英国のメディア王』と呼ばれた、本名ルイス・ウィノグラドスキーこと ルー・グレード【故人、1906-1998】だ。
※6歳のとき家族が政治難民として渡英。自身はダンサー稼業から一代にして財を成し、英TV映画界重鎮の地位を築き上げた。

若きグレード氏が、低迷する英民放TV界に斬り込むために得た放送局がATVであり、制作会社がAPフィルムズなどを傘下に置くITCだったのだ。 氏は自らの大道芸人としてのルーツから、俳優に頼らない人形ショーが社会全体に与える可能性の大きさを確信しており、ATVからはアンダーソン作のマリオネット(=操り人形)劇のみならず、(米国の人形師ジム・ヘンソンと組み)それまで子供劇中心だったマペットに毒を持った風刺コメディを演らす『マペットショー』という革命的エンタメ番組も生んでいる。

こうした「社会の裏を突き、面白がらせる」というグレード氏ならではの仕掛人マインドは、抑圧の色濃い帝政ロシア文化圏から逃れ資本主義社会の下で再生した彼の人生観と無縁ではない。アンダーソンは付き合いの長い、そんなパトロンの好む趣向を熟知していたので、あえて『サンダーバード』は英国の侯爵家でなく自由世界アメリカの富豪が指揮し、かつまたアンダーソン作品の多くには全体主義国家やらスパイ活動を扱ったテーマ設定が多いのだ。 ただ、憎き帝政ロシアを滅ぼしたソ連に対してまでは(氏自身は)遺恨が無く、このためソ連を名指しで敵視するようなプロットは少ない。

国情が(サッチャー登板まで)20年余りも沈んだ「冬の時期」に、異国出の、アンテナの冴えた投資起業家がトントン拍子に事業拡大。ついには財界じゅうに名を馳せた、と言えば、現代日本的なイメージで言えば(自身は日本生まれではあるが)孫正義さん、辺り?なのかな。 バブル崩壊後に(日本国内の)パソコン産業が緩やかに凋落していくなか、かの「失われた20年」をソフトバンクごときが乗り切れると予感できた中高年世代は、おそらく少ないハズだ。


まあ、そんな次第で。

ボアハムウッドの活気に陰りが目だち、かつての栄華も懐かしみ出す人が増えた1970年代。20世紀フォックスやMGMは、まだ(移せるリソースは移し、敷地規模の縮小した)新エルストリー・スタジオを使っていた。 たとえば前述の『シャイニング』や、『スターウォーズ/新たなる希望』など名作や大作のセットを建て、俳優を投入。後世に残る作品群を撮り続けていた。

…が、その新生エルストリー撮影所ですら、いずれは時の流れに朽ち去ってゆくのではないか。

そんな、そとはかとな~い哀切感を、ピアノの旋律にポップな電子音を添えて曲にしたら……と考える英国人ミュージシャンがいた。 のちにバグルスを結成するトレヴァー・ホーンその人である。1979年暮れ、彼らバグルスはファーストアルバム『ラジオスターの悲劇』(原題:The Age of Plastic)の6曲目(当時の言い方だとB面2曲目)に、その耽美なバラード曲を収録。80年に『思い出のエルストリー(原題は単に「Elstree」)』としてリリースした。


『思い出のエルストリー』EPシングル盤ジャケット (1980年 英国)

ホーンご本人らは(出来に)自信があったのだろう。 この曲は日本でプロモEPが切られた他、本国では4枚目シングルとして正規に本カット・リリースさえされた。歌詞は、ある落ちぶれた元俳優が「こんな俺でも銀幕で輝いた頃があったんだ。エルストリーよ、どうか(俺を)忘れないでおくれ」と請う内容。 しかし、セールスチャートは全英55位に留まり……以後英国では、現在に至るまでバグルスの新譜シングルは出されていない。

ただ……この話にはオチが付く。

『エルストリー』シングル発売(1980年10月)から2年後、ホーンの歌ったエルストリー・スタジオは(ハリウッドからの賃貸予約も途絶えず)運営も好調、健在だった。 しかし、6~70年代を通して英国映画産業を守勢に追い込んだ民放TV界の雄、ATVは政府肝煎りの民放界再編の荒波をかぶった。折しも同年、フォークランド紛争の勝利で国民の信託を得たサッチャー首相が、旧弊たる経済界に大鉈を振るおうとする気配が迫るなか、政府はATVの放送免許継続の条件として、グレード卿が親会社ITCの経営から手を引くこと、という異例の認可要件を突きつけてきたのだった。

柔軟に民間TV系列を整理統合するためには、その中に1局でも、強権主義のワンマン経営者に牛耳られていては困る。

事実上の、財界引退勧告だった。 1976年にバロンの称号を授かったとは言え、直後に映画化権を獲った『レイズ・ザ・タイタニック』の(自身を駆っての)プロデュースぶりが無茶苦茶で、沈没船の引き揚げを妨害する「悪役としてのソ連」をキレイさっぱり(原作本から)抜き取って、単なる財宝探しロマンにしてしまう。 そのためサスペンス要素が削げ落ち非難レビューの渦、興行成績を「大コケ」に終わらせてITCに多大な損失を与えたことも、政府・監督官庁のみならず英国民の多くが知っていた。 爵位受勲者の愛国心が疑われたときほど、当人の社会的信頼が揺らぐことはない。

そして82年秋、グレード卿が下した決断は周囲を震撼させるに十分な内容だった。 ナンと……サッチャーの嫌がらせには屈せず、ITCは手放さない。 ATVは廃局で結構。 悪いが社員諸君、君らは全員クビだ!…と。

放送界の一角に居座るという(モロ利己的な)意地を通すためだけに、大勢いる従業員らとその家族の生活を犠牲にしたのだ。 エルストリーの勝ち組だったハズのATV本社内に、悲鳴と罵声が交錯した。 このときにして思えばジェリー・アンダーソンもルー・グレード卿も、その「独りよがりな性格」では痛いほど一致してて、それゆえ「良い時は気が合い、悪くなったとたん決裂したのかも」しれない。

青天の霹靂でしかない"悪夢の"解雇通告から数日後……失業者として迎える「不安なクリスマス」に向け、"ATV社員"らは(本来なら視聴者に向かって)歳末を祝福する通称『クリスマステープ』の制作に取り掛かったのだった。 年を越せば「会社が消滅する」のだから、もうヤケクソの極み。 そこに挿入されるメインBGMこそがズバリ、2年前にリリースされるも地味ィに流れ去っていった、あの『🎵思い出のエルストリー』だった。

これ以上に雰囲気ピッタリの選曲が、他に考えられるだろうか。 嗚呼! エルストリーよ、どうか(俺たちを)忘れないでおくれ…! その「憤懣やるかたなさ」と「FUCK」という断末魔の叫び、(四半世紀の時を超えて)あなたの耳元にも届くだろうか??

廃局するATVエルストリー本社より メリークリスマス♪

以上、『三題噺』の一席でございました。 お粗末さま。
 
 
最後に(いつものことだが大きくレールから外れて)余談を。

『三題噺』とは落語界の用語だが、一方、ネット界の定石には『ブログは3テーマに絞れ』という言葉がある。 厳密には『ブログで稼ぎたきゃテーマは3つ以内に留めろ。拡げるな』、という意味合いだ。 それ以上に話題を拡げて「徒然日記のごとく あれこれ気ままに綴る」と、いわゆる「読者が付かない」とか「フォロワーが増えない」といったことになる。 ノンテーマでも常連さんが増えてゆくのは、当の発信者が十分にセレブである場合だけだ。

つかテーマを絞らない、と言えば💦わたしのブログが まさにそうで、早い話が自分、「稼ごうとは思ってブログをやってない」。 このブログは純粋に徒然日誌の電子版であり、定期的なリピーターが現れることを期待していない。 だから無料のgooブログで、(金銭欲など出して)アフェリなどに踏み込むことなく続けている。

その方が、私見を好きに発信していられる。 多くに読まれない(読んでもらえない)ことに絶望するとか、偏執的な「自分を見てよ!願望」に駆られ、心を病まないで済む。 当然、大勢から怒涛のごとく罵声コメで叩かれアカウント削除とか、任侠沙汰に至ることもない。 まさに…「気まま」にブログの日々を散策し、光景に想い、呼吸してる身体に感謝できる。

…というワケで、わたしは今後とも『無題ブログ』『無駄噺』にブログを咲かせてゆく。 誰でもない「あなた」という気配に、「ご贔屓(ひいき)にね」と呟く。 ではまた。
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