コロナの緩和に伴い 旅行何かに援助があるものだから 日本中が旅行ブームである。我輩もセット旅行で温泉&豪勢な料理の旅行を申し込んでいたが キャンセル待ちをしておったところ いつまでたってもキャンセルにならないから キャンセル待ちをキャンセルした。

その後ニ上山のふもとの竹内峠は上りがきついのと山の中なのでやめて引き返しました。


これが竹内街道の雰囲気です。但し古代飛鳥時代ではなく 江戸時代後期のお伊勢参りと 河内と奈良の物流の交通路 としての竹内街道であり 現在 江戸時代の風景が残っていると言うところであります。




叡福寺 聖徳太子御廟がありました。推古天皇創建にかかる 聖徳太子と母親の穴穂部間皇后と 妃の膳郎女の3人が纏っておられるとのお寺である。

竹内街道を通って古市まで帰ってきました。






ここも蘇我馬子創建に係る聖徳太子関連の西のお寺であります。古い歴史があるのですが建物は江戸時代後期のものです。

それならば我輩得意の自分1人で旅行しますがな。
そこで思いついて 奈良と難波を結ぶ古代の 竹内街道を行きました。
東京から新大阪まで。新大阪から大阪駅まで。大阪駅から環状線で天王寺まで。天王寺であべのハルカスを下から見上げ 近鉄の南大阪線で古市まで行きました。
ここで自転車を借りました。
目的は 1、竹内街道を東へ行って竹内峠(大阪と奈良の県境)まで行こうとした。
2、古市駅周辺の 古市古墳群をめぐること。
自転車で行くのはいいが何しろ今は12月で日が短い。したがって動ける時間は非常に短いので年寄りは無理ができない。悲しいね。でも優先順位は 憧れの竹内街道である。 自転車で行きましたよ。私は西から東に向かって動きましたが 東から西に向かう歩く人たちが結構いました。女の一人旅 ジジババのグループ おじさんの一人旅 それぞれみんな思うところがあるのでしょう。我輩もその一つ。
吾輩は古市駅から東へ向かって近鉄の駒谷駅 上ノ太子駅を通り 太子町役場の前を通って 竹内街道歴史資料館まで行きました。ここで見学をと思ったが 月曜日はお休みと。仕方なくこの前で弁当の柿の葉寿司を食べました。

その後ニ上山のふもとの竹内峠は上りがきついのと山の中なのでやめて引き返しました。



これが竹内街道の雰囲気です。但し古代飛鳥時代ではなく 江戸時代後期のお伊勢参りと 河内と奈良の物流の交通路 としての竹内街道であり 現在 江戸時代の風景が残っていると言うところであります。
それから苦労しながら古市駅まで帰ってきました。途中には





叡福寺 聖徳太子御廟がありました。推古天皇創建にかかる 聖徳太子と母親の穴穂部間皇后と 妃の膳郎女の3人が纏っておられるとのお寺である。
この辺のお寺は 法隆寺にも勝るとも劣らない 素人目にもそういう風に見える。
その後


竹内街道を通って古市まで帰ってきました。

日暮れまで時間がまだあったので古市から西の方向に竹内街道を進みました。目的は野中寺です。






ここも蘇我馬子創建に係る聖徳太子関連の西のお寺であります。古い歴史があるのですが建物は江戸時代後期のものです。
ここで発見しました。

河内の老婆が冬の夕暮れ前に 1人由緒あるお寺の境内に佇 時間をつぶしている。お寺からのお迎えを慈しんで待っているような そんな厳かな 老年の時間 を見さして貰いました。